プリーストリー賞 (Priestley Medal) とは、「アメリカ化学会」 (ACS) が授与する最高賞。化学分野における卓越した業績に対して贈られる。1774年に酸素を発見し、1793年に米国移住した英国人化学者「ジョゼフ・プリーストリー」の功績を讃えて創設され、1922年から現在まで続いている。当初、三年に一度であったが、1944年から毎年となった。 (私自身の古い記憶では、フランスのラボアジェが「酸素の発見者」?)* 。
米国に移住したプリーストリーは、1797年に英国風のマナー・ハウス(manor house) をピッツバーグのノーサンブランドに建てた。1874年、プリーストリーによる酸素の発見 "100周年"を祝した記念の会が、この家で開催。ここでそれまでの100年間の化学に対する米国の貢献を祝そうということだった。これが全米の化学研究者の最初の集いとなった。2年後の1876年に「アメリカ化学会」が発足した。
歴代受賞者の中には、ノーベル化学賞と平和賞をもらって有名になったライナス=ポーリンが1988年に「Priestley」賞を受賞している。受賞者の中には、日本人の学者の名前は皆無。恐らく、「アメリカ化学会」の会員でないと、受賞の対象にならないのだろう。。。
その昔 (学生時代)、私は日本生化学会に属していたことがあったが、会費を毎年払わされ、(読みたくもない会報を毎月受け取るだけで) 実利が余りないので、海外留学に伴って、会費を払うのを辞めた。 以後、「学会」という名のつく団体に属するのを極力避けてきた。過去半世紀に渡って、何度も専門分野を変える (「境界領域」=グレンツゲビートを歩む) 学者 なので、どこの学会にも属していない、言わば「浪人者」である。
私自身は有機化学者ではないので、その賞については、実に疎く、今回が「初耳」である。 私がこの受賞に注目した最大の理由は、「Click Chemistry」(CC) の発明者であるBarry Sharpless 教授 が今回受賞者になったからである。 彼は2001年に、光学異性体に関する研究で、ノーベル化学賞を野依良教授 (名古屋大学) とシェアする直前に、「Click Chemistry」という銅を触媒とする効率の高い化学反応を (MIT で) 発明し、論文にした。 その後、様々な研究者たちが、この反応を駆使して、2種類の化合物を効率良く結合させるのに成功した。 その成功例は、PUBMED に記録されているだけでも、7500 例 ほどある!
さて、我々自身がこの反応の存在を初めて知ったのは、2013年に発表されたインドの有機化学者による論文に、その2年後に出会ったことにある。この論文で、ウルソール酸 (UA) という天然PAK遮断剤の抗癌作用を、CC を介するエステル化で、200倍に高めることに成功したことを知った。そこで、その手法をそっくり利用して、プロポリス成分であるARC やコーヒー酸のエステル化に成功後、人工鎮痛剤である「ケトロラック」が、実はPAK遮断剤であることを知って、そのCOOH 基をエステル化して、その抗癌作用を 500倍以上、高めることに成功し、CC の「ギネス記録」を見事に樹立した! そのエステルが我々の誇る「15K」である。 そこで、Barry Sharpless 教授の受賞を祝って、目下一筆、ある英文 (医化学) 雑誌に頼まれて、CCに関する短評「 Click Chemistry (CC): Revolutionary Approach for Boosting Cell-permeability of COOH-bearing Drugs」を投稿中。。。
私自身の考えでは、彼のCC発明が、(近い将来) 2度目のノーベル受賞に価する価値を持つと確信している。
(注): アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエは、パリ出身の化学者、貴族。質量保存の法則を発見、酸素の命名、"メートル法" の採用、フロギストン説を打破したことから「近代化学の父」と称される。
1774年に体積と重量を精密にはかる定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという"質量保存の法則"を発見。また、ドイツの化学者、医師のゲオルク・シュタールが提唱し当時支配的であった、「燃焼は一種の分解現象でありフロギストンが飛び出すことで熱や炎が発生するとする説(フロギストン説)」を退け、1774年に燃焼を「酸素との結合」として説明した最初の人物で、1779年に酸素を「オキシジェーヌ(oxygene)」と命名した。不幸にして、1794年に革命政府により処刑された。天文学者ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、ラヴォアジエの死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」とラヴォアジエの才能を惜しんだ。
しばしば「酸素の発見者」と言及されるが、酸素自体の最初の発見者は、イギリスの医者ジョン・メーヨーが血液中より酸素を発見していたが、当時は受け入れられず、その後1775年3月にイギリスの自然哲学者、教育者、神学者のジョゼフ・プリーストリーが再発見し、プリーストリーに優先権がある。なお、プリーストリーは酸素の発見論文を1775年に王立協会に提出しているため、化学史的には "プリーストリー" が「酸素の発見者」である。
米国に移住したプリーストリーは、1797年に英国風のマナー・ハウス(manor house) をピッツバーグのノーサンブランドに建てた。1874年、プリーストリーによる酸素の発見 "100周年"を祝した記念の会が、この家で開催。ここでそれまでの100年間の化学に対する米国の貢献を祝そうということだった。これが全米の化学研究者の最初の集いとなった。2年後の1876年に「アメリカ化学会」が発足した。
歴代受賞者の中には、ノーベル化学賞と平和賞をもらって有名になったライナス=ポーリンが1988年に「Priestley」賞を受賞している。受賞者の中には、日本人の学者の名前は皆無。恐らく、「アメリカ化学会」の会員でないと、受賞の対象にならないのだろう。。。
その昔 (学生時代)、私は日本生化学会に属していたことがあったが、会費を毎年払わされ、(読みたくもない会報を毎月受け取るだけで) 実利が余りないので、海外留学に伴って、会費を払うのを辞めた。 以後、「学会」という名のつく団体に属するのを極力避けてきた。過去半世紀に渡って、何度も専門分野を変える (「境界領域」=グレンツゲビートを歩む) 学者 なので、どこの学会にも属していない、言わば「浪人者」である。
私自身は有機化学者ではないので、その賞については、実に疎く、今回が「初耳」である。 私がこの受賞に注目した最大の理由は、「Click Chemistry」(CC) の発明者であるBarry Sharpless 教授 が今回受賞者になったからである。 彼は2001年に、光学異性体に関する研究で、ノーベル化学賞を野依良教授 (名古屋大学) とシェアする直前に、「Click Chemistry」という銅を触媒とする効率の高い化学反応を (MIT で) 発明し、論文にした。 その後、様々な研究者たちが、この反応を駆使して、2種類の化合物を効率良く結合させるのに成功した。 その成功例は、PUBMED に記録されているだけでも、7500 例 ほどある!
さて、我々自身がこの反応の存在を初めて知ったのは、2013年に発表されたインドの有機化学者による論文に、その2年後に出会ったことにある。この論文で、ウルソール酸 (UA) という天然PAK遮断剤の抗癌作用を、CC を介するエステル化で、200倍に高めることに成功したことを知った。そこで、その手法をそっくり利用して、プロポリス成分であるARC やコーヒー酸のエステル化に成功後、人工鎮痛剤である「ケトロラック」が、実はPAK遮断剤であることを知って、そのCOOH 基をエステル化して、その抗癌作用を 500倍以上、高めることに成功し、CC の「ギネス記録」を見事に樹立した! そのエステルが我々の誇る「15K」である。 そこで、Barry Sharpless 教授の受賞を祝って、目下一筆、ある英文 (医化学) 雑誌に頼まれて、CCに関する短評「 Click Chemistry (CC): Revolutionary Approach for Boosting Cell-permeability of COOH-bearing Drugs」を投稿中。。。
私自身の考えでは、彼のCC発明が、(近い将来) 2度目のノーベル受賞に価する価値を持つと確信している。
(注): アントワーヌ=ローラン・ド・ラヴォアジエは、パリ出身の化学者、貴族。質量保存の法則を発見、酸素の命名、"メートル法" の採用、フロギストン説を打破したことから「近代化学の父」と称される。
1774年に体積と重量を精密にはかる定量実験を行い、化学反応の前後では質量が変化しないという"質量保存の法則"を発見。また、ドイツの化学者、医師のゲオルク・シュタールが提唱し当時支配的であった、「燃焼は一種の分解現象でありフロギストンが飛び出すことで熱や炎が発生するとする説(フロギストン説)」を退け、1774年に燃焼を「酸素との結合」として説明した最初の人物で、1779年に酸素を「オキシジェーヌ(oxygene)」と命名した。不幸にして、1794年に革命政府により処刑された。天文学者ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは、ラヴォアジエの死に接して「彼の頭を切り落とすのは一瞬だが、彼と同じ頭脳を持つものが現れるには100年かかるだろう」とラヴォアジエの才能を惜しんだ。
しばしば「酸素の発見者」と言及されるが、酸素自体の最初の発見者は、イギリスの医者ジョン・メーヨーが血液中より酸素を発見していたが、当時は受け入れられず、その後1775年3月にイギリスの自然哲学者、教育者、神学者のジョゼフ・プリーストリーが再発見し、プリーストリーに優先権がある。なお、プリーストリーは酸素の発見論文を1775年に王立協会に提出しているため、化学史的には "プリーストリー" が「酸素の発見者」である。