ハンガリーの首都ブダペスト生まれのセント=ジョルジは、医学部出身だが、彼自身がめざしたものは、生化学研究だった。 1927年に英国のケンブリッジ大学で、博士論文として、ミカン由来の還元物質 「Hexuronic acid」 (後に 「ビタミンC」 とか 「アソコルビン酸」 とか呼ばれる) の発見を報告した。 「酸性のヘキソース」 類であることは判明したが、最終的な化学構造は、数年後に確定した。 彼はこの発見で、1937年にノーベル賞をもらった。 しかしながら、このヘキソースの欠乏が 「壊血病」 の原因であることを証明する動物実験を巡って、実は "天下分け目の大騒動" が持ち上げった。
1931年の秋に、ハンガリーのブダペストから南に汽車で3時間ほどの田舎大学町(セジェッド) に新設されたセント=ジョルジの研究室に、ピッツバーグ大学で博士号を取得したばかりの若者、ジョセフ=スバーベリーがポスドクとして就職してきた。 彼はピッツバーグ大学の教授チャールズ=キングの弟子だった。 彼曰く、「私は、ある検体にビタミンCが含まれているかどうか、を判定するのが得意です」。 そこで、セント=ジョルジ教授は、この若者に、この酸性ヘキソースの結晶を手渡して曰く、「これが問題の検体だ。ビタミンCであることを証明したまえ」。教授は、2、3年前に、この酸性ヘキソースに還元性があることを確かめていた。 ベンゼンの酸化物質 (インドフェノール=ブルー) を脱色する性質があるからである。
さて、人類同様、モルモットはビタミンCを自分で合成できないので、ビタミンCを与えないと、壊血病で死亡してしまう。 そこで、このポスドクは、モルモットを2群に分け、両方に (ビタミンC源を破壊するため) 煮沸した餌を与えながら、一方だけに、この検体を少しずつ (毎日 1 mg) 与えた。すると、検体なしの方は皆、壊血病にかかったのに対して、驚くなかれ、検体を与えた群は皆、病気にならずに健康に育った! 翌年の3月初めまでに、実験を終えた若者が、新しいボス (セント=ジョルジ) のオフィスに飛び込んできて、結果を報告した。 「この検体は、確かにビタミンCです!」。 ボスもほくそえんだ。
だが、その直後に油断して、「大失敗」 をやらかした。 実は、チャールズ=キングの研究室でも、レモンジュースを検体に使って、ビタミンCを探索していた。 そこで、この若者は、新しいボスに、こう尋ねた。 「先生、キング先生に、この実験結果を報告しても構いませんか?」。 セント=ジョルジは気前良くこう答えた。 「是非、キングさんにも報告したまえ」。
ところが、驚くなかれ、それから一ヶ月以内 (4月1日) に、サイエンス誌に、キングのグループから短報 (レター) が出し抜けに発表された。 「ビタミンCを発見、酸性ヘキソースである!」。 セント=ジョルジやスバーベリーによる発見については、全く一言も触れていなかった! 明らかに、キング側による 「実験データの横取り」 である! セント=ジョルジはかんかんに怒りながら、自分たちの短報 (レター) をあわてて、ネイチャー誌に投稿した。
科学者とは通常、「騎士道」(武士道) をきちんと守る「神士」であるはずである。 お互いに情報を交換して助け合うのが常識である。 ところが、米国のキング教授は (沖縄の多和田教授同様) 「盗人」 に豹変した。 野心は満々だが実力を欠く者はしばしば、このような卑劣な手段を使うから、「要注意」である!
結局、最後に 「正義の審判」が下り、「ビタミンCの発見」 でノーベル賞をもらったのは、セント=ジョルジだけとなった!
受賞後しばらく、彼は新しい研究テーマを探索し続けた。そして、2年後に、「ネイチャー」 誌に発表されたある論文に注目した。 ソ連のモスクワの科学アカデミーのウラジミール=エンゲルハルト (1894- 1984) らにより、「ミオシンがATPを分解する酵素 (ATPase) である」 ことが発見された*。 こうして、彼は、ミオシンによる筋肉収縮の生化学に飛び付いた。
戦後まもなく、ハンガリーがソ連の占領下になってしまったので、"研究の自由" を求めて、セント=ジョルジは米国に移住し、筋肉収縮の生化学研究を、ワシントン郊外にあるNIHの 「ビル3」 の地下で続けた。 1954年には、筋肉の生化学でも、「ラスカー医学賞」を受賞した。 こうして、NIHにも、アクト=ミオシンの生化学を研究するグループ (侍たち) がいくつか誕生した。
骨格筋では、アクチンが 「thin filament」 を形成し、ミオシンが 「thick filament 」 を形成している。 そして、ミオシンATPase がアクチンによって、活性化され、 ATPが分解される時に生じる「化学エネルギー」が、「運動エネルギー」に変換されて、筋肉が収縮する。 ところが、平滑筋やアメーバでは、アクチンがミオシンに結合しただけでは、ATPaseの活性化が起こらない。 「第3の蛋白」 が必須である。
この「謎の蛋白」を土壌アメーバから、我々は同じ「NIHのビル3」の3階で発見した! 1977年のことである。 ミオシンの重鎖を燐酸化する珍しいキナーゼ 「PAK」 だった。 その後、17年ほど経って、1994年には、同じようなPAKが、哺乳類にも存在することが、シンガポール大学の英国人エドワード=マンサーによって発見され、癌や高血圧など多くの難病の原因であることが、しだいに明らかにされた。 そして、数年前には、我々の手で、「老化キナーゼ」 であることも線虫を使って確認された。 PAK欠損株では、野生株に比べて、平均寿命が6割も長い。
こうして、セントー=ジョルジが始めた "筋肉の生化学" は、我々の手で、今世紀に入って、「健康長寿をもたらすPAK遮断剤」 の開発研究へと飛躍的に発展しつつある。。。
* もし、私の記憶が正しければ、西独のミュンヘン郊外にあるマックス=プランク研究所に私がまだ勤務していた頃 (1980-1984)、モスクワのエンゲルハルト所長宛てに一通の手紙を送ったことがある。できれば、彼の下でミオシンの研究を始めたかったからである。しかしながら、彼からは、「できれば、"鉄のカーテン" の外で研究を続けるように」 という親切なアドバイスをもらった。 暫くして、彼が90歳で他界したことを知った。 そこで、私は "ベルリンの壁" が崩壊する2年ほど前に、「自由の天地」 (豪州メルボルン) に永住を決めた。
** 1963年に2人目の愛妻マルタを乳癌で失ったセント=ジョルジは、癌の研究に飛び込んだ。しかしながら、彼の癌に関する 「フリーラジカル説」 は、残念ながら 「的外れ」 のものだった。癌のいわゆる 「シグナル療法」 には、発癌性のシグナル蛋白 (例えば、RAS とかPAKなど) を特定せねばならなかったが、"分子生物学者" ではない彼には、到底不可能な仕事だった。 RAS やSRC が発癌蛋白であることが判明したのは、彼自身の死期が迫ってからのことである。 結局、彼は (半世紀以上) 早く生まれ過ぎた! しかし、「我々自身の世代は、癌やその他のPAK依存性難病の 「シグナル療法」 開発のために、正にタイミング良く生まれた」 と, 私は確信している。
参考書:
Ralph Moss: "Free Radical: Albert Szent=Gyorgyi and the Battle over Vitamin C", Paragon House, 1988.
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