2023年1月18日水曜日

海外での「医科学」研究への勧め:
日本学術振興会: 海外特別研究員@NIH(海特NIH)

http://nih-kinyokai.blogspot.com/2015/09/nihnih.html
この奨学金制度では、 日本人で海外 (特に米国のNIH) で、医科学研究を目指すpostdoc 研究員に "給料" (月額: 約38万円) を与える。 最近 (2021年) の情報では、毎年 「18名」程度が採用されるらしい。奨学金は、日本学術振興会によって支払われる。 NIHの広大なキャンパスには、大小100 を越える研究棟 (ビルディング) が建ち並び、3千人を越える海外からのポスドクがひしめき合って、研究をきそっている。 半世紀前には、その中でも、日本からのポスドクが一番多かった (300 名を越していた) が、今日では、中国、インドからのポスドクが一番多く、それに韓国や日本からのポスドクが続いている。。。
この奨学金制度は、その昔 (半世紀ほど前) に存在した 「NIH International Postdoctoral Fellowship 」が (大幅に) 発展したもののようである。当時は、 "出資元" は NIH で、学術振興会は、(日本には) 未だ存在していなかった。 そこで、日本学術会議が、毎年、応募者の中から 4名を選考して、NIH に通知していた。
ただし、我々が応募した1973年には、米国の大統領リチャード=ニクソンが “Water-Gate” 事件で窮地に追い込まれたのが遠因で、NIH の予算が大幅に削減された結果、応募者の中から、たった "2名" (京大医学部の静田さんと我が輩) しか採用されなかった! その当時は、研究先は、NIH に限らず、米国内なら、どこの大学や研究所でもよかった! そこで、静田さんはシアトルにあるワシントン大学 (キナーゼ研究の「メッカ」) に、我が輩はコロラド大学 (ボールダー、巨大アメーバによる核移植の「メッカ」) に行き先を決めた。
しかしながら、当初の2年間の約束が、(再び) ニクソンによって、たった一年間に短縮されたので、2年目は両人とも、NIH (首都ワシントンの郊外にある世界最大の国立医科学研究所) に転勤することになった! とは言え、 結果的には、それが、いわゆる「怪我の功名」になったので、少なくとも我が輩は文句を言えない。 実は、 NIH のコーン博士の研究室に 移ってから、土壌アメーバに存在する「不思議な」 (単頭の) ミオシンに関する研究と格闘して以来4年目に、とうとう そのミオシン (ATPase) がアクチンによって、活性化されるのに必須な「新しいキナーゼ」を発見するという、意外な「ご褒美」を頂戴したからである。
その"ミオシン(重鎖) キナーゼ"が、今日まで、我々がずっと研究を続けている"病原/老化酵素"「PAK」の先駆けだった! 17年後 (1994年) に、シンガポール大学のマンサー博士 (英国人) が、哺乳類にも同じようなキナーゼを発見し、「PAK」と名付けた。。。
実は、 1975年から1976年にかけて、非筋肉細胞エキスが、ゲル化 すると共に (ATP添 加により) 収縮する という「不思議な現象」(日本語では「超沈殿」) の "謎解きレース" が世界中で始まった。
「超沈殿」と言う現象は筋肉細胞エキスで、初めて (セント=ジョルジー) によって1940年頃に観察されたが、その場合はアクチンとミオシンのみで十分であり、他の蛋白は必要なかった。その理由は、筋肉では、ミオシンが筋肉全体の蛋白の6割を占め、アクチンは2割を占めているため、 大量のミオシンのみによって、(アクチンの) ゲル化が起こり得る。 ところが、非筋細胞では、アクチンとミオシンの比が1000: 1 なので、微量のミオシンのみでは、ゲル化が起こらない! ともあれ、 その現象 (=超沈殿) にアクチンとミオシンが関与しているらしいことが、 先ず最初に予想された! そこで、「ゲル化を起こす蛋白」の同定レースが開始。 奇遇にも、静田さんは NIH 内のNCI (癌研) の Ira Pastan の研究室で、「フィラミン」と呼ばれる「高分子」(アクチンをゲル化する) Gelactin 蛋白をニワトリの胃袋などから精製。他方、我が輩は (コーンの研究室で) 土壌アメーバから (数種の) 低分子 Gelactin を丁度同じ頃 (1976年末に) 精製したので、互いに (出版前の) 「ホット」情報を交換するため (学術会議で初対面して以来、3年振りに) 「再会する」チャンスを得た。 その後間もなく、静田さんは日本へ帰国し、 京大医学部の "早石研" に戻った、と聞いている。
実は、これらの Gelactins は「抗癌蛋白」群である可能性が強い。 というのは、 1999年頃に、我々は富土フィルムと共同で、抗癌剤 「MKT-077」 (色素) がアクチンをゲル化することを発見したからだ。 この色素は 「熱ショック蛋白」を介して、抗癌蛋白「p53 」を安定化する作用も ある。 残念ながら、この色素自体は (生体内代謝が速過ぎるためか) 抗癌剤としては市販に至らなかったが。。。
我が輩は 結局、(予想外の) 7年間という長きに渡って、NIHからポスドク奨学金をもらって、自由な研究を楽しんだが、更に (別の文化をはぐくむ "欧州") でも「冒険」を続けたく、1980年に、「西独」 (統合前のドイツ) にある欧州最大の科 学研究所 (Max-Planck 研究所) に転勤し、更に「別のアメーバ」 (Physarum と呼 ばれる細胞性粘菌) に存在する新しいキナーゼ (アクチンを燐酸化する "AF-Kinase" ) の発見を楽しんだ。。。海外研究に味をしめた我が輩は、その後も、半世紀近 く海外研究生活を続け、今日では、豪州のメルボルン (南半球最大の医学センター ) で永住生活 (主に「PAK に依存する癌」の研究など) を続けながら、冒険的な 人生を満喫している。。。
最後に (海外研究をめざす人々に) 忠告したいことは、「英語の会話力」もさるこ とながら、最も大切なのは、どんな事が起こっても「柔軟に対応できる」頭脳が 必須である。 石頭の人間には、海外生活は向かない。ちっぽけな島国に一生しがみついてい た方が、無難である。。。
2008年に、GFP (Green Fluorescent Protein) の発見 (1961年頃) に対してノーベ ル化学賞をもらった下村 脩 博士 (1928-2018) がその自叙伝の中でも語っている ように、海外では、予期せぬ (日本の教科書には書かれていない) 出来事ばかり がひっきり無しに起こるので、それを一々見過ごしていると、当然ながら、お先 「真っ暗」の人生になってしまう。 彼は少年時代に長崎で 忌まわしい「原爆の 投下」 (いわゆる「黒い雨」) に遭遇したにも拘わらず、 彼自らが、偶発事件によって、あるクラゲ中に発見した「蛍光蛋白」に守られて、 90歳 に近い 「健康長寿」を、 主に留学先の米国で楽しんだ。。。。
もっとも、彼の時代には、 "NIH の fellowship" 制度が未だなかったので、「Fullbright Fellowship」 をもらい、豪華客船「氷川丸」で、太平洋を渡り、最終的には、プ リンストン大学で、新婚の奥さんとポスドク生活を始めた。。。 幸運にも、その 1-2年後に歴史的な「GFP」の発見が (シアトルの沿岸で) "偶発" した!
奇妙な偶発事件は更に続く! 1990年代初め頃、この「おわんクラゲ」が突如とし て、(恐らく、地球温暖化のため) シアトルの沿岸から姿を消した! しかし、偶 然にも、その直前に、(極めて幸いにも) ボストン郊外にあるウッズホール海洋研 究所のある若い学者が 「GFP の遺伝子」を既にクローンしていた。 従って、蛋白 無しに、その遺伝子を「透明な線虫」で発現することに成功する学者が、コロン ビア大学に出現した! そして、その蛍光を高める変異体の開発/市販に成功した 学者が UCSD に出現した。 これらの偶発事件の重なり (ドミノ現象) によって、 下村さんによる "GFP 発見" が (半世紀後に) 「ノーベル財団」によって "再評価" された というわけである。
実は (極めて) 奇妙な話であるが、我が輩が初めて、線虫中で、熱ショック蛋白 (HSP) 遺伝子のプロモーターを連結させた「GFP」遺伝子の発現を指標に、「PAK」 の機能を調べ始めたのは、 彼のノーベル受賞の前年 (2007年) の夏だったが、GFPの 発見者 (下村) の存在を、全く知らなかった! 従って、翌年の彼の受賞は、正に「青天のへきれき」 だった! 然も、彼が我が輩と同様、「薬学」出身というのは、 極めて痛快だ! 歴史は常に繰り返す! ひょっとしたら、同じような事件/現象が、(例えば) 数年後に発生するかもしれない。。。
つい最近知ったが、下村さんの奥さんで (研究パートナーでもある) 明美さん (86歳) が、昨年5月にCOVID に感染し、米国で他界されたそうである。 夫妻 (キュリー夫妻の日本版!) とも長崎大学薬学部の卒業生だそうである。。。長男 (努さん) は、 CalTech 出身の「 IT (take-down) エクスパート」 (物理学者) として、米国で活躍中! ひょっとすると、努さんと我が輩との名コンビで、何か "新しい発明" が達成出来るか もしれない。。。 実は、我が輩の旧友で、東大出身の馬淵一誠教授は、(その昔) 細胞分裂 (cytokinesis) にミオシンが必須であることを証明したが、おわんクラゲ等の "海洋生物" との関係を通じて、(昔から) 努さんと親しい。 従って、馬淵さんを介して、努さんと接触することが可能。。。
(世界中の) 様々な人々と接触し、かつ新しい環境にうまく適応することが、「進化への第一歩」である、と我が輩は考えている。。。

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