2023年6月19日月曜日

団 勝磨著 ”ウニと語る”(1987年、学術出版)
米国女性と結婚した発生学者の回想録

団さん(1904-1996)は、三井財閥の創始者、団琢磨(1858-1932)の二男。父親(琢磨)は、米国に留学して、MITで工学博士を取得後、日本で東大の工学部で教授を担当した後、(三井)炭鉱事業で大成功したが、1932年の5-15事件で、関東軍に寄って、暗殺される!
その次男として生まれた勝磨は、三井財閥の跡取りになるのを辞して、好きな(海洋生物、ウニなど)の発生学の研究に一生を捧げる。実は、東大理学部の動物学科を卒業後 (太平洋戦争開始前)、米国に留学し、ボストン郊外にあるウッズホール海洋研究所などで、ウニ卵などの発生学研究(博士論文)を始める。そこで出会ったのが、将来、彼の細君になる、ジーン=クラークという女性(院生)だった。この回想録は、我が輩の高校(日比谷)時代の同級生で、東大理学部の動物学科卒(つまり、団さんの後輩)T 君から、ごく最近借りた本である。
400ページほどの本(冒険談)であるが、大変面白くて、一気に二晩で読み切った!  ただし、発生学は、我が輩の専門外なので、ウニ卵の分裂に関する複雑なメカニズム(形態学)に関しては、どんどん飛ばして読んだ。我が輩は分子生物学(生化学)者なので、分子が登場しない生物学は難解を極める。
実は、我が輩は、団夫妻には、一度も会ったことはないが、我が輩の恩師である水野伝一教授から、我が輩自身が、米国留学直前(1972-73年)に、団夫妻の研究室(都立大学の修士卒)の女性と、見合いをしないかと、誘われたことがあった。我が輩は時期早尚なので、ありがたくお断りしたが、それをきっかけに、団夫妻の存在を知った。
我が輩自身が、ようやく(期熟して)米国で、ギリシャ系の米国人女性(数学者)と国際結婚(晩婚)したのは、それから15年近くも後のことである!
さて、団さんは、1934年に米国でジーンと婚約し、2年後に、母親や家族の承諾を取り付けて、1936年に、ジーンと結婚し、日本に“夫婦”として帰国する。しかしながら、日米関係は日増しに悪化して、数年後には、ハワイの真珠湾攻撃を境に“日米開戦”となる。つまり、ジーンは(戦争中)“敵国”に住まわざるを得なくなる。ジーンは持ち前の気丈さと社交性で、苦しい戦争中を何とか切り抜け、日本の敗戦と共に、マッカーサー元帥の民主化政策に基づき、東大の海洋研究所がある“三崎”周辺で、改革の原動力として活躍する。。しかしながら、彼女には持病(喘息)があり、1978年に、この持病のために、夫≪団さん≫と5人の子供を残して、他界≪窒息死≫する。
実は、我が輩も幼少時代に(アレルギー性)“喘息”に悩まされたが、幸い(孟母三遷の教え=)“転地”(戦後の都内を三転)により、それを免れた。そういう医学的知識(漢方?)を知らなかった団夫妻は大変気の毒だった!
団さんと我が輩は、世代の違いを超えて、生物部門で、専門はかなり違うが、島国から抜け出し、世界を舞台にして、縦横無尽に活躍したという、共通体験を分かち合った言わば“同士”と言えよう。二者の違いは、団さんは日本を愛したようだが、我が輩は、“封建的な日本”に愛想を尽かした。我が輩の(母校=日比谷の)3年先輩、利根川さん(MIT) も、後者(新しい世代)に属する

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