2019年2月1日金曜日

「高峰譲吉」から学ぶ「冨山の薬売り」商法

古今東西、新薬の開発は、製薬会社内で研究開発されたものを、同じ製薬会社が (治験を経て) 市販に踏み切るのが、殆んど大部分である。 しかしながら、我々のPAK遮断剤「15K」の研究開発には、今まで製薬会社が全く関わっていない。 そこで、如何にして、製薬会社に我々の「15K」の威力と魅力 (市場価値) を認めてもらい、市販に協力してもらうかが、今後の我々に課せられた重要な課題である。そこで、創薬の長い歴史を振り返って、参考になるかもしれない実例を最近、探し始めた。 。。

先ず、(100年以上昔の) 明治時代に遡って、高峰譲吉 (1854-1922) が米国で開発した胃腸薬「タカ=ジャスターゼ」に注目してみた。 我が友人で、米国西海岸 (ロサンゼルス郊外) に永住していた伝記作家、飯沼信子さん (昨年、86歳で他界) が25年ほど昔に出版した「高峰譲吉とその妻」を参考にした*。実は、高峰譲吉の奥さんはキャロライン=ヒッチ (米国ニューオルリンズ出身) である。高峰が1884年にニューオルリンズで開催された万国博覧会の「日本館」に特許庁から派遺された際に、なりそめで婚約、 3年後に米国に戻ってきて、結婚にゴールイン。 彼は東京 (帝国) 大学の工学部 (応用化学) 出身だが、主に米国内で、 人造肥料、ウイスキーの醸造、医薬「アドレナリン」の開発など、幅広い分野で活躍した。

 1892年に (ウイスキーの醸造に利用した) コウジカビから消化酵素「ジャスターゼ」の開発に成功。5年後 (1897年) に米国の製薬会社「パーク=デービス」(10年ほど昔、大手製薬会社「ファイザー」社に、とうとう買収される) と販売契約を結び、(日本国内を除く) 世界中で、商標「タカ=ジャスターゼ」の下、市販に踏み切る。ただし、日本国内の販売については、1899年に「三共商店」(後の三共製薬) を起業家である塩原又策と共同で設立して、別ルート (別価格=より安価) で販売した。さて、米国内での、「高峰研究所」の企業との結び付きについては、キャロラインの母、社交界で顔が広い「マリー=ヒッチ」の後押しが強い!

さて、マリー=ヒッチの影響力はともかくとして、海外での販売と日本国内での販売元は「高峰流」に、別々の製薬会社を選び、日本国内では「より安価」に販売できるように、我々も「15K 」に関する特許を、「米国」(海外) 向けと「日本」向けに、別々に取得した。実は、昨年夏、冨山市内に滞在中、 私は高峰譲吉の生誕地である高岡市を訪ね、大仏殿の近くに立つ小さな「高峰博士」の銅像を拝観する機会を得た。 この地は、譲吉の父親「精一」が京都で医学を学んだ後、郷里に戻ってきて開業した地 (通称「えんじゅ屋敷」) である。

 蛇足になるが、高峰譲吉がしばしば「高峰博士」と呼ばれる由縁は、ジャスターゼの研究で「工学博士」号 (1899年)、アドレナリンの研究で「薬学博士」号 (1906年) を取得しているからである。従って、高峰博士には、「工魂」以外に「薬魂」もあった!  彼の「工魂」は、郷里「冨山」でアルミの精錬に必須な電力源を確保するために、黒部第2ダム (いわゆる「黒2」) の建設事業を起こし、現在の「冨山地方鉄道」(地鉄) の土台を作った際に大いに発揮された。

余談になるが、冨山には「ノーベル街道」と呼ばれる岐阜、名古屋へ向かう国道41号線がある。 昔は「 ブリ 」街道と呼ばれていたそうだが、街道沿いにある東大の付属研究所 (鉱山跡に建設された宇宙から来る「重力波」などを観測する洞穴!) に住みつく教授らが最近ノーベル物理学賞をもらった機会に、「観光客寄せ」のため、街道名を変えたそうである。私も「話の種に」、この街道を地鉄の高速バスで、飛騨の白川郷や新穂高温泉へ向かって、2度ほど往復したことがある。 何の変哲もない街道だった!  特に平日は客足が極めて少なく (僅か2、3名!) 、今後は大型バスからミニバスに切り換えるという噂も耳にした。。。白川郷からの帰り、金沢行きのバスは、外人観光客で満員近かったが、冨山行きの地鉄バスには、私を含めて、たった2、3名だった。とても淋しい!

 客寄せのために、街道筋に何か「目新しい」(画期的な) 建造物を近い将来、建設する必要があるだろう!  健康長寿の薬「15K」を独占的に製造する「PAK ファーマ 」(製薬会社) (直売コーナー付き) を建設するというアイディアはいかがだろうか?  海外で稼いだ「15K」 の特許使用料 (販売ライセンス料) で、「冨山振興」のため、ユニークな製薬会社の営業部を街道筋に創設するという案は決して悪くない!  ひょっとしたら、中国大陸から「15K」の爆買い客が殺到するかもしれない。。。実は、事情あって、中国特許を取得していないので、中国では「15K」の売り手がいない!  

*注:  仔細なことであるが、この伝記の90-91ページに北里柴三郎についての記述があるが、「北里研究所」は正しくは「伝染病研究所」(伝研) 、「アルセフェナミン」は正しくは「サルバルサン」(606) である。 「故人」となった著者に代って、訂正させて頂く。

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