ペニシリンの大量生産に成功して、終戦直後ノーベル賞をもらった病理学者フローリーは、豪州出身者としては、初のノーベル受賞者である。日本でいえば、中間子の発見でノーベル賞をもらった湯川秀樹に相当する大御所である。 フローリーはアデライド大学出身だが、彼の功績を讃えて、メルボルン大学構内に南半球最大の「フローリー実験医学/精神病研究所」が40年以上前に建てられた。 実は、1972年にメルボルン大学プレスから出版されたレナード=ビッケル著の 「ハワード=フローリー」 伝を久し振りに読み返している内に、意外な 「掘り出し物」にぶつかった。
英国のフレミングがアオカビから有名な 「ペニシリン」 を発見するよりずっと以前、およそ1895年頃にイタリアの医学者、Bartolomeo Gosio (1863-1944) が別のアオカビから面白い抗生物質を発見していた。 その名は 「ミコフェノール酸」 (MPA)。今日、この抗生物質は主に、臓器移植を成功させるために、患者の免疫機能を抑える目的に広く使用されている。 しかしながら、それ以外に、炎症を抑えたり、癌の増殖を抑える薬理作用も知られている。 (プロポリスのごとく) 育毛作用を発揮したり、マラリアの増殖も抑えるという報告もある。そこで、我が得意の「水平思考」が作動し始めた! MPA もPAK遮断剤に違いない。。。
先ず、 MPAで癌細胞を処理すると、「サーバイビン」 という発癌蛋白が低下し、p21という抗癌蛋白が増加する。 これらは、間違いなく "PAK遮断作用" の結果である。更に、今から10年以上も前に、南京大学の研究グループが、MPAには血管新生を抑える作用があることを見つけたことが判明! しかも、HUVECs (ヒト由来のヘソノウ細胞) のチューブ(=血管壁) 形成を抑えることから、MPAはPAK遮断剤に間違いない!
そこで、面白い実験を一つ考えついた。 プロポリスや「15K」と同様、「MPAがせんちゅうの寿命を延ばす」 かどうかである。更に、もっと面白いプロジェクトを考えついた。 実は、MPAには, COOHがあるので、細胞透過性が悪い (IC50=50-500 nM)。そこで、ロッシュという製薬会社が、そのエステル誘導体を合成して、「CellCept」 という商標で市販している。 しかしながら、薬効が著しく上がっているわけではない。
そこで、鎮痛剤「ケトロラック」から15Kを誕生させた「CC法」を使って、飛躍的に薬効を発揮する新規なPAK遮断剤 「17M」 を、できれば本年末までに開発しようと計画している。 ひょっとすると、 15K を上回る薬が誕生するかもしれない。
こればかりは、実際にやってみないと、結果はわからない。 言わば 「博打」 である! 私は科学の博打が大好きである。 「百発百中」ではないが、的を外れる場合は極めて稀れであるからだ。
博打と言えば、フローリーも名うての "バクチ打ち" だった。当時、英国への研究助成金は主に、米国の「ロックフェラー財団」からだった。 彼は先ず、リゾチームの研究で財団から、大金を稼いで、研究仲間から、医学界の「駅馬車泥棒」 (highway robber) という異名を勝ち取った。さて、リゾチームとは、殺菌作用のある酵素の一種で、涙腺、唾液、卵白、牛乳などの中に豊富に含れていて、グラム陽性菌の細胞膜を溶かす作用がある。それを臨床へ応用をめざしたが、リゾチームに関する彼の研究は、数年後に 「行き詰まり」 に達した。そして、研究費も尽きた! そこで、起死回生の一打として、"ペニシリン研究" が打ち出され、再び 「ロックフェラー財団」 から大金を勝ち取り、「駅馬車泥棒」ぶりを証明した。 このペニシリン=プロジェクトは幸い, 「大当たり」で、ノーベル受賞に結びついた! たった5ヶ年で研究が実を結んだ!
財団からもらった大金で、フローリーが最初にやった実験は、ペニシリンの動物(マウス) 実験で、病原菌に感染したマウスは2-3日で死ぬのに、ペニシリンで処理したマウスは、感染後も正常であるばかりではなく、ペニシリンは全く副作用を示さなかったという素晴らしい結果を産んだ。その歴史的な結果を1940年に、有名な医学雑誌 「Lancet」 に発表した。
Chain E. Florey H. et al. Penicillin as a Chemotherapeutic Agent. Lancet (August 24, 1940), p226。
それを読んだフレミングは、驚きの余り、腰を抜かしたそうだ! 1929年にペニシリンの発見を論文に発表して以来、フレミング自身は、その研究をずっと断念していたからである。「イソップ童話」の喩えでいえば、フローリーは「亀」、フレミングは「兎」だった。
欧州では、既に戦争中であり、敵味方とも、秘密裏にペニシリン開発の競争を始めた。 しかし、米国の参戦により、ペニシリンの生産が飛躍的に伸び、連合国側が圧倒的な勝利を治めた。日本では1944年2月から、ペニシリン研究がボチボチ始まったが、その総指揮をやったのが、(後に日本の「抗生物質の祖」となる) 若き梅沢浜夫博士だったが、とても 「フローリーの敵」 ではなかった。 "原爆開発" も同様だが、日本の科学水準は余りにも低かった! 実は、1940年発表のペニシリンに関する「Lancet」論文は、開戦前の日本にも届いていたのだが、悲しいかな 「語学力」 と 「先見の明」 の欠如のためか、注目する者が誰ひとりいなかった。
驚くなかれ、「ロックフェラー財団」は現在でも、研究助成金を海外の色々な研究施設に支給し続けている。 そこで、(関西支部の) 我々も 「15K と17Mによる難病駆逐」 を研究テーマに、大金を獲得して、「21世紀の駅馬車泥棒」の異名を勝ち取ろうかと思っている。。。https://www.rockefellerfoundation.org/our-work/grants/
フローリーらの「Lancet」 論文の題名に順じて、財団への"我々の" 研究助成金応募の題名は「PAK1-blockers, 15K and 17M, as Mighty Chemotherapeutics」 としよう。
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