2022年9月16日金曜日

Gough Whitlam (1916-2014): 豪州で最も尊敬に値いする首相

我が輩は1988年以来、既に30余年、豪州のメルボルンに永住しているが、豪州の史 上、最も尊敬に値いする首相は、1972年から1975年まで、労働党 (ALP) 内閣を担当して いた Gough Whitlam (1916-2014) であると断言して良いと思う。史上、最も「革 新的な」政治家だった! メルボルン大学など豪州内の全ての国立大学から授業 料を廃止し、「大学教育の無料化」を断行した! 実は、我が輩は、(幸か不幸か ) 貧乏な家庭に生れ育ったので、中学を卒業して以来、都立高校でも国立大学でも (大 学院の5年間も含めて) 、授業料免除と奨学金のお蔭で、12年間という長きに渡っ て学業を何とか続け得た厳しい体験があるから、その意味が痛く理解できる。
驚くなかれ、このWhitlam 首相の革新的政策が、1988年に、我が輩が (赤道を渡っ て) 米国から豪州へ永住する決心をした切っ掛けにもなった! 1972年に米国カ ルフォルニア州の南端 (サンディエゴ) に、ある母子家庭が住んでいた。母親は (ギ リシャ出身の) 数学の教師で、9歳から12歳の幼い2人の息子と2人の娘 (双子) と共に貧しい暮らしを強いられていた。 実は、これらの子供達の父親 (生物学者 ) が研究所で、「不倫」を犯したため、妻が敢えて、「離婚」を宣言したのだ。 しかしながら、米国で、母親だけの乏しい収入で、4人の子供に最高の大学教育を 受けさせるのは、不可能に近かった。 彼女自身は、名門バークレー (カルフォル ニア州立大学) 出身だが、大部分の名門大学は、ハーバードやスタンフォードな ど(月謝の高い) 私立大学だったからである。そこで、豪州でWhitlam内閣が、 「大学教育の無料化」を宣言するや、4人の子供を連れて、豪州のメルボルン郊外 に永住を決心した! 以来14年間、母親は高校で数学の教師を続けながら、4人の 子供達全員に、大学教育の機会を与えるという誓いを、見事に果した! 特筆すべきは、 末っ子のダニーはメルボルン大学で数学を専攻し、最終的には、英国のケンブリッ ジ大学で数学の教授に就任し、その息子も同じ大学で、目下数学を専攻している!
因みに、「Fields賞」(数学のノーベル賞」受賞者 (40歳未満!) の出身校を調べる と、ハーバード大学 (160名) についで、ケンブリッジ大学 (120名) が2位を占めてい る。。。
さて、その母親 (ラルフ夫人) は、1986年の初め頃、豪州での大任を果たして、 独りサンディエゴにある実家に戻り、近くにあるUCSD (カルフォルニア大学分校 ) の教師や学生相手に、下宿の経営を始めた。 我が輩は4年間に渡り、西独のミュ ンヘンにあるMax-Planck 研究所で (研究と登山) 生活を終え、米国東岸の名門エー ル大学で、1年半程の研究を終え、1986年の秋に、西岸のUCSDに転勤してきた。 そして、この下宿の「棚子の一人」となった。 実は、我が輩は、院生時代から、 「研究の鬼」というあだ名で呼ばれるほど、研究熱心の余り、家庭をもち、子供 を育てる人生には、余り興味がなかった。 極端な言い方をすれば、動物なら誰 (猿でも犬猫) でも出来ることで、「人類特有の頭脳」を必要としない活動だから だ。 しかしながら、ラルフ夫人の豪州での「孤軍奮闘」には、深く感銘した! 更に、彼女の料理は抜群だった。特に、「Sacher Torte」と呼ばれる、ドイツ/オー ストリア名物のチョコレートケーキを焼く腕は見事だった。
そして、その年のクリスマス=イブに、とうとう 彼女 (私の5歳年上) に結婚を申 し込んでしまった (我が輩の両親は、勿論、それに大賛成してくれた)! 翌年6月に、2人は市役所で結婚し、彼女の息子や娘たちが 住むメルボルンに、「Honey Moon」を兼ね、我が輩は初めて豪州入りした。 季節 は真冬だった! メルボルンの安ホテルで、地方紙 (AGE) を読んでいると、最寄りのメルボ ルン大学病院構内にある「ルードビッヒ国際癌研究所」(LICR) が、上級研究員を 募集中であることが判明した。 そこで、試みに応募して、セミナーをやってみる と、所長に大変気に入れられた。 そこで、即 「LICR 」への就職が決まり、豪州 へ永住することとなった。
思えば、この切っ掛けは、正に Whitlam 首相の「大学教育の無料化」政策 (1972年) だった! もし、この政策が断行されなかったら、 米国のラルフ夫人がはるばる豪州に永住することもなかったし、言わんや、我が 輩が豪州を訪れることはなかったろう。 従って、我が家は、彼の「先見の明」に 感謝せざるを得ない。。。
亡父曰く「チャンス (幸運) という名の女神は、待ち構えていて前髪を掴めばならぬ! 通 り過ぎてからでは、もう手遅れだ。後ろ髪がないからだ!」。実は、この名言は元来 「ギリシャ神話由来」で、頭が禿げているのは「カイロス」(Chance) と呼ばれる男神。。。

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