名古屋大の天野 浩教授らが、青色LED (発光ダイオード=GaN) を発明したことに対して、2014年にノーベル物理学賞が与えられたが、実はこの受賞まで、私自身は「LED」(邦訳「発光ダイオード」) の存在すら全く知らなかった。豪州メルボルンの我が家では、相変わらずタングステン (W) フィラメントの白熱電球や水銀電球 (蛍光灯) を使用していた。
青色LEDの開発と商品化:
LEDは電圧を加えると発光する半導体素子で、電気エネルギーが直接光エネルギーに変換され、発熱などのロスが生じないことから、省エネルギーの発光体として注目されていた。最初の発明は1962年で、当時アメリカのGE社の研究者だったニック・ホロニアックJr.氏によるもの。当初は赤色のみだった。
さて、青色「LED」が日本国内で市販され始めたのは、何んと25年も前のことである。1993年
日亜化学は、徳島大出身の中村修二を中心にして、天野/赤崎らのGaN に基づく高輝度青色LEDの開発に成功、世界で初めて青色LEDを製品化した。1996年に日亜化学はこの青色LEDと黄色YAG:Ce蛍光体による白色LEDを開発、液晶パネルのバックライト光源に使われた。現在では蛍光灯を凌駕する発光効率を達成し、21世紀のあかりとして用途が拡大している。さらに1999年にはGaN/AlGaN超格子構造青色半導体レーザーの室温CW発振に成功し、世界で初めて青色半導体レーザーの市販を開始した。2003年にソニーから発売された世界初家庭用ブルーレイディスクレコーダ(BD)に搭載されBDの普及がはじまった。その後、ソニー、東芝、シャープ、ルネサスなど国内メーカーが続々と高出力レーザーを開発、商品化している。InGaAs/GaN青色LEDは、その後の青色発光デバイス、光ディスク産業の爆発的発展の基盤となった。
エジソンが発明した「白熱電球」は、彼の 業績の中で最も価値のある物だった。この発明が発表された当時「
世界から夜が消えた」と呼ばれたように、白熱電球は現代に おいてもなお、全ての人類に多大な恩恵を与え続けている。更に興味深いのは、エジソンの白熱電球は、実は京都の八幡 村にある「竹炭」に出会った事で完成された、と伝えられている。
私は少年時代、「発明の才」など全くなかったが、エジソンの伝記を読み耽って、
「必要は、発明 (=努力) への最大の母である」ことを学んだ。 世紀の大発明家トマス=エジソンは、「
天才とは、99%の努力と1%のインスピレーションからなる」と信じ、「私は発明を続ける 資金を手に入れるために、いつも発明する」と主張していた。エジソンはノー ベル賞こそ取り損なったが、その晩年、「ニューヨーク・タイムズ」紙の投票で「
最も偉大な現存のアメリカの老人」に選ばれている。
実は、世界で最初に電球を発明したのはエジソンではない。
1879年2月、英国のスワンが炭素繊条 を使った白熱電球を発明した。しかし、スワンの白熱電球は寿命が短過ぎ、実用価値がなかった。白熱電球はその構造上明るくするためにはフィラメントの温度をより高くする必要がある。そのため、 フィラメントがすぐに蒸発してなくなってしまう。
そこで、
1879年10月、32才で、エジソンが白熱電球を完成した。それは木綿糸 に煤とタールを混ぜ合せたものを塗布し此れを炭化してフィラメントにした電球。電灯とい っても最初の頃の白熱電灯は45時間ほどしか寿命がなかった。しかし、広く家庭で使って もらうには、安価でもっと長く灯り続ける電球で無くてはならない。それを解決するにはフ ィラメントを改良する事が最重要。そこで、フィラメントの素材として色々なものを探し始 めた。
[フィラメント・日本の竹との出会い]
エジソンはフィラメント材料を見つけるのに大変苦労した。最初は木綿糸や何と友人のヒ ゲまでも素材として使った。6000種類にも及ぶいろんな材料を炭にして実験をしていたエジソンが、ある日、偶然机の上に あった
竹の扇子を見つけた。その竹をフイラメントに使ってみると、なんと200時間も灯った。これだ!....竹竹竹....フィラメントの材料に竹が適していることを知った。
そこで、当時の金額で10万ドルをかけ、全世界へ材料を探すため20人の
竹採りハンターたちが派遣された。彼らは 1200種もの竹を全世界から集めた。1880年、一人の竹採りハンターが来日、時の首相伊藤博文と会い、「竹なら京都へ」とのアドバイスを受けた。京都では、初代京都府知事から「
竹なら八幡か嵯峨野がいい」と言われる。そして、
八幡男山付近の竹が約2450時間 も灯り、世界竹選手権(エジソン主催)で見事1位を獲得した。これらの地域は、鉄分が豊か な土質のもと、柔軟で堅固な竹を産していたのだ。(その頃、日本の東芝もフィラメントの材料を必死で探していたのだが、エジソンが京都産の竹を使ったと聞き、
「灯台もと暗し」と叫び、ジダンダを踏み悔しがった!)こうして、八幡の竹は1894年までエジソン電灯会社 に輸出され、何百万個の白熱電球が作られ、全世界に明かりを灯しつづけた。
エジソンはこの新しい白熱電球を売り出すために会社 GE (General Electric) を設立した。そして、このGE社ではその後もフィラメントの素材について研究を重ね、1910年頃、竹よりもっと丈夫なフィラメントが開発され、これによって電球の寿命は更に延びた。
現代のあかりとして電球と勢力を2分する
蛍光灯も、やはりGE社により1938年に発明された 。蛍光灯はエネルギーの光への転換効率が良いのが長所で、白熱電球に比べてずっと小さい電力で 同量の光を出すことができる。
しかし科学技術の進歩は大変なもので、半永久的に切れない あかりが一部で使われ始めている。それが
LED(Light Emitting Diode 発光ダイオード)とい って、弱い光しか出ないが、発熱が小さく非常に長い寿命を持っており、家電製品や情報機器のパ イロットランプや表示板などに多数使用されている。
この "弱熱" LEDを飛躍的に発展させたのが、(「人類の福祉に役立つ」科学研究を常にめざしていた) 天野らの開発した「青色LED」 (GaN結晶を基礎とするダイオード) である。
2014年12月にノーベル賞を受賞した天野教授が、間もなく沖縄の琉球大学を訪れ、一本の植樹をすると共に、(我々の「PAK研究センター」が一時"間借り"していた) 産学共同研究棟の玄関に、
「人々のために」という言葉 (横断幕) を残していってくれた。 それを見た瞬間、私の脳裡を走ったのは、
「人々のために役立つ実用的な薬 (PAK遮断剤) を開発して、その実用化 (市販) を実現しよう!」ということだった。
そこで、
徳島大の宇都教授と共同で、
ロッシュが30年ほど昔に開発した鎮痛剤「ケトロラック」というカルボン酸を、クリック化学を介して、エステル化して、「15K」と呼ぶ強力なPAK遮断剤を合成/開発した。
15K は、何んとケトロラックのPAK遮断作用を500倍以上、飛躍させた! この吉報 (メール) を (琉球大学に滞在中の) ベトナム出身のポスドク(Binh Nguyen) から受け取ったのは、2015年12月初めだった。 翌年には、
15Kに関する日本特許も承認され、幸いUS特許も最近承認された。更に2017年4月に、
15Kには、(プロポリス同様) せんちゅうの "健康寿命を有意に延ばす" 薬理作用もあることが判明した! 15Kには「副作用が全くない」ことが 、明らかに実証された! 共同研究者のトム=アドリアン教授によれば、
(最近他界した沖縄の翁長知事を含めて) ヒトのすいぞう癌の9割がジェムシタビン耐性であるが、動物 (マウス) 実験で、15Kが見事に (ジェムシタビン耐性の) すいぞう癌の増殖及び転位を、殆んど完全に抑えることが、ごく最近実証された (研究論文の投稿中)!
従って、 難攻不落のすいぞう癌ばかりではなく、他の多くの癌や難病が、15Kによって、(副作用なしに) 治療可能であることがはっきりしてきた。 しかも、病人ばかりではなく、健康な人々にも、長寿をもたらす可能性が高い。 従って、人類 (および家畜) 全体の福祉向上にも役立ちうる潜在性を秘めている。 言い換えれば、
15K は、医療分野に登場しつつある「LED 」と呼んでも、決して過言ではなかろう。。。
最近にわかに閃いたのだが、P
AK遮断剤「15K」 は、今世紀をリードする 新型 「LED」、つまり "Lifespan Extending Drug " (寿命を延ばす薬) である!