津田 仙 (江戸幕府の通訳) の次女 (梅) は、1864年に江戸で生まれた。 1871年に、日本初の女子留学生 (5名) の 一人 (最年少=7歳) として渡米、
米国の家庭に「ホームステイ」して10年間、勉学/研究のため滞在。 1982年に日本へ帰
国後、女子英学塾(「津田塾大学」の前身)の創設者として活躍、日本における
「女子教育の先駆者」と評価される。更に、欧米の学術雑誌に、研究論文を掲載
された「日本初の女性」。聖公会の信徒 (クリスチャン) 。
梅子が、渡米9か月後に書いた "A little girl's stories" と題する英文の
絵日記(2022年現在、津田塾大学 「津田梅子」資料室 所蔵)によれば、「父は、
最初は姉の琴子(1862-1911)を留学に応募させるつもりでしたが、姉は拒否しま
した! その後、父から留学の話を聞いた私は、アメリカに行きたい、と自分
の意志で答えました」という旨が記されている。
1872年2月に首都ワシントンに到着すると、梅子は吉益亮子と共に、ワシントン近
郊のジョージタウンに住むチャールズ・ランマン (1819-1895)に預けられた。
著名な画家・著述家・旅行家であったランマン氏は、当時、日本弁務使館書記官
を務めていた。ランマン夫人(1826-
1914)は、ジョージタウンの裕福な家庭に生
まれ、高等女学校を卒業した女性。 5月には駐米少弁務使 (森有礼) の斡旋で、
留学生5人はワシントン市内に集められて同じ家に住まわされ、生活に必要な最低
限の英語の勉強をさせられた。 10月末には、上田悌子は体調不良を、吉益亮
子は勉強に支障が出るほど目を悪くしたことを理由に "脱落" (帰国)! 残ったのは、梅子、山川捨松、永井繁子の3人。 この「三銃士」は生涯親しく、梅子が後に「女子英学塾」を設立する際に, 2人は助力。
梅子は、結局、ランマン家で10年を過ごすこととなる。ランマン家は家計にゆとり
がある文化的な家庭であり、ランマン夫妻は梅子を実の娘同様に慈しんだ。当初
はランマン家に梅子が預けられるのは1年間の予定であったが、期限が近づいた時
期の、ランマン夫妻の書簡には「仮に梅子の留学が打ち切られるようなことがあ
れば、私どもが梅子の養育費や教育費を負担して預かり続ける覚悟です」という
旨が記載されている。梅子自身もランマン夫妻を深く敬慕し、日本に帰国した1882年
から、ランマン夫人が1914年に88歳で亡くなる直前まで、数百通に及ぶ手紙をラ
ンマン夫人に書き送っている。
1878年にはコレジエト・インスティチュート (小学校) を卒業し、私立女学校であ
るアーチャー
・インスティチュート (中学) へ進学。ラテン語、フランス語な
どの語学や英文学のほか、自然科学や心理学、芸術などを学ぶ。ピアノはかなり
の腕前に達し、帰国後は何度も人前で演奏した。
モリス夫人との出会い:
アーチャー・インスティチュート在学中の梅子は、父である津田仙の知人である
ウィリアム・ホイットニーの紹介により、1882年2月頃、フィラデルフィアの資産家・慈善家・敬虔なクエーカーであるメアリ・モリス夫人(1836-1924)
に出会う. 夫はフィラデルフィア有数の大富豪であるウィスター・モリス。梅子は、日
本に帰国した後も、モリス夫人と文通を続けた。
モリス夫人は梅子の良き理解者となり、 (1) 梅子のアメリカ「再」留学(1889
-1892年)の実現。 (2) 日本の女性をアメリカに留学させる「日本婦人米国奨学
金」の創設(1892年)。 (3) 梅子が日本で創設した女子英学塾を経済的に支援す
る「フィラデルフィア委員会」の設立(1900年)。等において、主導的な役割を
果たし、アメリカから梅子を支援し続けた。
「再」留学:
1888年に来日した留学時代の友人アリス・ベーコンに薦められ、梅子は再留学を
決意。モリス夫人に手紙で留学について相談すると、モリス夫人は、懇意にして
いるブリンマー大学のジェームス・ローズ(英語版)学長に梅子の受け入れを
要請し、ローズ学長はそれを即諾すると共に、梅子に対する「授業料の免除」と
「寄宿舎の無償提供」を約した。また、「華族女学校」校長の西村茂樹は、梅子
に同校教授としての規定通りの俸給を受けながらのアメリカ留学(2年間)を許可
した。
梅子は1889年7月に再び渡米。当時は進化論におけるネオ・ラマルキズムが反響を
呼んでおり、梅子は "名門"女子大「ブリンマー」 (フィラデルフィア郊外) で生物学を専攻する。 梅子の2回目の留学は、
当初は2年間の予定であったが、1年間の延長を華族女学校に願い出て認められた
(但し無給休職の扱いとなり、代わりに1年分の手当として300円支給)。
留学3年目の1891年から1892年に、梅子は「蛙の発生」に関する顕著な研究成
果を挙げた。 そして梅子の研究成果は、指導教官であるトーマス・モーガン博士(ショウジョウバエの遺伝学で、 1933年 ノーベル生理学・医学賞)により、博士と梅子の2名を共同執筆者とする (卒業研究) 論文「蛙の卵の定位」( "The Orientation of the
Frog's Egg")にまとめられ、1894年にイギリスの学術雑誌 Quarterly J. of Microscopic Science, vol. 35. に掲載された。
梅子は帰国時に、結婚を勧められたが、それを断わった。「私は米国での経験を生
かして、日本女性の "英語" 教育に一生を捧げたい」と宣言した!
もし、彼女が21世紀に生きていたら、こう語ったかもしれない: 英語は「ペンギ
ンの翼」のようなものだ! 地球の隅々まで泳いでいける。「結婚生活」(出産や育児など) の "足枷" に縛られるのは、まっぴら御免だ!
詳しくは、古川 安著: 「津田梅子 : 科学への道、大学の夢 」(2022年、東大出版会) を参照されたし!
最後に:
2024年に発行予定の 「五千円紙幣」 (=F号券) に津田梅子の肖像が使用される! とうとう "慶応義塾や伝研を創設" した
「福沢諭吉」 (一万円札) 並になった!
2023年2月27日月曜日
2023年2月25日土曜日
「祖国」とは一体何か?
ペンギンの「祖国」は大昔、「NZ 列島」だった!
しかし、肉食の「猫」を避けて、南極へ永住!
ウクライナの民も、猫 (プーチン) を避けて、海外へ!
「祖国」の定義は、実は (人により) 「千差万別」である! 詳しくは、下記の比
較的「長文」を参照されたし:
https://www.nippon.com/ja/column/g00447/
ここでは、比較的「短文」の "我が輩自身"の「祖国」観を述べよう。 我が輩は東京 で、日本人を両親に生まれた。従って、単純に考えれば、祖国とは「日本」とい うことになる。 ところが、我が輩は、日本国内に住んでいたのは、僅か31年弱 (1942- 1973 ) で、その後、海外生活を、既に49年もずっと続けている! 旅券は未だ日 本国籍だが。。。米国に約10年間、ドイツには数年、豪州のメルボルン (永住先 ) には、既に35年以上住んでいる。 通常喋る言語は、豪州なまりの「英語」で、 日本語を使用するのは、滅多にない! このブログを綴る時と、時々、日本に帰 京して、東京の実家に住む (英語を喋らない) 妹と対話する時とか、(日本国内に ある) 幾つかの研究所で、セミナー (学術講演) をする時だけである。
敢えて、言うならば、 我が輩には「祖国がない」か、 あるいは祖国は「地球全 体」ということになる。 少なくとも、月や火星には行ったことがないので、我が 輩は「地球人」!
目下、ウクライナとロシアの間で、一年以上、血生臭い「戦争」 (殺し合い) が続 いている! この場合、 「味方」は祖国であり、敵は 「祖国」ではない! しか しながら、どちらの国でも、言語 (母国語) は (多少なまりの違いはあっても) 「ロシア語」であり、大半は、「ロシア正教」の信者である。。。勿論、(我が輩 のごとく) 「宗教や神や仏は、まっぴら御免だ」という「科学者」(いわゆる「ダー ウイン主義者」) もいる!
従って、もし仮に (万が一) 、豪州と日本との間で、戦争が起こった場合、祖国 (=味方) の選択をせねばならなくなる! 我が輩は「殺し合い」が好きでない! 平和主義者というよりは、争いを好まない! (多少の意見の相違には、目をつぶっ て、出来るだけ) 一緒に仲良くするのが、我が輩の人生観である。 従って、(日 豪) 戦争になったら、「別の国」へ素早く移住するだろう。。
つまり、いわゆる「さ迷えるオランダ人」(ワーグナーが作曲した有名なオペラに登場する「船乗り」) である! その昔、 (米国 "NIH" で数年間ほど研究を続けていたが、結局日本に「結婚相手」を見つけて帰国した) 我が級友 (奇遇にも "ロシア語" が得意!) が、我が輩を「さ迷える日本人」だと、 他人に紹介したことがある。 国籍は死ぬまで日本人だが、我が輩の"頭の中"は、もう日本人ではない! 祖国を持たぬ「地球人」に過ぎない!
恐らく、「東西文化の架け橋」を務めた"ドナルド=キーン"も"パール=バック女史"も、 同様な「祖国」観を抱いていたろう。。。彼らは、どこの国にも属しない「国際 人」(=地球人) だった!
言い換えれば、「英語 (外国語) を話す」ことができれば、 いつまでも「祖国」にしがみつく 必要はないのである! つまり、「教養のない人間」だけが「祖国愛」を主張する。。。 「 語学」という教養を身につけると、自分が「偶々」生まれた国や土地よりもずっ と素晴らしい「自由の天地」を見い出すことができるだろう。。。 しかり! 我々「国際人」にとって、祖国とは、戦争をせぬ「自由の天地」なのである。 我が母校「日比谷」の校歌に「自由の天地」という言葉が登場する。 我々は「自由の天地」を求めて、日夜 "学問" に励んできた。。。
大学時代の同窓生で、海外で「国際結婚」して、「自由の天地」を見つけたのは、 結局 「2人」 だけとなった (同窓生の 3 % ! )。 フランスのパリ郊外に住む W 君 と、(豪州に永住した) 我が輩だけだった! もし、 ロシア語堪能な "コムラッド (同志) T 君" が 米国 (あるいはソ連) に永住すれば、 確率が "5%" に伸びたのだが。。。 彼は、「毎日、お米を食べないと、力が出ない」と、こぼしていたので、 その可能性はかなり低かった!
我が輩は海外では、 専ら (パンあるいは麺) 食だったので、「お米に飢えた」ことはない! 結局、(パリ住まいの) W 君と我が輩は、 T 君 (あるいは、その他の級友達) に比べて、「異文化」に対して、より柔軟に対応できた、ということだろう。。。
ダーウインの「適者生存」の原理により、異文化に適応するために「進化」 できないと、 いわゆる「祖国」に戻らざるを得なくなる。。。
因みに、海外在留邦人調査統計(2022年版)によると、 2021年10月1日時点で海外 に住む日本人(在留期間 3カ月以上の長期滞在者と永住者)の数は134万4900人。 「長期滞在者」は80万7238人、「永住者」は53万7662人 ( "進化率" = 総人口の僅か 0。5% !) 。
"ダーウインがやって来た":
ペンギンは他の (多くの) 鳥類と違って、空を飛べな いが、(代わりに) 海の中に潜り、翼を使って上手に泳ぎながら、魚を餌にするこ とが出来る。 これは、一種の「進化」の過程である!
「類人猿」が (ある日) 木から下りてきて、地面を「2本足」で歩き出して、「人類」へ進化したのと、 同様である。。。歴史は繰り返す!
ペンギンの (大昔の) 「祖国」は、 実は「ニュージーランド」だったが、 この列島の鳥類は空を飛べなかったので、人類が猫をもたらすと、殆んどが絶滅 した。 しかし、「賢い」ペンギンは、南氷洋を泳いで、猫の住めない (寒い) 南 極大陸に達して、生き残った! こうして、ペンギンの "新しい"「祖国」(平和な自由の天地) が「南極」 になった! 極めて興味深いことには、"南極大陸には「国家」が存在しない"ので、ペンギンの国籍 (旅券) は今でも「NZ」である!
ドナルド=キーン氏の顔を眺めていると、何故か「めがね猿」を連想するが、彼は 「極めて利口な」猿だ! 日本語や漢字を素早く「マスター」してしまう! しかしながら、(我が輩が知る限り) 、ノーベル作家「パール=バック」と違い、「新しい文学作品」を創造したわけではない!
「異文化に適応」するとは、「猿真似」をするに過ぎないが、我々「科学者」は、 それ以上のことをする: 病原/老化キナーゼ「PAK」を発見し、更に (「健康長寿」 のために) 一連の「PAK」遮断剤を発明する。 これは、「日本猿」にはできぬ 「離れ業」で ある!
ウクライナの民も、"隣の猫" (プーチン) の侵入を受けて、防戦しているが、中々勝負がつかない! プーチンがくたばるまで、 海外に避難して、「安住の地」を探さざるを得ない!
沖縄住民へ: 米軍という (獰猛な) 「猫」を避けて、海外に永住せよ!
実際、我が輩の東大時代の後輩で (沖縄出身) の「科学者」(N 博士) は (我々の指導教官の秘書で、"津田塾の英文科卒の才女" と結婚して)、 永世中立國 「スイス」に職を見つけて、 永住した! 「ペンギンの知恵」を生かそう!
"豪州の北東岸 (亜熱帯)" にあるブリスベーンやゴールドコーストには、日本から の「永住者」が多い。 (我が輩の知る限り) ここには、未だ「米軍」基地は無い! 気候が沖縄に良く似ていて、 台風に似た「サイクローン」もしばしば到来する! 勿論、砂糖キビやバナナ等が特産物である。。。 ここに、 新しい「琉球」(ウチナーンチュ) 社会を建設しよう!
<書評>『豪州へ渡ったウチナーンチュ』 "移民たちの足跡" 浮き彫りに (琉球新報):
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1423274.html
https://www.nippon.com/ja/column/g00447/
ここでは、比較的「短文」の "我が輩自身"の「祖国」観を述べよう。 我が輩は東京 で、日本人を両親に生まれた。従って、単純に考えれば、祖国とは「日本」とい うことになる。 ところが、我が輩は、日本国内に住んでいたのは、僅か31年弱 (1942- 1973 ) で、その後、海外生活を、既に49年もずっと続けている! 旅券は未だ日 本国籍だが。。。米国に約10年間、ドイツには数年、豪州のメルボルン (永住先 ) には、既に35年以上住んでいる。 通常喋る言語は、豪州なまりの「英語」で、 日本語を使用するのは、滅多にない! このブログを綴る時と、時々、日本に帰 京して、東京の実家に住む (英語を喋らない) 妹と対話する時とか、(日本国内に ある) 幾つかの研究所で、セミナー (学術講演) をする時だけである。
敢えて、言うならば、 我が輩には「祖国がない」か、 あるいは祖国は「地球全 体」ということになる。 少なくとも、月や火星には行ったことがないので、我が 輩は「地球人」!
目下、ウクライナとロシアの間で、一年以上、血生臭い「戦争」 (殺し合い) が続 いている! この場合、 「味方」は祖国であり、敵は 「祖国」ではない! しか しながら、どちらの国でも、言語 (母国語) は (多少なまりの違いはあっても) 「ロシア語」であり、大半は、「ロシア正教」の信者である。。。勿論、(我が輩 のごとく) 「宗教や神や仏は、まっぴら御免だ」という「科学者」(いわゆる「ダー ウイン主義者」) もいる!
従って、もし仮に (万が一) 、豪州と日本との間で、戦争が起こった場合、祖国 (=味方) の選択をせねばならなくなる! 我が輩は「殺し合い」が好きでない! 平和主義者というよりは、争いを好まない! (多少の意見の相違には、目をつぶっ て、出来るだけ) 一緒に仲良くするのが、我が輩の人生観である。 従って、(日 豪) 戦争になったら、「別の国」へ素早く移住するだろう。。
つまり、いわゆる「さ迷えるオランダ人」(ワーグナーが作曲した有名なオペラに登場する「船乗り」) である! その昔、 (米国 "NIH" で数年間ほど研究を続けていたが、結局日本に「結婚相手」を見つけて帰国した) 我が級友 (奇遇にも "ロシア語" が得意!) が、我が輩を「さ迷える日本人」だと、 他人に紹介したことがある。 国籍は死ぬまで日本人だが、我が輩の"頭の中"は、もう日本人ではない! 祖国を持たぬ「地球人」に過ぎない!
恐らく、「東西文化の架け橋」を務めた"ドナルド=キーン"も"パール=バック女史"も、 同様な「祖国」観を抱いていたろう。。。彼らは、どこの国にも属しない「国際 人」(=地球人) だった!
言い換えれば、「英語 (外国語) を話す」ことができれば、 いつまでも「祖国」にしがみつく 必要はないのである! つまり、「教養のない人間」だけが「祖国愛」を主張する。。。 「 語学」という教養を身につけると、自分が「偶々」生まれた国や土地よりもずっ と素晴らしい「自由の天地」を見い出すことができるだろう。。。 しかり! 我々「国際人」にとって、祖国とは、戦争をせぬ「自由の天地」なのである。 我が母校「日比谷」の校歌に「自由の天地」という言葉が登場する。 我々は「自由の天地」を求めて、日夜 "学問" に励んできた。。。
大学時代の同窓生で、海外で「国際結婚」して、「自由の天地」を見つけたのは、 結局 「2人」 だけとなった (同窓生の 3 % ! )。 フランスのパリ郊外に住む W 君 と、(豪州に永住した) 我が輩だけだった! もし、 ロシア語堪能な "コムラッド (同志) T 君" が 米国 (あるいはソ連) に永住すれば、 確率が "5%" に伸びたのだが。。。 彼は、「毎日、お米を食べないと、力が出ない」と、こぼしていたので、 その可能性はかなり低かった!
我が輩は海外では、 専ら (パンあるいは麺) 食だったので、「お米に飢えた」ことはない! 結局、(パリ住まいの) W 君と我が輩は、 T 君 (あるいは、その他の級友達) に比べて、「異文化」に対して、より柔軟に対応できた、ということだろう。。。
ダーウインの「適者生存」の原理により、異文化に適応するために「進化」 できないと、 いわゆる「祖国」に戻らざるを得なくなる。。。
因みに、海外在留邦人調査統計(2022年版)によると、 2021年10月1日時点で海外 に住む日本人(在留期間 3カ月以上の長期滞在者と永住者)の数は134万4900人。 「長期滞在者」は80万7238人、「永住者」は53万7662人 ( "進化率" = 総人口の僅か 0。5% !) 。
"ダーウインがやって来た":
ペンギンは他の (多くの) 鳥類と違って、空を飛べな いが、(代わりに) 海の中に潜り、翼を使って上手に泳ぎながら、魚を餌にするこ とが出来る。 これは、一種の「進化」の過程である!
「類人猿」が (ある日) 木から下りてきて、地面を「2本足」で歩き出して、「人類」へ進化したのと、 同様である。。。歴史は繰り返す!
ペンギンの (大昔の) 「祖国」は、 実は「ニュージーランド」だったが、 この列島の鳥類は空を飛べなかったので、人類が猫をもたらすと、殆んどが絶滅 した。 しかし、「賢い」ペンギンは、南氷洋を泳いで、猫の住めない (寒い) 南 極大陸に達して、生き残った! こうして、ペンギンの "新しい"「祖国」(平和な自由の天地) が「南極」 になった! 極めて興味深いことには、"南極大陸には「国家」が存在しない"ので、ペンギンの国籍 (旅券) は今でも「NZ」である!
ドナルド=キーン氏の顔を眺めていると、何故か「めがね猿」を連想するが、彼は 「極めて利口な」猿だ! 日本語や漢字を素早く「マスター」してしまう! しかしながら、(我が輩が知る限り) 、ノーベル作家「パール=バック」と違い、「新しい文学作品」を創造したわけではない!
「異文化に適応」するとは、「猿真似」をするに過ぎないが、我々「科学者」は、 それ以上のことをする: 病原/老化キナーゼ「PAK」を発見し、更に (「健康長寿」 のために) 一連の「PAK」遮断剤を発明する。 これは、「日本猿」にはできぬ 「離れ業」で ある!
ウクライナの民も、"隣の猫" (プーチン) の侵入を受けて、防戦しているが、中々勝負がつかない! プーチンがくたばるまで、 海外に避難して、「安住の地」を探さざるを得ない!
沖縄住民へ: 米軍という (獰猛な) 「猫」を避けて、海外に永住せよ!
実際、我が輩の東大時代の後輩で (沖縄出身) の「科学者」(N 博士) は (我々の指導教官の秘書で、"津田塾の英文科卒の才女" と結婚して)、 永世中立國 「スイス」に職を見つけて、 永住した! 「ペンギンの知恵」を生かそう!
"豪州の北東岸 (亜熱帯)" にあるブリスベーンやゴールドコーストには、日本から の「永住者」が多い。 (我が輩の知る限り) ここには、未だ「米軍」基地は無い! 気候が沖縄に良く似ていて、 台風に似た「サイクローン」もしばしば到来する! 勿論、砂糖キビやバナナ等が特産物である。。。 ここに、 新しい「琉球」(ウチナーンチュ) 社会を建設しよう!
<書評>『豪州へ渡ったウチナーンチュ』 "移民たちの足跡" 浮き彫りに (琉球新報):
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1423274.html
2023年2月24日金曜日
Withaferin A: 強力な (天然) 「PAK 遮断剤」。
水に不溶性だから、燐酸化 などで水溶化する必要あり!
Ashwagandha (冬桜んぼ あるいは 印度人参、「インド伝統」 薬草の一種) の主成
分で、ステロイドラクトンの一種。抗癌作用、消炎作用などが、かなり昔から知
られていたが、その分子的メカニズムについては、最近の研究によると、(どうや
ら) 最終的には「 PAK 」を遮断するようである。例えば、 「 PAK 」依存性のメ
ラニン色素合成を抑える (いわゆる「美白」) 作用、 や血管新生を強く抑える作
用 (IC50=12 nM !) が明らかになっている。 COVID 感染の予防や治療にも有効!
ただし、問題は、水に「不溶」なので、腸管からの吸収が悪く、その「水溶 化」が 、(近代的な) 治療薬として開発するのに絶対に必須! 十年以上昔、米国のミネソタ大学のチームによって、 "Triptolide" と呼ばれるステロイドラクトン を燐酸化することによって「水溶化」し、臨床効果を千倍近く上げるのに成功し ている。 従って、同じようなアプローチが可能であろう。。
実は、筑波市内にある「産総研」で、もう30年近く、天然物から「抗癌剤」を開 発する研究を続けているインド人の夫婦チーム (日本に帰化!) がいる。 勿論、 Ashwagandha 成分が研究の中心になっている。 ところが、20年ほど昔、 我々は、 富土フィルムの開発した「MKT-077 」と呼ばれる抗癌剤 (色素) の作用メカニズ ムを巡って、このチームと共同研究をしたという「いきさつ」から、その後も、 時々メールのやり取りを続けている。
さて、最近、この夫婦の "独り娘" (抗癌剤の研究者、博士) が結婚して、豪州 のシドニーから、 米国のオハイオ州へ移住転勤 して、最初の孫 (男の子) が誕生 した、というメールをもらった。 そればかりではなく、 この娘と (日本にいる両 親など) との共同経営で、新しい (「天然物」を売物にする) 製薬会社 (ReHeva Bio) を設立して、(詳しい話は聞いていないが)、 恐らく「Ashwagandha 成分」 などを主体とした抗癌剤の臨床テストを始める、というニュースを受け取った。 そこで、「水溶化」が (市販に向けて) 重要な「課題」であることを、(早速) 強調したところである!
もう40年も昔の話であるが、何んと線虫と培養することによって、 Withaferin A の7位と14位を共に「水酸化」することに成功したそうである。 少なくとも「細 胞培養系」では、抗癌作用は不変! 従って、「水溶化」への一助として、利用し うる可能性がある。。。
更に詳しい情報は、我々が目下企画している評伝「大海を越える東洋の女傑 (魔 女) たち」で、 紹介したいと思っている。。。
ただし、問題は、水に「不溶」なので、腸管からの吸収が悪く、その「水溶 化」が 、(近代的な) 治療薬として開発するのに絶対に必須! 十年以上昔、米国のミネソタ大学のチームによって、 "Triptolide" と呼ばれるステロイドラクトン を燐酸化することによって「水溶化」し、臨床効果を千倍近く上げるのに成功し ている。 従って、同じようなアプローチが可能であろう。。
実は、筑波市内にある「産総研」で、もう30年近く、天然物から「抗癌剤」を開 発する研究を続けているインド人の夫婦チーム (日本に帰化!) がいる。 勿論、 Ashwagandha 成分が研究の中心になっている。 ところが、20年ほど昔、 我々は、 富土フィルムの開発した「MKT-077 」と呼ばれる抗癌剤 (色素) の作用メカニズ ムを巡って、このチームと共同研究をしたという「いきさつ」から、その後も、 時々メールのやり取りを続けている。
さて、最近、この夫婦の "独り娘" (抗癌剤の研究者、博士) が結婚して、豪州 のシドニーから、 米国のオハイオ州へ移住転勤 して、最初の孫 (男の子) が誕生 した、というメールをもらった。 そればかりではなく、 この娘と (日本にいる両 親など) との共同経営で、新しい (「天然物」を売物にする) 製薬会社 (ReHeva Bio) を設立して、(詳しい話は聞いていないが)、 恐らく「Ashwagandha 成分」 などを主体とした抗癌剤の臨床テストを始める、というニュースを受け取った。 そこで、「水溶化」が (市販に向けて) 重要な「課題」であることを、(早速) 強調したところである!
もう40年も昔の話であるが、何んと線虫と培養することによって、 Withaferin A の7位と14位を共に「水酸化」することに成功したそうである。 少なくとも「細 胞培養系」では、抗癌作用は不変! 従って、「水溶化」への一助として、利用し うる可能性がある。。。
更に詳しい情報は、我々が目下企画している評伝「大海を越える東洋の女傑 (魔 女) たち」で、 紹介したいと思っている。。。
2023年2月23日木曜日
(共産党、特に"党首"に異論を表明した)
"松竹伸幸氏" がとうとう除名された!
"日本共産党" 自体の「賞味期限」も切れた!
「少数意見」を抹殺するのは、「全体主義」!
「大衆の目線」で戦う 新党「大衆党」を "早急に" 立ち上げよ!
2023年2月19日日曜日
プーチンが 「ブルータス、お前もか!」
と呟く日は、一体、何時訪れるのか?
"和風" に表現すれば 「敵は (「本能寺」ではなく) "クレムリン" にあり!」:
https://moai291.hatenablog.com/entry/2022/02/28/060148
https://moai291.hatenablog.com/entry/2022/02/28/060148
2023年2月13日月曜日
COVID 感染: 特に変異株 (オミクロン) の
鼻腔 (上皮) からの感染は "PAK" 依存性!
2023年1月号の "CELL" に発表された (米国スタンフォード大学医学部からの) 研究論文 (1) によれば、COVID 感染、特に変異株 (オミクロン) の 鼻腔 (上皮) を介する感染は 「PAK 」依存性であることが判明した! 従って、様々な "PAK遮断剤" は、「肺炎の治療」のみならず、COVID (特に、オミクロン株など) の感染の予防にも効果的であることが予想される。。。
Ref:
1. Chien-Ting Wu, Peter V Lidsky, Yinghong Xiao et al (2023).
SARS-CoV-2 replication in airway epithelia requires motile cilia and microvillar reprogramming. Cell.; 186(1):112-130.e20.
Ref:
1. Chien-Ting Wu, Peter V Lidsky, Yinghong Xiao et al (2023).
SARS-CoV-2 replication in airway epithelia requires motile cilia and microvillar reprogramming. Cell.; 186(1):112-130.e20.
田村照子博士 (1949-2021): ドイツに永住 (国際結婚!)、
「発癌」酵素 (キナーゼ) 研究に活躍、肺癌で散る!
田村さんは1949年に、東京で生まれる。(東大紛争の最中、駒場キャンパス で) 東大教養学部長だった田村 二郎 (数学) 教授 の令嬢 (次女) 。 「東京農工大学」卒業後、 東大医科研の獣医学部 (大学院)でウイルス研究を修了、農学博士を取得 (1978年) したが、 とうとう獣医にはならず、発癌のメカニズムを分子レベルで解明するため、チロシン=キナーゼの研究に 一生、没頭する。
先ず、 1979年に西独のギーセン大学 (癌/病原ウイルス部門) にポスドクとして留学し、 (女性としては、創立以来 "3人目" の) 「教授資格」 (habilitation) を取得後、 1980年代中頃から、 本格的に発癌性チロシン=キナーゼ (主に FMS etc) の解析を同僚の生化学者 Hans Niemann と開始する。 Hans の元来の専門はコロナウイルスのGlycosylation だった。 田村女史と Hans との共同研究は、 1984頃に始まったが、当初は (Hans 主導の) 「マウスコロナウイルス」(MHV-A59) の糖蛋白のglycosylation に関するものだったが、 田村女史が発癌ウイルス (FMS) に興味を変更したので、 共同研究の羅針盤はそちらへ「針路転換」した:
1991年に発表された (田村-Niemann etc 共著) の総説 (発癌性 "FMS") によれば、
(1) 正常なc-FMS とその発癌性変異体 (ウイルス由来) の違いは、後者には、7ヶ 所に変異があると共に、C末端が異なる。
(2) C端にあるThr 939 が燐酸化を受けると、ウイルスの発癌性を増す。
(3) ウイルス由来の "FMS" には、 11カ所の "N-Glycosylation" サイトがある。
(4)この Glycosylation と "細胞膜への輸送 / 取り込み" が、 ウイルスの発癌性に必須。
1987年2月に, 田村さんは Hansと結婚後、 1996年に (北独) Hannover にある 医科大学で、新しい研究室を "Set Up" するが、不幸にして、 相棒の Hans が 1999年に "病死" (死因は大腸癌!)。 Hans がハノーバーに勤務先を変更した主な理由は、当初、名門チュービンゲン大学で研究職を探していたが、適当なポジションが見つからず、母親が住む実家に近いハノーバーにある医科大学の「生化学研究所長」の地位を選んだそうである。
我が輩は、 2006年にハンブルグ大学病院 (UKE) に客員教授として滞在中に、田村さんの研究室を初めて訪れ、発癌/老化キナーゼ (PAK) に関するセミナーをやった。 研究仲間には、地元のドイツ人 (Dr. Alexandra Koch etc) だけではなく、ベトナム人、イタリア人など、"国際色豊か"だった。
不幸にして、2019年初めに、田村さんが肺癌にかかっているこ とが判明し、(放射線療法など) 然るべき治療を続けながら、研究を続行していたが、2021年5月に (71歳で) とうとう他界 !
彼女は、(我が輩同様) 「アルプス登山」が好きだったと聞いている。 東京農工大時代には、何んと馬術部に属し、さっそうとした姿で、馬をかっ歩していた。 更に、 大学院 (医科研) 時代は、世田谷にある馬事公苑で、馬術 (恐らく、障害馬術競技) の練習に励んでいたそうである。
クラシック音楽を愛し、ご自分でも、 (自宅にある) グランドピアノ (何んと "Steiner" ! ) を演奏するなど趣味の豊かな人物である。 (これは我が輩の「想像」に過ぎないが) このピアノは、 夫のハンスが彼女の誕生日 (7月12日) にプレゼントしたのではなかろうか。。。 それ程、ハンスは心が広く優しい人物 (先輩/伴侶) だったようである。 ことによると、Hans は自分の「死期」が近いのを悟って、 自分の「形見」にピアノを、愛妻のために購入したのかもしれない。 。。海外で活躍した癌分子生物学者「仲間」として、 ご夫婦の冥福を心から祈りたい。。。彼女の "自由奔放な" 人生はやや短かかったが、「充実した人生」だったと確信している。
(注):
なお、田村照子=Hans Niemann 夫妻に関する情報は、主にThomas Buerger 氏 ( IT 専門家で、Hans の死後20年近く、田村女史と親交が厚く、女史の他界2-3か 月前に、彼女と再婚) に基づく。
取り敢えず、東大農学部 (獣医学) の同窓会 (優駿会) 誌に、(田村さんに関する ) 弔辞を掲載してもらえるよう、交渉中!
http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/dosokai/index2.html
========================================================================
(我が輩の独り言): 公式の死因は「肺癌」ということになっているが、「実際の 死因」は、(副作用の強い) 放射線や抗癌剤の組み合わせで、患者の免疫能が〇に なり、COVIDに感染し、肺炎で死亡した可能性は否定できない! もし、副作用の ない「PAK 遮断剤」で治療していたら、照子さんは「短命死」せずに済んだかも しれない。。。兎に角、「覆水、盆に帰らず」!
皮肉な話であるが、「癌の専門家が癌死する」のは、さほぞ珍しくない! 十数年 前、当時 「癌研の癌化学療法センター」所長をしていた (東大薬学出身) の同級 生 (T 君) が、 肺癌で死亡した (65歳)! 全く喫煙しない人だったが、肺癌が見つかって から (いわゆる「化学療法」後) 数か月で他界した。。。彼の場合も、PAK遮断剤 を使用すれば、助かった可能性が十分あるので、極めて残念である!
ここで、"特記すべき事実"を紹介したい: 現在、「3人に1人」が癌にかかる! と ころが、ドイツの養蜂家の間では、(僅か) 「3千人に一人」の割合で、癌にかか る、という驚くべき統計が残っている! つまり、養蜂家の「癌にかかる頻度」 は、我々一般人の「千分の一 」に過ぎない!
しかも 「癌死」の例は、全く記録にない!
何故か? "最も可能性の高い" 理由 は、養蜂のいわゆる「副産物」、プロポリスと呼ばれる「PAK遮断剤」(「蜂の巣」 のアルコールエキス) が、癌を予防、かつ治療に寄与しているという (医科学的) 事実である。実は、1953年に世界最高峰 (エベレスト) を史上初めて征服したNZ 出身の登山家 (エドモント=ヒラリー郷)も "養蜂家"で、 "米寿" で他界するまで、病気の経験が全くない! といわれている。。。
なお、照子さんの姉、"渡辺" (旧姓: 小林) 咲子さんは、東大理学部卒で、 ("司法試験"をパス後) 1978年に検事任官、東京 地検などで活躍していたが、2018年の夏に、登山の最中、事故で遭難死を遂げたそうである。 併せて、哀悼の意を表したい。。。
OIST で既に10年以上、教授をしている 山本雅さん (副学長) は、CSHL主催 「RNA 腫瘍ウイルス」シンポジウム (1983年) での (運命的な) 出会い以来、(故) 田村照子女史の研究上の (長年の) 友人となった。 この歴史的なシンポジウム (1983年) で発表された "田村女史" の研究内容は, 下記の通り、雑誌「Cell」に掲載された:
Teruko Tamura, Heinz Bauer, C Birr, R Pipkorn.
Antibodies against synthetic peptides as a tool for functional analysis of the transforming protein pp60src. Cell. 1983 Sep;34(2):587-96.
(注釈):
歴史的には、最初のチロシンキナーゼ (SRC) の発見/同定には、主に2つ のグループが貢献している。その1つは、1978年に免疫沈降法を用いて、SRCがキ ナーゼの一種であることを初めて発見したレイモンド=エリクソン (コロラド大学 医学部) である。もう一つは、1980年に、SRC自身 (あるいはビンキュリン等の蛋白) のチロシン 残基を燐酸化することを発見した
トニー=ハンター (ソーク研究所) である。 田村 女史のSRC に関する研究では、これらの先人の発見に 従って、燐酸化されるSRC 残 基が「C端近くにある」ことを突き止めた。
さて、1983年のシンポジウムで、NCI/NIH の2つのグループによって、猫に寄生し て癌を発生させる RNAウイルスが「FMS 」と呼ばれるチロシンキナーゼの変異体であ ることが発表されると、田村女史は、その研究の主軸を次第に「SRC から FMS へ」 鞍替えし始める。。。
FMS は、本来、血中の M-CSF 等のサイトカイン (増殖因子) の受容体 で、マクロ ファージ等の細胞表面に存在し、 M-CSF と結合すると活性化され、細胞の増殖 (や癌化)、 炎症 (MS= multiple sclerosis etc) などに寄与している。 2010年以来、韓国ソウルにある KIST の研究グループが 一連の 「 FMS 阻害剤」 を開発しつつある。。。驚くなかれ、 2006年に、"協和発酵" (キリンビール) の研究グループが 「Ki20227」 と呼ぶ「FMS 阻害剤」を開発していた! しかしながら、臨床用としては、未だ市販されていないようだ。 市販品で、FMSを 阻害するのは、何んと (1995年頃に、「Novartis」により開発された) CML 治療薬「Gleevec」!
(残念ながら) 田村女史のグループは "FMS阻害剤の開発" には、全く興味がなさそう。 彼女のチームによる 最近の研究例を、 2013年に OIST (山本教授の研究室) で開催されたセミナーの要旨と言う形で、 ごく簡略に (邦訳) 紹介すると:
演題: THOC5 (転写/核外輸送 複合体=TREXの一員) による「初期遺伝子」の転写 制御が、増殖因子 (M-CSF) による (マクロファージなどの) 細胞分化に寄与している。
要旨 (結論) : 増殖因子により活性化されると、THOC5 が標的遺伝子に接近し、 CPSF2 (3' Processing 蛋白) に結合し、更に 標的 mRNAs に結合する。
(敢えて、"辛口の批評" をすれば) 「落ち穂拾い」の感あり! 明らかに、 かつての「馬力」を失いつつある。。。"馬" 自身が衰えたのか、"乗り手" が "手綱裁き" を間違えたか??
さて、田村女史の肺癌が発覚してから一年後に、(恐らく「後任者」の選択を巡っ て) 田村研究室で20年以上研究していた (いわゆる「大黒柱」の) Alenxandra Koch 女史と、田村女史 (室長) との間に、激しい「対立」が生じ、とうとう Koch 女史 は、母校 (ハノーバー医科大学) の別の研究室に移動した! かくして、田村女 史の「黄金時代」に幕が下りた! 詳しい事情は (我が輩には) わからないが、 (自己主張のかなり強い) 田村女史に、 いわゆる「寛容の精神」が多少欠けていたような気がする。。。
勿論、我が輩は田村女史のドイツでの「大活躍」に、好感を抱いていたが、 70歳に達し (「退官」すべき時期に)、自らの肺癌治療や後任問題で、誤った判断 を下し、 自ら「墓穴」を掘ってしまったような気がする。。。 Nobody is perfect!
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我が輩は、63歳で (18年間勤めた) メルボルンの癌研を退官したが、その直接の切っ 掛けは、所長に、いわゆる「寛容の精神」(あるいは「先見の明」) が欠けていた からである。我々の研究室では、「NF患者」のために、(安価且つ安全な) 治療薬 として、PAK遮断剤である花椒エキスやプロポリスの開発 (動物実験) を推進して いたが、所長曰く、「天然」抗癌剤の研究は、研究助成金 (グラント) や特許を もたらさないから、禁止する! 我が輩は、癌/NF患者にそっぽを向く「象牙の塔」 から、おさらばする決心をし、ドイツのハンブルグ大学病院 (UKE) のNF 研究室 に客員教授として滞在し、プロポリスによる「NF腫瘍の(増殖と転移) 抑制」実験 に初めて成功した! それは、2006年の秋だったが、ハノーバー医科大学の田村女史の研究室で、その動 物実験データを披露する "最初のセミナー" をやった。。。その時点では、 彼女は、メルボルンからの、いわゆる「反逆者」を受け入れる「寛 大な精神」を持ちあわせでいた。。。
我が輩の「反逆」のお蔭で、先ず (1) NF患者やスイゾウ癌患者にNZ産プロポリス (Bio 30) を、副作用無しの治療薬として、安価に提供出来ると共に、 (2) 線虫 を使用して、PAK 欠損/遮断により、寿命が6割も延長するという画期的な発見、 更に(3) ノーベル賞に輝く「イベルメクチン」がPAK遮断剤であることを発見、最 後に (4) ノーベル賞に輝く「クリック 化学」(CC) によって、鎮痛剤「ケトロラッ ク」のPAK遮断作用を500倍以上に高めることに成功した。 この僅か10年間の画期 的な成果は、「象牙の塔」に縛られた18年間に遥かに勝るものである。 若者よ、 真の「反逆」(造反) とは、かくあるべし!
我が輩がハンブルグに滞在し始める半年前 (2005年秋) に、ドイツに偉大な女性大 宰相が誕生した! 歴代最年少 (51歳) のアンゲラ=メルケルである。ハンブルグ 生まれで、ベルリンの壁が1990年に崩壊するまで、東独内で「量子物理学」を研 究していた。従って、英独語ばかりではなく、ロシア語を流暢に熟した。そのロ シア語に、プーチンでさえ、舌を巻いたと言われている。 さて、彼女は保守党 (CDU) の党首で、我が輩とは勿論、政治信条を異にするが、日本の自民党ほど封 建的ではないし、「旧統一教会」とは、何の関係もない! ドイツ国民からは、 (政党支持の違いを越えて) 愛称 「Die Mutti」(母さん) で呼ばれていた。
さて、西独の宰相ヘルムート=コールが、1990年に東西ドイツの統一に成功して以 来、メルケルはコールの配下に付き、(政治) 手腕をめきめきと発揮して、いわゆ る「副官」の地位につくと、「不正献金スキャンダル」事件を種に、コールをCDUの 党首から引き落とし、自分が党首に当選する。 この「造反」により、彼女は「コー ル (親父) 殺し」の異名を頂戴する。その後の総選挙で、メルケルの率いるCDU が見事に 勝利し、彼女が、「ドイツ史上初の女性宰相」となる!
さて、彼女の「引き際」も素晴らしかった! 2021年秋に、16年間の宰相「最長記録」を残し て、(潔く) 引退を発表した! 田村女史が他界したのは、その直ぐ直前だった! 宰相 "メルケル" の素晴らしい「引き際」を真似できなかったのが、誠に残念至極だった。。。
メルケル女史は、我が輩と "12歳違い" の「馬年」生まれ。 Die Mutti (美しく聡明な "反逆児" ) の「健康長寿」を心 から祈りたい! 我が輩が仮にもし、12歳ほど若かったら、「Angela, Ich liebe dich. Kann ich dich heiraten?」と、彼女 にプロホーズしたいところだが。。。勿論 「Nein! Es tut mir sehr leid」と丁重に断わられても、プロホーズしてみる価値は十 分ある。。
少なくとも、忘れかけた "ドイツ語" を思い出す絶好の機会になる!
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欧米で、「国際結婚」を果たした我々の「先輩たち」の前例:
日本人の学者で、ドイツ留学中に、ドイツの女性に (「昭和期」に入って) 初めて求婚し、相手のハートを見事に射止めたのは、京大医学部出身の有名な学者だった。 (我が輩の記憶が正しければ) 沼 正作 教授 (1929 -- 1992) である。 彼は、我が輩と同様、南独 (ミュンヘン) の郊外にある "MAX-PLANCK 研究所" (生化学専門) で、 1958年頃から 3年程, いわゆるポスドク研究をやっていた。 彼のドイツ時代の上司は Feodor Lynen 教授 (1911-1979) で、1964年にノーベル医学賞 (脂質の代謝) をもらった。 1961年に 沼さんは、 奥さん (ドイツ人) 同伴で 日本へ戻ってきて、 やがて京大医学部の「名物」教授 (研究の鬼!) になった。 沼さんも "癌" で亡くなった! 私なら、 日本には戻って来ないだろう。。。 奥さん (外人の女性) が、日本では 「窮屈な思い」をするからだ! 彼は「ドイツ語が流暢」だったが、"妻への思いやり" に多少欠けていた感がする。。。
沼さんの奥さんについては、(沼さんによる) 有名な「パワハラ」 に堪えられなくなった弟子の一人が (仇討ちに) 意地悪い「デマ」を飛ばしたようだが、 実際は (信用できる筋によると)、 奥さんは ドイツの鉄鋼王 (「クルップ」?) の令嬢だったが、父親 (鉄鋼王) が巌として結婚 (言わば「駆け落ち」!) を許さなかったので! 結局、離婚して、 故国に戻ったそうである。。。
実は、"沼 正作" 以前に、ドイツ女性と結婚した日本の「大先輩」 ( "明治時代" の学者) がいた! 長 井長義 (1845-1929) 、 東大医学部 卒の薬学博士である。 「エフェドリン」(喘息の特効薬) の発 見で有名! ベルリン大学(留学) 時代にテレザ女史と結婚したエピソードは, 下記のごとく:
ドイツ留学中、上司のホフマン教授 (革新的な有機化学者「リービッヒ」の弟子) は、長井をベルリン大学に留めておきたいと考え、一計を案じる! 先ず、 ドイツ人女性の素晴らしさを強調して、婚姻を勧めた。 更に、 長井には内緒で、下宿先のラーガシュトレーム夫人(Marie von Lagerstrom)に仲介 (いわゆる「仲人」) を依頼した。 こういった (公私併せた周囲の) 尽力 (御膳立て) が実り、 ギーセン大学でのリービッヒ銅像除幕式の帰路、フランクフルトのホテルで テレザ・シューマッハと遭遇 (!) した。 ベルリン滞在 "14年後" にようやく正式に結婚し、日本へ一緒に帰国して「長井テレザ」 となる。
長井教授は、自身の研究のみならず、テレザ夫人と共に「女子教育」にも力を入れ、日本女子大学や雙葉会・雙葉学園 への設立協力と化学教育の推進など、女子教育の向上にも貢献した。 従って、(妻に "離縁状" を突き付けた) "沼 正作" (研究の鬼!) とは違って、オシドリ夫婦で、日本社会 (特に "女子の地位") の向上にも大いに貢献をした (「先見の明」のあった) 国際人だった。 この (薬学界の) 「大先輩」から学ぶべき教訓は多い。。。
詳しくは、飯沼信子 著『長井長義とテレーゼ : 日本薬学の開祖』日本薬学会 (2003年) を参照されたし。 著者の飯沼さんは、米国ロサンゼルスで "日系日本人" (飯沼星光) と結婚した日本人女性で、(実は) 我が輩の友人。 2000年頃に、(海外経験のある "我々科学者" が企画した) 評伝「パール=バック女史」の邦訳出版に 協力してくれた、 いわゆる「七人の侍」 (大半が女性!) の一人だった。 彼女は伝記作家で、野口英世や高嶺譲吉など、日本の有名な科学者や芸術家で、 外人女性と結婚し、 海外で活躍した人物の夫婦生活を題材に数点の評伝を出版したが、 2018年に86歳の生涯を閉じた。 実は、我が輩 (夫婦) の評伝も執筆したい、 と折々に述べていたが、 (我が輩自身の "不甲斐無さ" のためか) 、作家の方が 先立ってしまった! 従って、メルケル女史に習い、自分で「回顧録」を執筆しなければならないが、(有名な) メルケル女史と違って、(未だ「偉人」のジャンルに達していない) 我が輩の後半生を, 一体誰が読んでくれるかわからない。。。 というわけで、(故) 飯沼さんに代わって、少なくとも、(国際結婚で活躍した) 田 村女史の「生涯」(後半生) を、 何らかの形で、 "日本の将来を担う若い女性たち" へ 紹介したい、 と思っている。。。
実は、科学者ではないが、国際結婚して海外で活躍している有名な日本女性がいる。 歴史作家の塩野七生さん (1937年7月7日生まれ!) である。 我が母校 (日比谷) の (数年) 先輩で、学習院大学の文学部を卒業後、海外万遊の末、結局 ローマに 永住して、イタリア人の男性 (医師) と結婚して、主に 「古代ローマ」史小説を ("半世紀" に渡り) 手懸けて いる。 2000年まで、首相をやっていた (故) 小渕 恵三さん (早大文学部卒、 1937-2000) と親交が厚かったと聞いている。。。学習院と早稲田は距離的にも近い!
(極めて) 奇妙な「偶然」であるが、塩野さん、田村さん、そして我が妻 (ギリシャ系の数学者、言わば「ピタゴラスの子孫」!) は、 3人共、牛 (丑) 年生まれ、然も 「7月生まれ」である。 共通に言える性格は、「自由奔放で、 然も頭脳明晰」、かつ (後半生を) "海外" で活躍している事である! 海外生活は、言わば「冒険の連続」であるから、何が起ころうと、軽く受け流せる「柔軟な」性格がないと、長続きしない!
実は、(我が輩自身は) 塩野さんの著書を一つも読んだことはないが、"書評" だけを読むと、 その政治的思想は、 ちょっと古風 (保守的) である。 彼女が「古代ギリシャ」ではなく、「古代ローマ」を選んだ理由が、何んとなく、 理解できるような気がする。 つまり、彼女の「民主主義」は、"治める側" (政治家) の目線で、 "治められる側" (庶民) の目線ではない!
シェークスピアの作品に出てくる有名なシーザーの言葉: 「ブルータス、お前もか? 」を、仮に拝借すると、 我が輩の立場が「ブルータス」に近いとすれば、 彼女の立場 は (ルビコン河を敢えて渡って進軍した) シーザー将軍に近い! いみじくも、 メルケル女史は (我が輩同様) 「ブルータス」の立場 (いわゆる「コール」殺し) をとった! 我が輩が「一定の距離」を保ちながら、メルケル女史をこよなく尊敬 (あるいは愛着) するのは、そういう「歴史的」な背景がある。。。
なお、メルケル女史の政治経歴については、佐藤伸行著「世界最強の女帝: メルケルの謎」(2016年、文春新書) による。 著者は、早大出身で、時事通信社のドイツ支局 (ベルリン/ハンブルグ等) で、1990年頃から10年以上、ドイツ再統一前後及 びその後の政局を取材していた、"ベテラン" ジャーナリスト。
我が輩は、「一体何故、日本にはメルケル女史の如き "聡明" な「女傑」が登場しないのか? 」としばしば自問する。。。 かつて、土井タカ子 (社会党の党首) が、首相に なりかけた瞬間、「誰」かが ("自社連立" 政権の首相) にでしゃばり出て、とうとう社会党全体を 潰してしまった! その「罪」は、許し難いほど "極めて" 大!
最後に一言: (我が輩の知る限り) 過去百余年の長い歴史上、東京市長あるいは都 知事から、首相になった事例は皆無! 従って、(もし) 都知事が首相になったな らば、「日本史上」初の出来事となる。。。 しかしながら、"西独" の歴史を紐解くと、 1969年頃に、(首都) ベルリン市長のウイ リー=ブラント (1913-1992、SPD) が、見事に "首相" (宰相、1969-1974) になった!
従って、 全く "不可能" とは言えない!
実は、ブラント首相は、就任後の翌年 (12月)、ポーランドの首都ワルシャワを訪れて、(戦 争中に惨殺された) ユダヤ人達の慰霊碑の前で、(西独首相として初めて) 深く膝 まずき、ナチ政府の蛮行を謝罪して、世界中の話題になった! もし、 都知事が 同じようなジェスチャーを (例えば) 韓国や中国で、実行する覚悟があれば、首相に当選す る可能性が大幅に "飛躍"するだろう。。
つまり、 "我々" (真面目な) 有権者は 政治家の「懐の深さ」に共鳴するのだ!
日本で首相の「在任最長記録」を誇った (故) 安倍普三氏は、「懐が浅かった」ばかりではなく、教養も全くなかった (「云々」と言う漢字を「でんでん」と読んで、日本中の"小中学生"をあっと驚かせた!)。 「義務教育」以下の教養で、日本を 「一体何処へ」導こうとしていたのだろうか?
現在の都知事は、 (故 "石原" 都知事に比べれば) かなり教養が高そうだし、英語やアラビア語も喋れるようなので、(「メルケル」女史ほどではないにしても) 多少期待が持てる。。。
先ず、 1979年に西独のギーセン大学 (癌/病原ウイルス部門) にポスドクとして留学し、 (女性としては、創立以来 "3人目" の) 「教授資格」 (habilitation) を取得後、 1980年代中頃から、 本格的に発癌性チロシン=キナーゼ (主に FMS etc) の解析を同僚の生化学者 Hans Niemann と開始する。 Hans の元来の専門はコロナウイルスのGlycosylation だった。 田村女史と Hans との共同研究は、 1984頃に始まったが、当初は (Hans 主導の) 「マウスコロナウイルス」(MHV-A59) の糖蛋白のglycosylation に関するものだったが、 田村女史が発癌ウイルス (FMS) に興味を変更したので、 共同研究の羅針盤はそちらへ「針路転換」した:
1991年に発表された (田村-Niemann etc 共著) の総説 (発癌性 "FMS") によれば、
(1) 正常なc-FMS とその発癌性変異体 (ウイルス由来) の違いは、後者には、7ヶ 所に変異があると共に、C末端が異なる。
(2) C端にあるThr 939 が燐酸化を受けると、ウイルスの発癌性を増す。
(3) ウイルス由来の "FMS" には、 11カ所の "N-Glycosylation" サイトがある。
(4)この Glycosylation と "細胞膜への輸送 / 取り込み" が、 ウイルスの発癌性に必須。
1987年2月に, 田村さんは Hansと結婚後、 1996年に (北独) Hannover にある 医科大学で、新しい研究室を "Set Up" するが、不幸にして、 相棒の Hans が 1999年に "病死" (死因は大腸癌!)。 Hans がハノーバーに勤務先を変更した主な理由は、当初、名門チュービンゲン大学で研究職を探していたが、適当なポジションが見つからず、母親が住む実家に近いハノーバーにある医科大学の「生化学研究所長」の地位を選んだそうである。
我が輩は、 2006年にハンブルグ大学病院 (UKE) に客員教授として滞在中に、田村さんの研究室を初めて訪れ、発癌/老化キナーゼ (PAK) に関するセミナーをやった。 研究仲間には、地元のドイツ人 (Dr. Alexandra Koch etc) だけではなく、ベトナム人、イタリア人など、"国際色豊か"だった。
不幸にして、2019年初めに、田村さんが肺癌にかかっているこ とが判明し、(放射線療法など) 然るべき治療を続けながら、研究を続行していたが、2021年5月に (71歳で) とうとう他界 !
彼女は、(我が輩同様) 「アルプス登山」が好きだったと聞いている。 東京農工大時代には、何んと馬術部に属し、さっそうとした姿で、馬をかっ歩していた。 更に、 大学院 (医科研) 時代は、世田谷にある馬事公苑で、馬術 (恐らく、障害馬術競技) の練習に励んでいたそうである。
クラシック音楽を愛し、ご自分でも、 (自宅にある) グランドピアノ (何んと "Steiner" ! ) を演奏するなど趣味の豊かな人物である。 (これは我が輩の「想像」に過ぎないが) このピアノは、 夫のハンスが彼女の誕生日 (7月12日) にプレゼントしたのではなかろうか。。。 それ程、ハンスは心が広く優しい人物 (先輩/伴侶) だったようである。 ことによると、Hans は自分の「死期」が近いのを悟って、 自分の「形見」にピアノを、愛妻のために購入したのかもしれない。 。。海外で活躍した癌分子生物学者「仲間」として、 ご夫婦の冥福を心から祈りたい。。。彼女の "自由奔放な" 人生はやや短かかったが、「充実した人生」だったと確信している。
(注):
なお、田村照子=Hans Niemann 夫妻に関する情報は、主にThomas Buerger 氏 ( IT 専門家で、Hans の死後20年近く、田村女史と親交が厚く、女史の他界2-3か 月前に、彼女と再婚) に基づく。
取り敢えず、東大農学部 (獣医学) の同窓会 (優駿会) 誌に、(田村さんに関する ) 弔辞を掲載してもらえるよう、交渉中!
http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/dosokai/index2.html
========================================================================
(我が輩の独り言): 公式の死因は「肺癌」ということになっているが、「実際の 死因」は、(副作用の強い) 放射線や抗癌剤の組み合わせで、患者の免疫能が〇に なり、COVIDに感染し、肺炎で死亡した可能性は否定できない! もし、副作用の ない「PAK 遮断剤」で治療していたら、照子さんは「短命死」せずに済んだかも しれない。。。兎に角、「覆水、盆に帰らず」!
皮肉な話であるが、「癌の専門家が癌死する」のは、さほぞ珍しくない! 十数年 前、当時 「癌研の癌化学療法センター」所長をしていた (東大薬学出身) の同級 生 (T 君) が、 肺癌で死亡した (65歳)! 全く喫煙しない人だったが、肺癌が見つかって から (いわゆる「化学療法」後) 数か月で他界した。。。彼の場合も、PAK遮断剤 を使用すれば、助かった可能性が十分あるので、極めて残念である!
ここで、"特記すべき事実"を紹介したい: 現在、「3人に1人」が癌にかかる! と ころが、ドイツの養蜂家の間では、(僅か) 「3千人に一人」の割合で、癌にかか る、という驚くべき統計が残っている! つまり、養蜂家の「癌にかかる頻度」 は、我々一般人の「千分の一 」に過ぎない!
しかも 「癌死」の例は、全く記録にない!
何故か? "最も可能性の高い" 理由 は、養蜂のいわゆる「副産物」、プロポリスと呼ばれる「PAK遮断剤」(「蜂の巣」 のアルコールエキス) が、癌を予防、かつ治療に寄与しているという (医科学的) 事実である。実は、1953年に世界最高峰 (エベレスト) を史上初めて征服したNZ 出身の登山家 (エドモント=ヒラリー郷)も "養蜂家"で、 "米寿" で他界するまで、病気の経験が全くない! といわれている。。。
なお、照子さんの姉、"渡辺" (旧姓: 小林) 咲子さんは、東大理学部卒で、 ("司法試験"をパス後) 1978年に検事任官、東京 地検などで活躍していたが、2018年の夏に、登山の最中、事故で遭難死を遂げたそうである。 併せて、哀悼の意を表したい。。。
OIST で既に10年以上、教授をしている 山本雅さん (副学長) は、CSHL主催 「RNA 腫瘍ウイルス」シンポジウム (1983年) での (運命的な) 出会い以来、(故) 田村照子女史の研究上の (長年の) 友人となった。 この歴史的なシンポジウム (1983年) で発表された "田村女史" の研究内容は, 下記の通り、雑誌「Cell」に掲載された:
Teruko Tamura, Heinz Bauer, C Birr, R Pipkorn.
Antibodies against synthetic peptides as a tool for functional analysis of the transforming protein pp60src. Cell. 1983 Sep;34(2):587-96.
(注釈):
歴史的には、最初のチロシンキナーゼ (SRC) の発見/同定には、主に2つ のグループが貢献している。その1つは、1978年に免疫沈降法を用いて、SRCがキ ナーゼの一種であることを初めて発見したレイモンド=エリクソン (コロラド大学 医学部) である。もう一つは、1980年に、SRC自身 (あるいはビンキュリン等の蛋白) のチロシン 残基を燐酸化することを発見した
トニー=ハンター (ソーク研究所) である。 田村 女史のSRC に関する研究では、これらの先人の発見に 従って、燐酸化されるSRC 残 基が「C端近くにある」ことを突き止めた。
さて、1983年のシンポジウムで、NCI/NIH の2つのグループによって、猫に寄生し て癌を発生させる RNAウイルスが「FMS 」と呼ばれるチロシンキナーゼの変異体であ ることが発表されると、田村女史は、その研究の主軸を次第に「SRC から FMS へ」 鞍替えし始める。。。
FMS は、本来、血中の M-CSF 等のサイトカイン (増殖因子) の受容体 で、マクロ ファージ等の細胞表面に存在し、 M-CSF と結合すると活性化され、細胞の増殖 (や癌化)、 炎症 (MS= multiple sclerosis etc) などに寄与している。 2010年以来、韓国ソウルにある KIST の研究グループが 一連の 「 FMS 阻害剤」 を開発しつつある。。。驚くなかれ、 2006年に、"協和発酵" (キリンビール) の研究グループが 「Ki20227」 と呼ぶ「FMS 阻害剤」を開発していた! しかしながら、臨床用としては、未だ市販されていないようだ。 市販品で、FMSを 阻害するのは、何んと (1995年頃に、「Novartis」により開発された) CML 治療薬「Gleevec」!
(残念ながら) 田村女史のグループは "FMS阻害剤の開発" には、全く興味がなさそう。 彼女のチームによる 最近の研究例を、 2013年に OIST (山本教授の研究室) で開催されたセミナーの要旨と言う形で、 ごく簡略に (邦訳) 紹介すると:
演題: THOC5 (転写/核外輸送 複合体=TREXの一員) による「初期遺伝子」の転写 制御が、増殖因子 (M-CSF) による (マクロファージなどの) 細胞分化に寄与している。
要旨 (結論) : 増殖因子により活性化されると、THOC5 が標的遺伝子に接近し、 CPSF2 (3' Processing 蛋白) に結合し、更に 標的 mRNAs に結合する。
(敢えて、"辛口の批評" をすれば) 「落ち穂拾い」の感あり! 明らかに、 かつての「馬力」を失いつつある。。。"馬" 自身が衰えたのか、"乗り手" が "手綱裁き" を間違えたか??
さて、田村女史の肺癌が発覚してから一年後に、(恐らく「後任者」の選択を巡っ て) 田村研究室で20年以上研究していた (いわゆる「大黒柱」の) Alenxandra Koch 女史と、田村女史 (室長) との間に、激しい「対立」が生じ、とうとう Koch 女史 は、母校 (ハノーバー医科大学) の別の研究室に移動した! かくして、田村女 史の「黄金時代」に幕が下りた! 詳しい事情は (我が輩には) わからないが、 (自己主張のかなり強い) 田村女史に、 いわゆる「寛容の精神」が多少欠けていたような気がする。。。
勿論、我が輩は田村女史のドイツでの「大活躍」に、好感を抱いていたが、 70歳に達し (「退官」すべき時期に)、自らの肺癌治療や後任問題で、誤った判断 を下し、 自ら「墓穴」を掘ってしまったような気がする。。。 Nobody is perfect!
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我が輩は、63歳で (18年間勤めた) メルボルンの癌研を退官したが、その直接の切っ 掛けは、所長に、いわゆる「寛容の精神」(あるいは「先見の明」) が欠けていた からである。我々の研究室では、「NF患者」のために、(安価且つ安全な) 治療薬 として、PAK遮断剤である花椒エキスやプロポリスの開発 (動物実験) を推進して いたが、所長曰く、「天然」抗癌剤の研究は、研究助成金 (グラント) や特許を もたらさないから、禁止する! 我が輩は、癌/NF患者にそっぽを向く「象牙の塔」 から、おさらばする決心をし、ドイツのハンブルグ大学病院 (UKE) のNF 研究室 に客員教授として滞在し、プロポリスによる「NF腫瘍の(増殖と転移) 抑制」実験 に初めて成功した! それは、2006年の秋だったが、ハノーバー医科大学の田村女史の研究室で、その動 物実験データを披露する "最初のセミナー" をやった。。。その時点では、 彼女は、メルボルンからの、いわゆる「反逆者」を受け入れる「寛 大な精神」を持ちあわせでいた。。。
我が輩の「反逆」のお蔭で、先ず (1) NF患者やスイゾウ癌患者にNZ産プロポリス (Bio 30) を、副作用無しの治療薬として、安価に提供出来ると共に、 (2) 線虫 を使用して、PAK 欠損/遮断により、寿命が6割も延長するという画期的な発見、 更に(3) ノーベル賞に輝く「イベルメクチン」がPAK遮断剤であることを発見、最 後に (4) ノーベル賞に輝く「クリック 化学」(CC) によって、鎮痛剤「ケトロラッ ク」のPAK遮断作用を500倍以上に高めることに成功した。 この僅か10年間の画期 的な成果は、「象牙の塔」に縛られた18年間に遥かに勝るものである。 若者よ、 真の「反逆」(造反) とは、かくあるべし!
我が輩がハンブルグに滞在し始める半年前 (2005年秋) に、ドイツに偉大な女性大 宰相が誕生した! 歴代最年少 (51歳) のアンゲラ=メルケルである。ハンブルグ 生まれで、ベルリンの壁が1990年に崩壊するまで、東独内で「量子物理学」を研 究していた。従って、英独語ばかりではなく、ロシア語を流暢に熟した。そのロ シア語に、プーチンでさえ、舌を巻いたと言われている。 さて、彼女は保守党 (CDU) の党首で、我が輩とは勿論、政治信条を異にするが、日本の自民党ほど封 建的ではないし、「旧統一教会」とは、何の関係もない! ドイツ国民からは、 (政党支持の違いを越えて) 愛称 「Die Mutti」(母さん) で呼ばれていた。
さて、西独の宰相ヘルムート=コールが、1990年に東西ドイツの統一に成功して以 来、メルケルはコールの配下に付き、(政治) 手腕をめきめきと発揮して、いわゆ る「副官」の地位につくと、「不正献金スキャンダル」事件を種に、コールをCDUの 党首から引き落とし、自分が党首に当選する。 この「造反」により、彼女は「コー ル (親父) 殺し」の異名を頂戴する。その後の総選挙で、メルケルの率いるCDU が見事に 勝利し、彼女が、「ドイツ史上初の女性宰相」となる!
さて、彼女の「引き際」も素晴らしかった! 2021年秋に、16年間の宰相「最長記録」を残し て、(潔く) 引退を発表した! 田村女史が他界したのは、その直ぐ直前だった! 宰相 "メルケル" の素晴らしい「引き際」を真似できなかったのが、誠に残念至極だった。。。
メルケル女史は、我が輩と "12歳違い" の「馬年」生まれ。 Die Mutti (美しく聡明な "反逆児" ) の「健康長寿」を心 から祈りたい! 我が輩が仮にもし、12歳ほど若かったら、「Angela, Ich liebe dich. Kann ich dich heiraten?」と、彼女 にプロホーズしたいところだが。。。勿論 「Nein! Es tut mir sehr leid」と丁重に断わられても、プロホーズしてみる価値は十 分ある。。
少なくとも、忘れかけた "ドイツ語" を思い出す絶好の機会になる!
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欧米で、「国際結婚」を果たした我々の「先輩たち」の前例:
日本人の学者で、ドイツ留学中に、ドイツの女性に (「昭和期」に入って) 初めて求婚し、相手のハートを見事に射止めたのは、京大医学部出身の有名な学者だった。 (我が輩の記憶が正しければ) 沼 正作 教授 (1929 -- 1992) である。 彼は、我が輩と同様、南独 (ミュンヘン) の郊外にある "MAX-PLANCK 研究所" (生化学専門) で、 1958年頃から 3年程, いわゆるポスドク研究をやっていた。 彼のドイツ時代の上司は Feodor Lynen 教授 (1911-1979) で、1964年にノーベル医学賞 (脂質の代謝) をもらった。 1961年に 沼さんは、 奥さん (ドイツ人) 同伴で 日本へ戻ってきて、 やがて京大医学部の「名物」教授 (研究の鬼!) になった。 沼さんも "癌" で亡くなった! 私なら、 日本には戻って来ないだろう。。。 奥さん (外人の女性) が、日本では 「窮屈な思い」をするからだ! 彼は「ドイツ語が流暢」だったが、"妻への思いやり" に多少欠けていた感がする。。。
沼さんの奥さんについては、(沼さんによる) 有名な「パワハラ」 に堪えられなくなった弟子の一人が (仇討ちに) 意地悪い「デマ」を飛ばしたようだが、 実際は (信用できる筋によると)、 奥さんは ドイツの鉄鋼王 (「クルップ」?) の令嬢だったが、父親 (鉄鋼王) が巌として結婚 (言わば「駆け落ち」!) を許さなかったので! 結局、離婚して、 故国に戻ったそうである。。。
実は、"沼 正作" 以前に、ドイツ女性と結婚した日本の「大先輩」 ( "明治時代" の学者) がいた! 長 井長義 (1845-1929) 、 東大医学部 卒の薬学博士である。 「エフェドリン」(喘息の特効薬) の発 見で有名! ベルリン大学(留学) 時代にテレザ女史と結婚したエピソードは, 下記のごとく:
ドイツ留学中、上司のホフマン教授 (革新的な有機化学者「リービッヒ」の弟子) は、長井をベルリン大学に留めておきたいと考え、一計を案じる! 先ず、 ドイツ人女性の素晴らしさを強調して、婚姻を勧めた。 更に、 長井には内緒で、下宿先のラーガシュトレーム夫人(Marie von Lagerstrom)に仲介 (いわゆる「仲人」) を依頼した。 こういった (公私併せた周囲の) 尽力 (御膳立て) が実り、 ギーセン大学でのリービッヒ銅像除幕式の帰路、フランクフルトのホテルで テレザ・シューマッハと遭遇 (!) した。 ベルリン滞在 "14年後" にようやく正式に結婚し、日本へ一緒に帰国して「長井テレザ」 となる。
長井教授は、自身の研究のみならず、テレザ夫人と共に「女子教育」にも力を入れ、日本女子大学や雙葉会・雙葉学園 への設立協力と化学教育の推進など、女子教育の向上にも貢献した。 従って、(妻に "離縁状" を突き付けた) "沼 正作" (研究の鬼!) とは違って、オシドリ夫婦で、日本社会 (特に "女子の地位") の向上にも大いに貢献をした (「先見の明」のあった) 国際人だった。 この (薬学界の) 「大先輩」から学ぶべき教訓は多い。。。
詳しくは、飯沼信子 著『長井長義とテレーゼ : 日本薬学の開祖』日本薬学会 (2003年) を参照されたし。 著者の飯沼さんは、米国ロサンゼルスで "日系日本人" (飯沼星光) と結婚した日本人女性で、(実は) 我が輩の友人。 2000年頃に、(海外経験のある "我々科学者" が企画した) 評伝「パール=バック女史」の邦訳出版に 協力してくれた、 いわゆる「七人の侍」 (大半が女性!) の一人だった。 彼女は伝記作家で、野口英世や高嶺譲吉など、日本の有名な科学者や芸術家で、 外人女性と結婚し、 海外で活躍した人物の夫婦生活を題材に数点の評伝を出版したが、 2018年に86歳の生涯を閉じた。 実は、我が輩 (夫婦) の評伝も執筆したい、 と折々に述べていたが、 (我が輩自身の "不甲斐無さ" のためか) 、作家の方が 先立ってしまった! 従って、メルケル女史に習い、自分で「回顧録」を執筆しなければならないが、(有名な) メルケル女史と違って、(未だ「偉人」のジャンルに達していない) 我が輩の後半生を, 一体誰が読んでくれるかわからない。。。 というわけで、(故) 飯沼さんに代わって、少なくとも、(国際結婚で活躍した) 田 村女史の「生涯」(後半生) を、 何らかの形で、 "日本の将来を担う若い女性たち" へ 紹介したい、 と思っている。。。
実は、科学者ではないが、国際結婚して海外で活躍している有名な日本女性がいる。 歴史作家の塩野七生さん (1937年7月7日生まれ!) である。 我が母校 (日比谷) の (数年) 先輩で、学習院大学の文学部を卒業後、海外万遊の末、結局 ローマに 永住して、イタリア人の男性 (医師) と結婚して、主に 「古代ローマ」史小説を ("半世紀" に渡り) 手懸けて いる。 2000年まで、首相をやっていた (故) 小渕 恵三さん (早大文学部卒、 1937-2000) と親交が厚かったと聞いている。。。学習院と早稲田は距離的にも近い!
(極めて) 奇妙な「偶然」であるが、塩野さん、田村さん、そして我が妻 (ギリシャ系の数学者、言わば「ピタゴラスの子孫」!) は、 3人共、牛 (丑) 年生まれ、然も 「7月生まれ」である。 共通に言える性格は、「自由奔放で、 然も頭脳明晰」、かつ (後半生を) "海外" で活躍している事である! 海外生活は、言わば「冒険の連続」であるから、何が起ころうと、軽く受け流せる「柔軟な」性格がないと、長続きしない!
実は、(我が輩自身は) 塩野さんの著書を一つも読んだことはないが、"書評" だけを読むと、 その政治的思想は、 ちょっと古風 (保守的) である。 彼女が「古代ギリシャ」ではなく、「古代ローマ」を選んだ理由が、何んとなく、 理解できるような気がする。 つまり、彼女の「民主主義」は、"治める側" (政治家) の目線で、 "治められる側" (庶民) の目線ではない!
シェークスピアの作品に出てくる有名なシーザーの言葉: 「ブルータス、お前もか? 」を、仮に拝借すると、 我が輩の立場が「ブルータス」に近いとすれば、 彼女の立場 は (ルビコン河を敢えて渡って進軍した) シーザー将軍に近い! いみじくも、 メルケル女史は (我が輩同様) 「ブルータス」の立場 (いわゆる「コール」殺し) をとった! 我が輩が「一定の距離」を保ちながら、メルケル女史をこよなく尊敬 (あるいは愛着) するのは、そういう「歴史的」な背景がある。。。
なお、メルケル女史の政治経歴については、佐藤伸行著「世界最強の女帝: メルケルの謎」(2016年、文春新書) による。 著者は、早大出身で、時事通信社のドイツ支局 (ベルリン/ハンブルグ等) で、1990年頃から10年以上、ドイツ再統一前後及 びその後の政局を取材していた、"ベテラン" ジャーナリスト。
我が輩は、「一体何故、日本にはメルケル女史の如き "聡明" な「女傑」が登場しないのか? 」としばしば自問する。。。 かつて、土井タカ子 (社会党の党首) が、首相に なりかけた瞬間、「誰」かが ("自社連立" 政権の首相) にでしゃばり出て、とうとう社会党全体を 潰してしまった! その「罪」は、許し難いほど "極めて" 大!
最後に一言: (我が輩の知る限り) 過去百余年の長い歴史上、東京市長あるいは都 知事から、首相になった事例は皆無! 従って、(もし) 都知事が首相になったな らば、「日本史上」初の出来事となる。。。 しかしながら、"西独" の歴史を紐解くと、 1969年頃に、(首都) ベルリン市長のウイ リー=ブラント (1913-1992、SPD) が、見事に "首相" (宰相、1969-1974) になった!
従って、 全く "不可能" とは言えない!
実は、ブラント首相は、就任後の翌年 (12月)、ポーランドの首都ワルシャワを訪れて、(戦 争中に惨殺された) ユダヤ人達の慰霊碑の前で、(西独首相として初めて) 深く膝 まずき、ナチ政府の蛮行を謝罪して、世界中の話題になった! もし、 都知事が 同じようなジェスチャーを (例えば) 韓国や中国で、実行する覚悟があれば、首相に当選す る可能性が大幅に "飛躍"するだろう。。
つまり、 "我々" (真面目な) 有権者は 政治家の「懐の深さ」に共鳴するのだ!
日本で首相の「在任最長記録」を誇った (故) 安倍普三氏は、「懐が浅かった」ばかりではなく、教養も全くなかった (「云々」と言う漢字を「でんでん」と読んで、日本中の"小中学生"をあっと驚かせた!)。 「義務教育」以下の教養で、日本を 「一体何処へ」導こうとしていたのだろうか?
現在の都知事は、 (故 "石原" 都知事に比べれば) かなり教養が高そうだし、英語やアラビア語も喋れるようなので、(「メルケル」女史ほどではないにしても) 多少期待が持てる。。。
2023年2月8日水曜日
ブルーベリーエキス: 線虫の寿命を "4 割" も延ばす!
アントシアニンとプテロスチルベン(PTE)が主成分
2006年に米国ボルチモアにあるNIA (国立老化研究所) のキャスリン・ウオ
ルコウ 博士のグループが、ブルーベリー・エキスで、線虫の寿命を延ばすことに
成功した。その翌年に、米国オハイオ州のトレド大学の(ロシア出身の)マリア・
ディアコノーバ博士の研究室により、PAKがJAK2と呼ばれるチロシンキナー
ゼによって、直接活性化されることが明らかにされた。
更に、2013年に、中国の研究グループによって、ブルーベリー・エキス 中のプテロスチルベン (PTE) が キナーゼ "JAK2" を直接阻害すること によって、PAKを遮断すると共に、大腸癌や骨髄肉腫細胞の増殖を抑えること が発見された。PTEは、レスベラトロール(R3)の誘導体で、3位と5位の 水酸基がメチル化されているため、R3より腸内からの吸収が速やかである。面 白いことには、PTE の化学構造が (JAK2を直接阻害する) 合成薬品AG4 90のそれと良く類似している。
前述したが、我々の研究結果 (2013年) によれば、PAK遮断剤は線虫の寿 命を延ばす働きがある。言い換えれば、ブルーベリーの延命効果は、PAK遮断 剤である 「PTEとアントシアニンによる相乗効果」である可能性が高い。 従って、いわゆる「抗癌剤」 (副作用あり!) の代わりに、もし、ブルーベリー、 プロポリス、あるいは Gleevec 等の「PAK遮断剤」 (副作用がない!) を使用し ていたら、田村照子女史は、肺癌から解放されるばかりではなく、後20年ほど余 計に長生きできた "可能性" がある。。。
更に、2013年に、中国の研究グループによって、ブルーベリー・エキス 中のプテロスチルベン (PTE) が キナーゼ "JAK2" を直接阻害すること によって、PAKを遮断すると共に、大腸癌や骨髄肉腫細胞の増殖を抑えること が発見された。PTEは、レスベラトロール(R3)の誘導体で、3位と5位の 水酸基がメチル化されているため、R3より腸内からの吸収が速やかである。面 白いことには、PTE の化学構造が (JAK2を直接阻害する) 合成薬品AG4 90のそれと良く類似している。
前述したが、我々の研究結果 (2013年) によれば、PAK遮断剤は線虫の寿 命を延ばす働きがある。言い換えれば、ブルーベリーの延命効果は、PAK遮断 剤である 「PTEとアントシアニンによる相乗効果」である可能性が高い。 従って、いわゆる「抗癌剤」 (副作用あり!) の代わりに、もし、ブルーベリー、 プロポリス、あるいは Gleevec 等の「PAK遮断剤」 (副作用がない!) を使用し ていたら、田村照子女史は、肺癌から解放されるばかりではなく、後20年ほど余 計に長生きできた "可能性" がある。。。
2023年2月3日金曜日
我が恩師 (水野伝一教授) から学んだ事:
大腸菌内のリボゾーム顆粒の "消長" ?
マグネシウムの "存否" により生じる
蛋白合成を伴わぬ "RNA" の分解/合成
一体何が「人生の最後の傑作」になるか?
太平洋戦争が終わってから何年か経た後、生物学 (特に分子生物学) 界に新しい思想 (考え方) が誕生し始めた。 細胞内にある様々な顆粒、例えば、染色体の周囲に発達する紡錘体 (チューブリンの重合体) やアクチン線維などが消長するのは、蛋白の分解/合成によるのではなく、単にチューブリンやアクチンの「解離や重合」によるものである、という考え方が流行し始めた。 それを日本国内で、真っ先に受け入れたのが、我が輩の恩師である東大薬学部の微生物/分子生物学者、水野伝一教授だった! その水野教室に加わった我が輩 (修士の院生) が真っ先に挑戦したのが、大腸菌で蛋白合成に必須なリボゾームという「蛋白とRNA の合体」の消長のメカニズムだった。大腸菌は通常、マグネシウムの存在下で培養するが、培地からマグネシウムを除くと、増殖が停止する。 その主な理由は、リボゾームが崩壊し、蛋白合成ができなくなるからである。ところが、培地にマグネシウムを添加すると、ある程度のラグ (潜伏期間) の後、リボゾームが再生され、菌が増殖し始める!
我が輩の修士研究テーマは、その消長の分子的メカニズムを詳しく解明することだった。我が輩は、マグネシウム欠損状態ではリボゾームが存在しないから、蛋白合成が不可能! 従って、マグネシウム添加後に生ずるリボゾーム顆粒は、「残存していたリボゾーム蛋白」と新しく合成されたRNA が再結合した、と結論した! 実際、マグネシウム欠乏下では、RNAがRNase によって分解され、マグネシウム添加によって、RNAが新生された。 従って、理論的には、マグネシウム欠乏下でも、リボゾーム蛋白は細胞内に残存しているはず、そこで、それを実証するために、マグネシウム欠乏下の大腸菌エキスに、精製したリボゾームRNA を添加して、(試験管内で) 適当な条件の下、リボゾーム顆粒の再生に成功した!
実は、この成功に基づいて、博士号取得/渡米後、レスターの研究室に弟子入りして、先ず巨大アメーバで、「核移植」なる極意をマスターした上、「核膜の消長」の問題に果敢に挑戦したという、訳である。勿論、我が恩師 (水野伝一教授) は、その大成功を一番喜んでくれた! 実は、水野先生夫妻には、娘さんが2人いたが、長女は我が輩と殆んど同じ年頃で、芸大の音楽科で、「作曲家」志望だった。次女については良く知らないが、矢張り文系だった印象がある。従って、(授業料免除と奨学金で何とか食い繋いでいた「貧乏学生」だが、手助けをすれば、将来何とか物になりそうな) 我が輩を、言わば「息子代わり」に良く面倒をみてくれた。先生の奥さんも理系で、「予研」時代、先生の研究相棒 (助手) だった。。。然も、先生の出身中学 (旧制一中) は、我が輩の出身高校 (「日比谷」) の前身という、極めて幸運な関係があった。。。
更に、結婚相手になる女性を何度か紹介されたが、実は我が輩は, いわゆる「研究アニマル」(恐れ多くも「画家」にたとえれば、ミケランジェロやゴッホ等) で、育児に余り興味がなかったので、結局45歳に達して、身 (経歴) が固まるまで、未婚の女性と結婚するのは控えていた (海外で、「長期的な定職」に就くのは "至難の業" である!)。 むしろ、既婚で、 (成人になった) 息子や娘をもった年輩の女性を海外で、探すことにした。。。言い換えれば、来るべき世代に余り期待せず、我が輩自らの世代で、できれば「何か」を成し遂げたかった! つまり、我が亡父により、「自分のエベレストをめざす」(特別の使命を果たす) ように、育てられてきた!
我が輩に、「封建的な」日本社会で仕事をする気が全くないことを、 (1973年の夏休みに、我が輩が横浜の桟橋から渡米/船出する時に、見送りに来てくれた) 我が恩師も良く心得ていた。 1980年の夏、我が輩が西独のミュンヘンにあるMAX-PLANCK研究所に転勤して間もな く (1-2年後) 、水野先生から突然、電話をもらった! 何事かと思ったら、今、 音楽の都「ザルツブルグ」 (映画「Sounds of Music」の舞台) にいるが、これか らミュンヘンに列車で向かうので、ミュンヘンで会おう! という伝言だった。 クラシック音楽の好きな先生は、東大を退官したばかりで、久し振りに海外旅行 を楽しんでいた。娘さん (作曲家) から「ザルツブルグ音楽祭」のチケットをも らったので、欧州に遊びにやってきたそうである。先生をミュンヘン駅で出迎え ると、連れの若い女性がいた。 列車の中で、一緒になったそうである。米国の教 師だがドイツ生まれ (Susanne Knabe) 。 一緒に食事をした後、先生は (昔の留学 先) 英国 に経つので、「スザンヌを宜しく頼む!」 といわれた。 その日は、土 曜日だったので、その晩は研究所のゲストハウスに泊まってもらい、翌日、ミュ ンヘンの南国境にある有名な "三角山" (Alpspitze、海抜 2630 m) へ案内し、一 緒に登山を楽しんだ。 (頭のやや鈍い) 我が輩でも、「先生の意図」は心得てい たので、 その後、しばらく、 ニューヨークの "芸術家の村" (Greenwich Village) に住む彼女と文通を続け、 ニューヨークにも訪ねたが、結婚には至らなかった。。。
この芸術家の村は、オー・ヘンリー (本名: William Porter, 1862-1910) の有名な短編小説「最後の一葉」の舞台。年老 いた画家が、(重い肺炎にかかった) 若い女性の命を救うために、(病室の窓辺から見え る) 塀に残る蔦の「最後の一葉」が強風に吹き飛ばされた直後、(風雨の真夜中) その一葉を壁に描いて、彼女を絶望的な病気から救うことができたが、(代わりに) 老人自身が重い肺炎に かかって、間もなく亡くなった! 結局、 この一葉が彼の「最後の傑作」となった!
実は、この短編は、作者が公金横領の疑いで服役中に書かれた作品である。 刑務 所の窓から、塀に伸びる蔦の葉っぱの数を数えながら、最後の一葉が枯れ落ちる 頃には、自分も出所できるぞ、と期待しながら、蔦を眺めている内に、一瞬、こ の「短編」のアイディアが閃いたのかもしれない。。。全く同じ風景を見ても、 受け止める印象は人により「千差万別」である。。。 さて、 NY の "Greenwich Village" に住んでいたSuzanne Knabe 女史は当時30歳前後 だったから、現在は70歳前後のはずだが、インターネットの情報によると、未だ NY のBrox で、職業訓練所の上級指導教官として、活躍しているようである。。。
女史に初めて会ってから数年後に、我が輩がカルフォルニアの南端、San Diego にある UCSD に転勤した時、下宿した家 の主 (年輩の女性で、 4名の成人した息子や娘たちをもった "数学" の教師、ギリシャ系だから、ピタゴラスの子孫) と、親しくなり、丁度 "45歳" 寸前に結婚し、鎌倉の大船に住む水野先生夫妻を訪ね、(ようやく) 「結婚報告」を済ませた。 それが、(我々にとって) "先生との出会い" の最後になった。 その後間もなく、先生はかなり重度の認知症にかかり、自宅近くの老人ホームで、 テニスや油絵などを楽しみながら、余生を過ごしたそうである。
東大薬学教授に就任する数年前に、先生は英国で一年間、いわゆる留学研究生活を 送ったが、その際、チャーチル元首相が趣味の油絵をやっていることを知って、自 分も油絵を描き始めようになったと聞いている。 更に、今の上皇夫妻が未だ「皇太子」夫妻だった頃、先生がテニスのお相手をしばしばなさったそうである。。。
我が輩の修士研究テーマは、その消長の分子的メカニズムを詳しく解明することだった。我が輩は、マグネシウム欠損状態ではリボゾームが存在しないから、蛋白合成が不可能! 従って、マグネシウム添加後に生ずるリボゾーム顆粒は、「残存していたリボゾーム蛋白」と新しく合成されたRNA が再結合した、と結論した! 実際、マグネシウム欠乏下では、RNAがRNase によって分解され、マグネシウム添加によって、RNAが新生された。 従って、理論的には、マグネシウム欠乏下でも、リボゾーム蛋白は細胞内に残存しているはず、そこで、それを実証するために、マグネシウム欠乏下の大腸菌エキスに、精製したリボゾームRNA を添加して、(試験管内で) 適当な条件の下、リボゾーム顆粒の再生に成功した!
実は、この成功に基づいて、博士号取得/渡米後、レスターの研究室に弟子入りして、先ず巨大アメーバで、「核移植」なる極意をマスターした上、「核膜の消長」の問題に果敢に挑戦したという、訳である。勿論、我が恩師 (水野伝一教授) は、その大成功を一番喜んでくれた! 実は、水野先生夫妻には、娘さんが2人いたが、長女は我が輩と殆んど同じ年頃で、芸大の音楽科で、「作曲家」志望だった。次女については良く知らないが、矢張り文系だった印象がある。従って、(授業料免除と奨学金で何とか食い繋いでいた「貧乏学生」だが、手助けをすれば、将来何とか物になりそうな) 我が輩を、言わば「息子代わり」に良く面倒をみてくれた。先生の奥さんも理系で、「予研」時代、先生の研究相棒 (助手) だった。。。然も、先生の出身中学 (旧制一中) は、我が輩の出身高校 (「日比谷」) の前身という、極めて幸運な関係があった。。。
更に、結婚相手になる女性を何度か紹介されたが、実は我が輩は, いわゆる「研究アニマル」(恐れ多くも「画家」にたとえれば、ミケランジェロやゴッホ等) で、育児に余り興味がなかったので、結局45歳に達して、身 (経歴) が固まるまで、未婚の女性と結婚するのは控えていた (海外で、「長期的な定職」に就くのは "至難の業" である!)。 むしろ、既婚で、 (成人になった) 息子や娘をもった年輩の女性を海外で、探すことにした。。。言い換えれば、来るべき世代に余り期待せず、我が輩自らの世代で、できれば「何か」を成し遂げたかった! つまり、我が亡父により、「自分のエベレストをめざす」(特別の使命を果たす) ように、育てられてきた!
我が輩に、「封建的な」日本社会で仕事をする気が全くないことを、 (1973年の夏休みに、我が輩が横浜の桟橋から渡米/船出する時に、見送りに来てくれた) 我が恩師も良く心得ていた。 1980年の夏、我が輩が西独のミュンヘンにあるMAX-PLANCK研究所に転勤して間もな く (1-2年後) 、水野先生から突然、電話をもらった! 何事かと思ったら、今、 音楽の都「ザルツブルグ」 (映画「Sounds of Music」の舞台) にいるが、これか らミュンヘンに列車で向かうので、ミュンヘンで会おう! という伝言だった。 クラシック音楽の好きな先生は、東大を退官したばかりで、久し振りに海外旅行 を楽しんでいた。娘さん (作曲家) から「ザルツブルグ音楽祭」のチケットをも らったので、欧州に遊びにやってきたそうである。先生をミュンヘン駅で出迎え ると、連れの若い女性がいた。 列車の中で、一緒になったそうである。米国の教 師だがドイツ生まれ (Susanne Knabe) 。 一緒に食事をした後、先生は (昔の留学 先) 英国 に経つので、「スザンヌを宜しく頼む!」 といわれた。 その日は、土 曜日だったので、その晩は研究所のゲストハウスに泊まってもらい、翌日、ミュ ンヘンの南国境にある有名な "三角山" (Alpspitze、海抜 2630 m) へ案内し、一 緒に登山を楽しんだ。 (頭のやや鈍い) 我が輩でも、「先生の意図」は心得てい たので、 その後、しばらく、 ニューヨークの "芸術家の村" (Greenwich Village) に住む彼女と文通を続け、 ニューヨークにも訪ねたが、結婚には至らなかった。。。
この芸術家の村は、オー・ヘンリー (本名: William Porter, 1862-1910) の有名な短編小説「最後の一葉」の舞台。年老 いた画家が、(重い肺炎にかかった) 若い女性の命を救うために、(病室の窓辺から見え る) 塀に残る蔦の「最後の一葉」が強風に吹き飛ばされた直後、(風雨の真夜中) その一葉を壁に描いて、彼女を絶望的な病気から救うことができたが、(代わりに) 老人自身が重い肺炎に かかって、間もなく亡くなった! 結局、 この一葉が彼の「最後の傑作」となった!
実は、この短編は、作者が公金横領の疑いで服役中に書かれた作品である。 刑務 所の窓から、塀に伸びる蔦の葉っぱの数を数えながら、最後の一葉が枯れ落ちる 頃には、自分も出所できるぞ、と期待しながら、蔦を眺めている内に、一瞬、こ の「短編」のアイディアが閃いたのかもしれない。。。全く同じ風景を見ても、 受け止める印象は人により「千差万別」である。。。 さて、 NY の "Greenwich Village" に住んでいたSuzanne Knabe 女史は当時30歳前後 だったから、現在は70歳前後のはずだが、インターネットの情報によると、未だ NY のBrox で、職業訓練所の上級指導教官として、活躍しているようである。。。
女史に初めて会ってから数年後に、我が輩がカルフォルニアの南端、San Diego にある UCSD に転勤した時、下宿した家 の主 (年輩の女性で、 4名の成人した息子や娘たちをもった "数学" の教師、ギリシャ系だから、ピタゴラスの子孫) と、親しくなり、丁度 "45歳" 寸前に結婚し、鎌倉の大船に住む水野先生夫妻を訪ね、(ようやく) 「結婚報告」を済ませた。 それが、(我々にとって) "先生との出会い" の最後になった。 その後間もなく、先生はかなり重度の認知症にかかり、自宅近くの老人ホームで、 テニスや油絵などを楽しみながら、余生を過ごしたそうである。
東大薬学教授に就任する数年前に、先生は英国で一年間、いわゆる留学研究生活を 送ったが、その際、チャーチル元首相が趣味の油絵をやっていることを知って、自 分も油絵を描き始めようになったと聞いている。 更に、今の上皇夫妻が未だ「皇太子」夫妻だった頃、先生がテニスのお相手をしばしばなさったそうである。。。
2023年2月2日木曜日
(長生きの) 我が恩師: Lester Goldstein 博士 (1924- )
巨大アメーバの「核移植」の名人!
神の存在を否定する「ダーウイン学派」
細胞分裂期の "核膜" の消長?
我が輩が1973年7月に、横浜から船便で渡米した最初の目的地は、米国中西部 (ロッ
キー山脈の山麓、ボールダーにある) コロラド大学のレスター=ゴールドシュタイ
ン教授の生物学研究室だった。 ここで、最初のポスドク生活 (一年間) を送った。
レスターは我が輩が当地に到着してから数カ月後に、50歳の誕生日を迎えたが、
(顕微鏡下) 巨大アメーバ (Amoeba proteus) の核移植をこなす(数少ない) 「名
人」の一人だった。ユダヤ系の学者だったが、我が輩が受けた印象では
如何なる宗教にも無関心のようだった。勿論、クリスマス(降誕祭) は子供たちの
ために祝うが、教会に行く様子はみられなかった。 ごく最近初めて確認したのだ
が、レスターは、神の存在を否定する「ダーウイン学派」(Freedom from Religion
Foundation) の会員だった! つまり、人類の祖先は (旧約聖書に書かれている
天地創造に基づく「アダムとイブ」ではなく)、猿などの類人猿 から、 "ランダム
な" 突然変異を経て、環境に最も適するよう「選択的に」「進化」してきた、 つまり「ダーウイ
ンの進化論」を、我が輩同様、そのまま受け入れているようである。
さて、レスターの研究室で、我が輩が行なった "アメーバ研究" について、ごく簡略に述べた い。 アメーバを初め、全ての有核細胞は、細胞分裂の直前に核膜が消失し、細胞 分裂の直後に核膜が再現される。 先ず気付いたのは、細胞分裂や核膜の再現は、蛋 白合成を阻害しても起こる! つまり、核膜を構成している (少なくとも) 「核蛋 白」は、既存の蛋白が一端 (細胞質内に一様に) 分散して、分裂後に再構成され ると考えられる。 さて、角膜の「脂質」は一体どうだろうか? それが、我が輩 の主な研究テーマだった。 その為には、先ず、アメーバ全体の脂質をアイソトー プでラベル後、核だけを取り出し、それをラベルされていない (然も予め脱核した) アメーバに移植する必要がある。 そこで、直径 500 ミクロンもある巨大アメーバ を研究材料として選んだわけである。 核移植後、そのラベルされた「核膜由来の脂 質」が、(細胞分裂の前後で) 一体どう挙動するかを "ラジオオートグラフィー" で追 跡観察するのが、主なテーマだった。
結論:
(ラベルされた) 核膜の脂質は (核膜の蛋白同様)、細胞分裂の直前に、細胞質に一様に分散 し、分裂後、2つの新しい核膜に均等に分布することが判明した。つまり、核膜の 解離と再構成が、「脂質や蛋白の合成無し」 に進行することが証明された!
REF:
H Maruta, L Goldstein (1975).
The fate and origin of the nuclear envelope during and after mitosis in Amoeba proteus. I. Synthesis and behavior of phospholipids of the nuclear envelope during the cell life cycle.
J Cell Biol. ;65(3):631-45.
追記:
米国の留学先を自分で選定するために、先ず太田次郎 (お茶大教授) 著「ア メーバ:生命の原型を探る」(NHK ブックス) を読んだ後、先ず (ロッキー山麓で ) 巨大アメーバの「核移植」に挑戦することに決めた。
"細胞及び核に損傷なく"、アメーバの核移植をマスターするのは、極めて高度なテク ニックと「辛抱強さ」が要求される。先ず、(ホッケーのボールを扱うような) 繊 細なガラス棒を自分で細工し、(朝早くから) 顕微鏡下で長い間、作業をしている と、ストレスが急速に貯まり、昼飯後は、"気晴らし" にテニスを2-3時間やらないと、 精神がもたない! 御蔭で、別のポスドク (女性) とテニスをやる機会がしばし ばあったので、かなりテニスの腕も上がった。。。当時、核移植の実験を常時やっ ていたのは、レスターとその助手 (クリスチンという年輩の中国系の女性) と我 が輩だけだった。
さて、核膜の解離と再構成についての我々による大発見から、既に半世紀ほど経て いるが、そのメカニズムの詳細については、ESCRT 等 2, 3 の蛋白が同定されて いるが、全貌は未だ掴めていないようである。 我が輩の直感によれば、ある種の「キ ナーゼ」(Aurora B etc) が両現象を誘導していると予想される。。。ただし、「PAK 1」無しに細胞分裂は進むので、少なくとも
"PAK 1" は関与していない!
Latest reviews:
1. Alexander von Appen , Dollie LaJoie, Isabel Johnson , Michael Trnka , Sarah Pick , Alma Burlingame, Katharine Ullman, et al (2020).
LEM2 phase separation promotes ESCRT-mediated nuclear envelope reformation.
Nature; 582(7810):115-118.
2. Stefano Sechi, Roberto Piergentili, Maria Grazia Giansanti (2022).
Minor Kinases with Major Roles in Cytokinesis Regulation. Cells.;11(22):3639.
さて、レスターの研究室で、我が輩が行なった "アメーバ研究" について、ごく簡略に述べた い。 アメーバを初め、全ての有核細胞は、細胞分裂の直前に核膜が消失し、細胞 分裂の直後に核膜が再現される。 先ず気付いたのは、細胞分裂や核膜の再現は、蛋 白合成を阻害しても起こる! つまり、核膜を構成している (少なくとも) 「核蛋 白」は、既存の蛋白が一端 (細胞質内に一様に) 分散して、分裂後に再構成され ると考えられる。 さて、角膜の「脂質」は一体どうだろうか? それが、我が輩 の主な研究テーマだった。 その為には、先ず、アメーバ全体の脂質をアイソトー プでラベル後、核だけを取り出し、それをラベルされていない (然も予め脱核した) アメーバに移植する必要がある。 そこで、直径 500 ミクロンもある巨大アメーバ を研究材料として選んだわけである。 核移植後、そのラベルされた「核膜由来の脂 質」が、(細胞分裂の前後で) 一体どう挙動するかを "ラジオオートグラフィー" で追 跡観察するのが、主なテーマだった。
結論:
(ラベルされた) 核膜の脂質は (核膜の蛋白同様)、細胞分裂の直前に、細胞質に一様に分散 し、分裂後、2つの新しい核膜に均等に分布することが判明した。つまり、核膜の 解離と再構成が、「脂質や蛋白の合成無し」 に進行することが証明された!
REF:
H Maruta, L Goldstein (1975).
The fate and origin of the nuclear envelope during and after mitosis in Amoeba proteus. I. Synthesis and behavior of phospholipids of the nuclear envelope during the cell life cycle.
J Cell Biol. ;65(3):631-45.
追記:
米国の留学先を自分で選定するために、先ず太田次郎 (お茶大教授) 著「ア メーバ:生命の原型を探る」(NHK ブックス) を読んだ後、先ず (ロッキー山麓で ) 巨大アメーバの「核移植」に挑戦することに決めた。
"細胞及び核に損傷なく"、アメーバの核移植をマスターするのは、極めて高度なテク ニックと「辛抱強さ」が要求される。先ず、(ホッケーのボールを扱うような) 繊 細なガラス棒を自分で細工し、(朝早くから) 顕微鏡下で長い間、作業をしている と、ストレスが急速に貯まり、昼飯後は、"気晴らし" にテニスを2-3時間やらないと、 精神がもたない! 御蔭で、別のポスドク (女性) とテニスをやる機会がしばし ばあったので、かなりテニスの腕も上がった。。。当時、核移植の実験を常時やっ ていたのは、レスターとその助手 (クリスチンという年輩の中国系の女性) と我 が輩だけだった。
さて、核膜の解離と再構成についての我々による大発見から、既に半世紀ほど経て いるが、そのメカニズムの詳細については、ESCRT 等 2, 3 の蛋白が同定されて いるが、全貌は未だ掴めていないようである。 我が輩の直感によれば、ある種の「キ ナーゼ」(Aurora B etc) が両現象を誘導していると予想される。。。ただし、「PAK 1」無しに細胞分裂は進むので、少なくとも
"PAK 1" は関与していない!
Latest reviews:
1. Alexander von Appen , Dollie LaJoie, Isabel Johnson , Michael Trnka , Sarah Pick , Alma Burlingame, Katharine Ullman, et al (2020).
LEM2 phase separation promotes ESCRT-mediated nuclear envelope reformation.
Nature; 582(7810):115-118.
2. Stefano Sechi, Roberto Piergentili, Maria Grazia Giansanti (2022).
Minor Kinases with Major Roles in Cytokinesis Regulation. Cells.;11(22):3639.
2023年2月1日水曜日
胃潰瘍/胃癌の原因: 胃腸内のピロリ菌
ピロリ菌の感染には、宿主 (胃腸) 細胞内のPAKが必須!
"PAK" 遮断剤 (酸乳等) で胃潰瘍/胃癌を治療しうる!
実は、2月14日 (バレンタインデー) は我が亡父 (1905-1988) の誕生日。京大独文学の秀才だったが、残念ながら、慢性胃潰瘍や、その "進歩的な" 思想 (社会/自由/平和主義) がたたって、(戦争中に) 教職を追われ、敗戦直後、 (恐らく日本では) 史上初の「主夫」(家政夫) となり、我々 (子供) の養育/教育に一生を捧げた。 皮肉にも、亡父は、胃潰瘍の主因は「ストレス」だと、長らく信じ込んでいたが、実は、そうではなかった!
1983年 (我が輩が豪州に永住する5年前) に、豪州の西豪州 (WA) 大学のロビン・ウォレン博士とバリー・マーシャル博士が胃の中にいるピロリ菌の培養に成功し、これが胃炎・胃潰瘍の原因の一つであることを (身を持って) 実証した。この業績により、2005年に、両人へノーベル医学賞が授与された。
現在ではピロリ菌の研究が進み、慢性胃炎、胃潰瘍・十二指腸潰瘍の原因ばかりではなく、「胃がん」 との関連性についても証明されている。さて、哺乳類の ”PAK” がクローンされたのは、1994年であり、このキナーゼが発癌一般に必須であることが、我々などによって明らかにされたのは、1990年代の末である。 更に、韓国の研究者によって、2007年に、ピロリ菌による感染に (PAKの活性化に必須である) SH3 蛋白 「 PIX 」が必須であることが発見された! つまり、胃潰瘍/胃癌には、「PAKが必要不可欠」であることが判明したわけである。
さて、エーザイでは、胃潰瘍の治療薬として、「セルベックス」という薬が開発され、1984年から市販された。 しかし、その分子レベルのメカニズムは余り良くわかってはいなかった。 ところが、 (水島 徹著「HSPと分子シャペロン」によれば) 徳島大学の研究チームによって、この胃腸薬が「熱ショック蛋白」 (HSP) 遺伝子の発現を活性化することが発見された。
2007年頃に我々は、線虫の実験で、PAKを遮断すると、(HSP) 遺伝子の発現を活性化することを発見した。 言い換えれば、「セルベックス」は、「PAK遮断剤」なのである! 従って、胃潰瘍や胃癌の治療ばかりではなく、健康長寿に役立つはずである。
実際、2022年の研究論文によると、線虫をセルベックス (GGA) で処理すると、 寿命が有意に伸びることが証明された (1)。 更に、GGA は「認知症モデル」 の線虫の症状軽減にも寄与する。従って、明らか に、「BBB」を通過する!
前述したが、ヨーグルトや酸乳飲料 (「カルピス」等 ) をもたらす乳酸菌は、 PAK遮断剤である「酪酸」を生産するから、これらの酸乳製品で、胃潰瘍/胃癌を 「食餌療法」しうる。 つまり、乳酸菌で、「鬼」 (ピロリ菌) 退治 (「桃太郎」の現代版)!
参考文献:
1. Isiah Mossiah, Sabrina M Perez, Taylor R Stanley et al (2022) .
Geranylgeranylacetone (GGA) Ameliorates Beta-Amyloid Toxicity and Extends Lifespan via the Heat Shock Response in Caenorhabditis elegans. Front Aging.; 3:846977.
1983年 (我が輩が豪州に永住する5年前) に、豪州の西豪州 (WA) 大学のロビン・ウォレン博士とバリー・マーシャル博士が胃の中にいるピロリ菌の培養に成功し、これが胃炎・胃潰瘍の原因の一つであることを (身を持って) 実証した。この業績により、2005年に、両人へノーベル医学賞が授与された。
現在ではピロリ菌の研究が進み、慢性胃炎、胃潰瘍・十二指腸潰瘍の原因ばかりではなく、「胃がん」 との関連性についても証明されている。さて、哺乳類の ”PAK” がクローンされたのは、1994年であり、このキナーゼが発癌一般に必須であることが、我々などによって明らかにされたのは、1990年代の末である。 更に、韓国の研究者によって、2007年に、ピロリ菌による感染に (PAKの活性化に必須である) SH3 蛋白 「 PIX 」が必須であることが発見された! つまり、胃潰瘍/胃癌には、「PAKが必要不可欠」であることが判明したわけである。
さて、エーザイでは、胃潰瘍の治療薬として、「セルベックス」という薬が開発され、1984年から市販された。 しかし、その分子レベルのメカニズムは余り良くわかってはいなかった。 ところが、 (水島 徹著「HSPと分子シャペロン」によれば) 徳島大学の研究チームによって、この胃腸薬が「熱ショック蛋白」 (HSP) 遺伝子の発現を活性化することが発見された。
2007年頃に我々は、線虫の実験で、PAKを遮断すると、(HSP) 遺伝子の発現を活性化することを発見した。 言い換えれば、「セルベックス」は、「PAK遮断剤」なのである! 従って、胃潰瘍や胃癌の治療ばかりではなく、健康長寿に役立つはずである。
実際、2022年の研究論文によると、線虫をセルベックス (GGA) で処理すると、 寿命が有意に伸びることが証明された (1)。 更に、GGA は「認知症モデル」 の線虫の症状軽減にも寄与する。従って、明らか に、「BBB」を通過する!
前述したが、ヨーグルトや酸乳飲料 (「カルピス」等 ) をもたらす乳酸菌は、 PAK遮断剤である「酪酸」を生産するから、これらの酸乳製品で、胃潰瘍/胃癌を 「食餌療法」しうる。 つまり、乳酸菌で、「鬼」 (ピロリ菌) 退治 (「桃太郎」の現代版)!
参考文献:
1. Isiah Mossiah, Sabrina M Perez, Taylor R Stanley et al (2022) .
Geranylgeranylacetone (GGA) Ameliorates Beta-Amyloid Toxicity and Extends Lifespan via the Heat Shock Response in Caenorhabditis elegans. Front Aging.; 3:846977.
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