フビライ、モンゴル帝国(元朝)の皇帝 は、1268年に複数の使節団を日本に送り込み、日本の「王」(支配者) に対してモンゴル帝国に臣従することを求めた。この使節団が無視 (もしくは追い返) されたことで、フビライは1274年10月に船900艘、兵士20,000人からなる大軍を送り込み、対馬海峡を通って対馬へと侵攻を開始した。 これが、日本とモンゴルとの「最初の接触」だった。結果としては、「神風」 (台風) 襲来の御蔭で、日本は助かった!
二度目の接触は個人的なものだった。日本の元僧侶 (三島海雲) が、第一次世界大戦中に、蒙古高原に滞在し、放牧民の「酸乳」文化を、帰国後 (1919年頃)、「カルピス」という形で、日本中に広めた。元来 "病弱" だった三島は、カルピスのお蔭で、95歳を越える「長生き」をした!
3度目の接触は、日本の敗戦後、モンゴルから、多数の相撲力士 (朝青龍 など) が続々と、日本の相撲界で、大活躍し始め、多数の有名な「横綱」力士を産み出した!
モンゴル出身の「横綱」の中で、我が輩の大好きな力士は、"業師" の日馬富士と "努力家" の照ノ富士だった!
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