剣岳は標高が低い割合に、
登山の難易度がかなり高い (文字通り切り立った) 岩山で、
富山県内では、一番難かしい山だと言われている。 私は槍や穂高連峰には、大昔 (院生の時代) に登山の好きなガール=フレンドと一緒に登ったことがあるが、
剣岳には未だ挑戦したことがない。私も来年には、いよいよ
喜寿 (77歳月) を迎えようとしている。 富山に長期滞在する機会を利用して、もし幸運に恵まれ、7月10日 (火) までに梅雨が明ければ、「剣」にも一度挑戦したいものである。
最も一般的らしいルートは、一泊2日コースで、室堂ターミナルから出発して、主に "尾根づたい" に、雷鳥平、剣沢小屋などを経由して、全行程 (往復) で12時間半、標高差 1700 m、歩行15 km を要するそうだ。
行程:
富山発 (6:00 am) -(鉄道)- 立山着-(ケーブル)- 美女平- (バス)-室堂着 (8:30 am)
室堂ターミナル・・・
雷鳥平・・・別山乗越・・・
剱沢小屋・・・一服剱・・・前剱・・・
剱岳・・・前剱・・・一服剱・・・
剱沢小屋・・・別山乗越・・・
雷鳥平・・・
室堂ターミナル
少なくとも、(できれば日帰りで
) "前剣大岩" まで一気に、いわゆる「視察登山」をやってみたい。
登山実例:
2013/8/10
9:45 am 室堂バスターミナル - 10:30雷鳥沢 - 11:10新室堂乗越 - 12:50剱御前小屋 - 13:30剱沢キャンプ場 (一泊)
2013/8/11
3:45 am 剱沢キャンプ場 - 4:20剣山荘4:50 - 5:10一服剱 - 6:05前剱 - 8:10剱岳 - 11:30剱山荘 - 12:00剱沢キャンプ場13:50 - 15:40雷鳥沢 - 16:40室堂バスターミナル
剣沢小屋より剣岳近くに、山小屋 (剣山荘) あり!
この山荘で一泊すると、
初日と2日目のエネルギーの「不均等な」配分が (多少) 是正されるのでは? (30分違いだが) 。
"前剣大岩" の手前にある「草つき」に一泊用の個人テントを張れれば理想的なのだが。。。ここに2、3人が寝袋で一夜を過ごせる「避難小屋」を作るべき! それが実現するまでは、健脚でない人/中高年者には、剣山荘近辺で (行き帰り) 2泊するのが無理のないアプローチ!
注意: 「平蔵のコル」から 山頂 に向かう地点が剣岳「最大の難所」 (いわゆる「カニの縦ばい」) で、「上り」ルートと「下り」ルートに分岐してはいるが、登山ラッシュ時 (8月) の週末には、登山客が押すな押すなとやってくるので、自分のペースで進むのが難しく、 誰かが (「あせり」のために) 事故を起こしやすい。
http://www.jalps.net/non/chosen/turugi.html
従って、マイペースを楽しみたい中高年者 (リタイヤ組) には、登山客が少ない「ウイークデー」(週末以外の普通の曜日) を狙う「ゆとりの登山」をお勧めしたい。
長次郎谷 (雪渓) 経由ルート:
「平蔵のコル」(特に上り) での混雑をさけるため、剣沢小屋から、いったん剣沢の雪渓を(標高差) 500 m ほど一旦下り、"長次郎谷" の雪渓に沿って (標高差) 1000 m を一気に昇るアプローチは、「アイゼン (12本爪マスト) とピッケル」を必要とするが、このコース は、柴崎芳太郎 (測量) 隊が明治末期に剣岳「初登頂」に成功した "歴史的な" ルートで、先人の偉業を噛みしめながら、雪渓の醍醐味をゆっくりマイペースで味わえる「ベテラン」コースである。 雪解け時には、 足下の「クレパス」に十分注意すること!
ちなみに、この歴史的エピソードを綴った 山岳作家「新田次郎」作の「剣岳: 点の記」が10年ほど前に映画化された。 新田次郎は、アマチュア登山家でもあった我が亡父が好きだった作家の一人。 この作品は、主に "残雪" をうまく利用した登頂成功例 (地理測量調査、舞台は明治末期!) であるが、夏山の「剣」は、自分の経験に合ったルートを選べば、さほど困難ではなさそう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%92%E5%B2%B3_%E7%82%B9%E3%81%AE%E8%A8%98
記録に残る (剣岳の) 初登頂は1907年(明治40年)7月中旬の陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らによるものであるが、驚くべきは、彼らが("前人未踏"と信じ込んでいた) 山頂に立った時に意外なものを発見。(奈良時代末期から平安時代初期) の錫杖と鉄剣の先らしいもの。更に、山頂近くの岩屋には古い焚き火跡もあった。柴崎隊より千年以上前の8世紀頃に、(山小屋なし、鎖ガイドなしで) 既にこの山に初登頂した先達 (古代日本の"ヒラリー卿"と呼ぶべき人物) がいたのだ! 正に, 尊敬の念に絶えない。。。
さて、奈良時代の"先達"は、一体どのコースを選んだのだろう? 勿論、記録が全く残っていないので、誰も知る由はないが、仮に私が"奈良時代"に 北陸で生まれていたら、恐らく"剣沢-長次郎谷"コースを選んだだろう。素朴かつ大胆な「修行者」にピッタリ合った道のりだ。
“長次郎” は 柴崎芳太郎隊の 案内人 (言わば、地元の「シェルパ」) で、この"雪渓" 登頂ルートを見いだして、剣岳への「初登頂」に貢献している。”岩尾根” ルートからの2度の失敗をものともせず、新たに「雪の道」を見出して山頂 に挑んだ! もっとも、長次郎自身は宗教上の理由で、地元で登山が禁じられていた (神聖な) 山頂には、足を踏み入れなかったとされている。
1953年に世界最高峰「エベレスト」(標高8850 m) の初登頂に成功した地元の「シェ
ルパ」 (テンジン=ノーゲイ) は、ニュージーランドの登山家 (ヒラリー卿) と肩を並べて、誇らしく山頂に立った! どうやら、同じ仏教徒でも、"北陸" の長次郎
と"ネパール" のシェルパとは、周囲の事情が微妙に異なるようだ。