2021年9月27日月曜日

豪州の亜熱帯都市ブリスベンに避寒を目指す一老人の話

東京五輪 (2021年) 開催中に、豪州のブリスベンが2032年の夏期五輪開催地に落 着! さて、ブリスベンは、我々が住んでいるメルボルンから、海岸沿いに、約 1700 km 北上した (豪州では、メルボルンとシドニーにつぐ、第3 の) 都市 (人 口は、約200万人) にあり、冬でも温かい、いわゆる「亜熱帯気候の地」である。 日本でいえば、ちょうど奄美大島や沖縄列島に近い 気候。。。沖縄県の全人口 が150万人だから、それより、やや多くの人口を抱える大都市である。沖縄と違っ て、(バス以外に) 長距離 (夜行) 列車や市内(通学/通勤) 電車が、常時運転され ている文化都市。 ただし、市電は1960年代末まであったようだが、(残念ながら ) 東京都と同様、とうとう廃止になってしまったそうである。。。ブリスベンの 直ぐ南の海岸沿いに、「ゴールドコースト」と呼ばれる町並があり、日本からも 多くの引退した老人夫婦が、老後をゆったり楽しむため、住み着いているといわ れている。。。
さて、 メルボルン郊外に住む一風変わった知人の話をしよう。彼の愛称は「チャーリー」 だが、元々は東京生まれの「江戸っ子」である。 太平洋戦争の最中に、ドイツ 語を話す父親と、米語を話す母親から生まれた長男である。その後間もなく、2人 の妹が生まれた。。。 この三人兄妹は、ちょうど朝鮮戦争があった頃、集団小児 結核に感染し、5カ月の休学 (自宅療養) を強いられたが、幸い、母親の勤務先で ある駐留軍 (GHQ) から、特効薬 "PAS" を入手でき、九死に一生を得た! その 後、長男は、隣番地にある区立中学をトップで卒業し、都立高校「日比谷」で勉 学、東大薬学部で博士号を取得後、海外でずっと癌研究などを続けている。 米国 に10年、西独のマックス=プランク研究所に数年勤務後、はるばる赤道を渡って、 豪州のメルボルンにある国際癌研究所に20年近く勤務後、63歳で自発的に引退し、 我々が住むメルボルンの近郊にある一軒屋 (実は、1956年メルボルン五輪中の選手村) に、10年ほど昔、独身で移り住んでき た。 物静かな人物で、庭木を植えたり、塀や家の壁に、ペンキで壁画を描くのを、 趣味にしている。。。
チャーリーの (最大の) 悩みの種 (?) は、低血圧だそうだ。 メルボルンは南 極に近く、真冬になると、手足の血行が悪くなり、しばしば膝下に悪性の凍傷が できるそうである。そこで、引退後、毎年冬になると、北半球の日本や欧州の夏 に、3カ月ほど避寒する習慣になっていた。 ところが、昨年以来、コロナウイルス の世界的な感染により、海外渡航が難しくなってきた。そこで、今冬は、豪州内 の亜熱帯小都市「ケアーンズ」(ブリスベーンの更に北方、1700 km) に、2カ月強、 滞在した。しかしながら、(長期の) 滞在費用をけん約するため、(一泊 2000円の ) ユースホステル (ひと部屋に4人) に宿泊したため、酷いいびきをかく多くの客 に悩まされ、熟睡ができなかった!
そこで、来年 (冬) からは、ユースホステルを諦めて、(亜熱帯にある) 個人の安 い下宿に、長期滞在する計画を立てつつある。。。というのは、ブリスベーンに ある安宿は、あいにく「学生用」ばかりで、70歳を越えた老人には、利用できな い。そこで、チャーリーは急きょ、作戦を立て直した。。。先ず、主に老人で独 身を相手にした、いわゆる「デート」欄を、豪州内のon-line で探し当てた。そ こで、自分の略歴や趣味を掲載し、ブリスベーンに住む独身女性宅 (アパートか一 軒屋) の一室を冬期だけ3-4カ月ほど、下宿 (賃借り) をしたい、といういささか 奇抜な広告を載せた、そうだ。 場合によっては、(趣味や暮らし向きが一致すれ ば) 所帯を一緒に持つ可能性も仄めかした。 すると、毎日のように、40-70 歳ま での幅広い女性層から、問い合わせが殺到したという。。。その内から、チャー リーにマッチしそうなスイス系のドイツ人 (60歳) に絞ってみた。夫はアメリカ 人だが、数年前に自動車事故で、他界したそうである。この未亡人は、ブリスベー ン市内に (3つの寝室のある) アパートに住んでいるようだ。 意外にも「下宿代は無料で良い」と未亡人に言われ、チャーリーはいささか恐縮している。。。
未亡人には、20歳くらいの娘が独りおり、目下、スイス南部にある「シオン」と 呼ばれる美しい山麓の町 (フランス語を話す地区) で、祖母と一緒に暮らしなが ら、大学で法律を専門に勉強しているそうだが、来年に卒業後、ブリスベーンに 移住してくる予定だそうだ。 チャーリーは、この親子同様、ドイツ語と英語を 自由に話す。 ということで、来冬は、ブリスベーンで母子と一緒に避寒をする可 能性がある。 チャーリーは、若い頃、登山家 (アルピニスト) だった。機会があ れば、この娘と一緒に久しぶりにスイスを訪れ、シオンの山々をハイキングする かもしれない。。。この老人の奇抜なアイディアは、一部、エディー=ジェイク著 「世界で一番幸せな男」と、どうやら老人自身の昔の体験に由来するらしい。。。 首尾良く「歴史」を繰り返してみる 作戦 らしい。
因みに、下宿人が下宿の婆さんと(結婚はしないにしても) 所帯を共にする例は、 古今東西かなり多い。 「百名山」で有名な深田久弥の前妻は、児童文学者 (北畠 八穂) だが、離婚後、鎌倉に独り住んでいた。そこへ下宿してきた東大農学部出身の 書生 (下宿人) は、のちに「シートンの動物記」を初めて訳して有名になった白柳美彦だった。 結局、この女流作家が死ぬまで、30年以上、手厚く面倒をみたという。。。
コロナ感染が最終的に終息して、海外渡航が再び自由になれば、涼しい北海道 (例えば、道東の"釧路") の (夏の) 牧場で、毎年 3カ月ほど、避寒を楽しむという選択肢も出てくるが、一体いつの日になるかわからない。。

2021年9月12日日曜日

ベストセラー: エディー=ジェイク著「最も幸運な男」(The Happiest Man on Earth) : アウシュビッツ収容所で
生き残り、豪州に移住したユダヤ人の手記

著者は、百歳を越える豪州人であるが、その昔、ドイツの"文豪ゲーテ"や"作曲家バッハ" 等を生んだライプチッヒで育ったポーランド系のユダヤ人だった。 1938年にヒットラーがドイツで政権を取るや、ナチスによる全国的な「ユダヤ人の迫害」が開始され、著者を含めて、家族全体がいわゆる「ユダヤ人狩り」に遭い、ポーランド南部 (チェコとの国境近く) にあるユダヤ人強制収容所に送られ、著者自身とその妹以外の家族は、両親を含めて全て、ガス室で殺害された。 しかし、幸い、機械工のエディーは、過酷な強制労働を強いられながらも、辛うじて殺害されずに、数年間を収容所で過ごし、終戦を迎えて、いわゆる「ナチスによる死の行軍」から解放された。
その後、ベルギーで結婚して、豪州のシドニーに移住して、息子たち、 孫、曾孫を得て、幸せ、かつ健康な生涯を送った。 この手記は、迫害されて死亡していった数百万人のユダヤ人に代って、ナチスによる残虐な犯罪行為を暴露すると共に、その中で、ユダヤ人やその他の友人や赤の他人の助けによって、エディーが辛くも生き残って、最終的に幸福を掴むことができた 涙ぐましいいきさつを、我々読者に語りかけるものである。 最後に、如何なる困難下にも、常に希望を捨てないこと、他人に親切を施すことに喜びを感じることが、結局、自分たちの幸福に繋がることを、力説している。。。
今年7月に、この邦訳 (金原瑞人の訳書) が河出書房からようやく出版されたようなので、詳しくは、邦訳を参照されたし。「スガーリン」圧政下、コロナ慢延下に 苦しんだ多くの日本の人々にも、大いに共感 (参考に) できる作品 (表紙を比べると、邦訳のほうが原書より幸せそうに見える) 。。。恐らく、このベストセラーを読み終わった読者の大部分は (私自身を含めて)、 「私自身の方が、エディーよりずっと幸せだった) と、気付くだろう。
エディーは去る10月12日に、遂に101歳で、「自伝の表紙のような微笑み」をたたえながら、永眠したそうである。

2021年9月7日火曜日

シャリ=マークソン著: ( COVID-19を巡る) 武漢の真相:
ウイルス慢延以前にワクチン開発 (ウイルス兵器の準備)!

豪州のジャーナリスト、シャリ・マークソン(Sharri Markson)氏の新書『What Really Happened in Wuhan(中国語:武漢真相)』(来る9月28日に出版予定) は、米国務省の機密文書を引用し、中国当局は中共ウイルス(COVID-19)の大流行の前に、既にワクチンを開発していた疑いがあると示した。ワクチン開発を担っていた中国軍の科学者、周育森(Zhou Yusen)氏は、2020年2月24日に特許を出願したが、その約3カ月後に "不審死" を遂げた。 特許は、中国当局が国際社会に対して感染状況を発表した5週間後のことで、WHO が世界的な大流行 (パンデミック) を宣言した同年3月11日よりも早かった。
豪フリンダース大学のニコライ・ペトロフスキー(Nikolai Petrovsky)教授も、オーストラリアン紙に対して、中国当局が感染の発生を認める前、中国の科学者 はすでにワクチン開発に着手していた可能性があると話した。
同書によると、周育森氏は、米国のピッツバーグ大学医学部の博士後期課程に在籍していた。ニューヨーク血液センターと共同研究を行ったことがある。
最近の同紙の報道によれば、過去10年間に渡って、米国のNIH (国立衛生研究所) のウイルス研究所長 (トニー=ファウチ博士) らが、中国の武漢ウイルス研究所に、多額の研究助成金 (いわゆるグラント) を支給していたことも発覚した! 更に、驚くべきは、2019年12月上旬に、武漢でコロナウイルス感染が当局によって、発 表される以前 (11月) に、武漢ウイルス研究所の研究員3名が病院に入院したという事実が明らかにされた。 その患者の病名や運命は未だに不明。。。
周氏は中国の軍事医学科学院微生物流行病研究所で病原分子生物学研究室主任などを歴任し、武漢ウイルス研究所の石正麗氏の研究チームと緊密に連携し、「秘密の軍事活動」を行っていた。石氏は、コウモリ由来のウイルス研究の専門家として知られており、「バットウーマン」との異名をもつ。
2020年5月、周氏は突然死亡した。マークソン氏は著書の中で、周氏が死亡した時期や原因は不明で、死亡前に異常はみられなかったとした。また、昨年5月、中国 国内では周氏の死亡に関する報道はなく、同年7月になってから、同氏の死亡が報道されるようになった。
『武漢真相』は、2019年11月にウイルス学術誌「Journal of Virology」に投稿された研究論文を引用し、周氏らは遺伝子による中共ウイルスの操作に取り組んで いたと指摘した。同氏らのこの研究プロジェクトは、米国 NIH からの3つの助成金を取得していた。 (翻訳編集・張哲)
以上の情報から、(容易に) 推察されることは、中共軍が"米国政府"の資金を使って、新型ウイルス兵器 (COVID-19) を秘かに開発し、それを海外で (戦争のために) 使用する前に、前もって中国の自国民を感染から保護するために、ワクチンを開発中に、(誤って) 研究所からウイルス兵器が先ず国内に洩れ、武漢を中心にCOVID-19 のパンデミックが始まった。。。全くドジな (笑い事では済まされぬ) 話である! その結果、中国国内では、死者5千名弱、海外では、その千倍 近く (500万名) が生命を失った。。。 その結果、少なくとも米国ではトランプ大統領が退陣。 日本でも「スガーリン」が退陣して、中国としては、この「ウイルス」戦争で、一定の成果 (日米の経済大国に打撃) をもたらした、と言えよう。。。

2021年9月3日金曜日

青天のへきれき: スガーリンが退陣!
念願の「河野首相」誕生への道が開かれる?

来たる "自民党総裁選" (9月29日午後1時から) の本命は、河野 対 岸田 (早慶選) か? 河野太郎 (慶応出身) にとっては、総理の座は、祖父 (一郎、早稲田出身)、父親 (洋平、早稲田出身) に継ぐ「三代目の悲願 (三度目の正直)」! "決選投票" の結果は、午後3時40分頃に判明するとみられる。
さて、自民党は胎動しつつある「地滑り現象」を如何に杭止め得るか? 「原稿なしに自身の意見を発言できる」指導者の登場が待たれる。。。 "
「犬猿の仲」だったスガーリンと小池 (都知事) は、共同で五輪を強行し、「呉越同舟」! その結果、共に国民の"反感"を買って、言わば「島流し」(仲良く「墓穴」を掘り合う) ! 小池女史の「首相への道」は完全に絶たれた (自業自得)!

2021年9月1日水曜日

エドモンド=ヒラリー著: 「山頂からの眺め」 (1999年)

我が輩の少年時代のヒーローの一人、ニュージーランドの登山家「エドモンド=ヒラリー郷」 (1919-2008) が、エベレスト初登頂の成功から半世紀ほど経った1999年に、一種の回顧録 「View from the Summit」を出版した。 勿論、山頂とは、世界最高峰エベレストの頂上 (海抜 8850 m) を指す。 もう20年近く昔に読んだ名著であるが、ケアーンズの図書館で最近、この本を懐かしく見つけたので、その序文をここで紹介したい。 なお、この(邦)訳本は、何故か未だ出版されていないので、詳細は英文原書 (約370ペー ジ) を参照されたし。
(序) これは、私のある種の回顧録、つまり我が79年間にわたる様々な活動を400 ページ弱に濃縮したものである。 私自身の見解は、我々の仲間のそれと、必ずしも一 致しないが、当時我が目でハッキリ観察したものである。
私は大いに幸運に恵まれ、一定の成功を修めたが、(我が妻子の事故死や登頂相棒"テンジン"の病死などの) 悲しみも仲間と共有してきた。45年以上前に、私がエベレスト山頂に到達して以来、メディアは私を英雄扱いしてきたが、私自身は、常に自分自身の能力に限界を感じつつ、我が業績は、他人との協力による想像力やエネルギーの賜物だったと感じている。
少年時代、私は一種の夢想家で、多くの冒険物語を読みふけり、独りで長い山歩きを楽しんだ。 当時、私の前途に、幾多の興奮すべき冒険が待ち受けているとは、 想像だにしなかったし、長年の間に多くの栄誉を受ける運命になることも予想していなかった。 私は幸運にも、各国の女王や王女、大統領や首相に面会する栄誉 を受けたが、恐らく最も貴重だったのは、様々な文化圏や民族の人々と緊密な友情を暖め合ったことであろう。
勿論、冒険は人生にとって貴重であり、私も一連の大冒険を乗り越えてきたが、より貴重な体験は、ヒマラヤの友人 たち (シェルパ族) のために、成し遂げた様々 な活動 (慈善事業) を遣り遂げることができたことだ。 これらの活動も、別の意味で、大きな挑戦だった: 山岳地帯に空港や学校、病院や診療所の建設、奥地にあ る仏教の寺の再建など。。。私は、これら一連の活動を、決して忘れないだろう。
(注): この原著が出版されてから数年後 (2003年) に、ヒラリー郷と共に、エベレスト初登頂に成功したシェルパのテンジン=ノーゲイの孫にあたる登山家夫婦 (豪 州シドニー在住) が、英文原書「TENZING AND THE SHERPAS OF EVEREST」を出版。 その邦訳「テンジン: エベレスト登頂とシェルパ英雄伝」を我々の手で、出版した経験がある。 地元のシェルパ民族側から見たエベレスト登山の意味や意義を理解する一助になるだろう。