2018年8月29日水曜日

"起死回生"のグルメ: Penne Arrabiata @ Saizeriya

3か月以上、このブログを休刊していた理由には、主に2つある。 そのひとつは、ブログの添削には、メルボルン自宅にあるパソコンが必要だからだ。5月15日以来3か月、冬期のメルボルンから夏期の日本国内 (主に、富山、鳴門、大阪方面に滞在を始めたから、携帯の国産パソコンでは、ブログの添削ができないことが 判明した。 もう一つは、8月15日に猛暑 (連日35度以上!) の日本から、未だ冬期(日中でも10度前後!) のメルボルンに帰宅して、途端に重症の風邪をひき、発熱、頭痛、咳、食欲消失で、一週間ほど寝床に臥していた。 パソコンどころではなくなかった。しかも、帰宅早々、自宅のパソコンが、ある種の「サイバー攻撃」にあったらしく、使い物にならなくなった。 幸い、パソコンは一万円ほどの修理費で、再稼働可能になった。

さて、この「どん底状態」から私をはい上がらせてくれたのは、真夏の日本で味を憶えたイタリア風パスタの一種、「アラビエータ」だった。メニューの欧州名称は、「ペネ アラビエータ」のようであるが、富山駅前のCICビル4階に最近開店した大衆 (チェーン) イタリアン料理店 (サイゼリヤ) では、「アラビエータ」と略称している。 富山滞在2か月中に、とうとう私の大好物のひとつになった。もう一つの好物は富山駅前にある立山そばの「山菜そば/うどん」だった。 両方とも、一品400円で、うだるような連日の暑さに、「年金暮らしの年寄り」の食欲を持続し得るランチとなった。

メルボルンで床に臥ている間に、突然、このパスタのイメージが私の頭に浮かんだ!  かばっと起き上がって、徒歩20分のスーパーマーケットまで出かけて、材料 (ペネと呼ばれるパスタ、英国風ベーコン、トマトソース、オリーブ油、パ-メジアチーズなど) を買い集めて、早速、自宅のキッチンで鍋やフライパンを駆使して、料理を開始した。 わずか15分で料理は完了!   (料理のコツは、先ずパスタを12-15分ほど煮た後、ベーコンを細かく切り刻んで、フライパンに移し、タップリのオリーブ油と一緒に1-2分炒めた後、水を切ったパスタ全体をフライパンに移し、トマトソースをたっぷりかけて軽く炒めて、出来上がり)。
おかげで、私の食欲はすっかり回復し、まだ極寒のメルボルンの厳しい天候に耐え続けている。 。。

 私の理解が正しければ、本場イタリアの「ペネ アラビエータ」は、本来ベジタリアン (菜食主義者) 向けのチリー胡椒がぴりっときいたパスタであったが、それが日本のサイゼリヤなどを介して、進化を遂げ、チリー胡椒が英国風ベーコンにかわって、少量の肉を味わえる素敵なパスタに変貌して、人気を呼んでいるようである。

 「サイゼリヤ」の生い立ち:
サイゼリヤの現会長である正垣泰彦が、東京理科大学在学中に千葉県市川市八幡にある洋食店「サイゼリヤ」で勤務をしていたところ、経営者からその腕を認められ、大学4年生のときに店を譲り受けた。しかしその7ヶ月後に火事を出して休業となる。休業期間中に正垣は、これからはイタリア料理の人気が出ると判断し、洋食店からイタリア料理専門店に転換して店を再開したが、客足はぱったりと途絶えてしまった。

正垣は、その原因は価格にあると考え、メニューを全て7割引で販売するという行動に打って出る。この判断が見事的中し、「サイゼリヤ」は行列が出来るほどの大繁盛となった。「この方針ならば売れる」と確信した正垣は、サイゼリヤを低価格路線に乗せ、現在の地位を確立していくこととなる。

1973年5月、正垣は株式会社マリアーヌ商会を市川市八幡に設立。それまで営業していた「レストランサイゼリヤ」のチェーン展開を開始し、千葉県を中心に出店を続けた。1987年、商号を株式会社マリアーノに、1992年には、株式会社サイゼリヤに変更した。

2018年5月12日土曜日

稀少遺伝子病「ヌーナン症候群」はプロポリスなどで治療しうるはず!

その理由を以下で、簡単に説明しよう。  先ず、余り聴きなれない「ヌーナン症候群」とは一体何かを説明しよう。 半世紀以上昔 (1963年頃 )、 米国の循環器系小児科の女医、ジャクリーヌ=ヌーナン博士が初めて発見した遺伝子難病で、丸で人形の「キューピーちゃん」のような容貌をした可愛らしい子供たちに多い心臓疾患と脳の発育不全を伴う稀少難病 (千人に一人の割で発生する) 病気である。

さて、 この疾患が遺伝子病であることが、判明したのは、今から数年ほど前である。 遺伝子RIT1 上に突然変異が起こると発生することが、東北大学医学部の松原教授らによって、解明された (1)。 それでは、RIT1  (Ras Like Without CAAX 1) 蛋白には一体どんな機能があるのだろうか?  発癌性G 蛋白RAS に似た蛋白であるが、C末端に「CAAX 」というモチーフがない発癌性シグナル蛋白である。 

それでは、 その直接の標的は一体何だろう?  その標的がごく最近、北ドイツにあるハンブルグ大学病院 (UKE) の 研究グループ (Kerstin Kutsche etc) によって同定された!  標的は何んとPAK だった!  RIT1 に変異が起こると、PAKを異常に活性化する (2)。  従って、NFと同様、プロポリスなどのPAK遮断剤で、「ヌーナン症候群」(俗にいう「キューピーちゃん病」) を治療しうるはずである!

 因みに、 ドイツの「UKE」 は、欧州最大の大学病院で、10年以上昔、私が客員教授として一年間滞在し、プロポリス (Bio 30 ) が "NF" の治療に効果的であることを動物実験で実証した「ゆかりの地」である。

参考文献: 
1. Aoki Y, Niihori T, Banjo T, et al. Gain-of-function mutations in RIT1 cause Noonan syndrome, a RAS/MAPK pathway syndrome. Am J Hum Genet. 2013; 93(1): 173-80.

2. Meyer Zum Büschenfelde U, Brandenstein L, von Elsner L, et al.  RIT1 controls actin dynamics via complex formation with RAC1/CDC42 and PAK1. PLoS Genet. 2018 May 7;14(5):e1007370.

2018年5月8日火曜日

History: 剣岳 (標高2999m) へのアプローチ (今昔)

剣岳は標高が低い割合に、登山の難易度がかなり高い (文字通り切り立った) 岩山で、富山県内では、一番難かしい山だと言われている。 私は槍や穂高連峰には、大昔 (院生の時代) に登山の好きなガール=フレンドと一緒に登ったことがあるが、剣岳には未だ挑戦したことがない。私も来年には、いよいよ喜寿 (77歳月) を迎えようとしている。 富山に長期滞在する機会を利用して、もし幸運に恵まれ、7月10日 (火) までに梅雨が明ければ、「剣」にも一度挑戦したいものである。

最も一般的らしいルートは、一泊2日コースで、室堂ターミナルから出発して、主に "尾根づたい" に、雷鳥平、剣沢小屋などを経由して、全行程 (往復) で12時間半、標高差 1700 m、歩行15 km を要するそうだ。

行程:

富山発 (6:00 am) -(鉄道)- 立山着-(ケーブル)- 美女平- (バス)-室堂着 (8:30 am)  

室堂ターミナル・・・雷鳥平・・・別山乗越・・・剱沢小屋・・・一服剱・・・前剱・・・剱岳・・・前剱・・・一服剱・・・剱沢小屋・・・別山乗越・・・雷鳥平・・・室堂ターミナル

少なくとも、(できれば日帰りで)  "前剣大岩" まで一気に、いわゆる「視察登山」をやってみたい。

登山実例:
2013/8/10
9:45 am 室堂バスターミナル - 10:30雷鳥沢 - 11:10新室堂乗越 - 12:50剱御前小屋 - 13:30剱沢キャンプ場 (一泊)
2013/8/11
3:45 am 剱沢キャンプ場 - 4:20剣山荘4:50 - 5:10一服剱 - 6:05前剱 - 8:10剱岳 - 11:30剱山荘 - 12:00剱沢キャンプ場13:50 - 15:40雷鳥沢 - 16:40室堂バスターミナル 


剣沢小屋より剣岳近く、山小屋 (剣山荘) あり! 


この山荘で一泊すると、初日と2日目のエネルギーの「不均等な」配分が (多少) 是正されるのでは? (30分違いだが) 。 "前剣大岩" の手前にある「草つき」に一泊用の個人テントを張れれば理想的なのだが。。。ここに2、3人が寝袋で一夜を過ごせる「避難小屋」を作るべき!  それが実現するまでは、健脚でない人/中高年者には、剣山荘近辺で (行き帰り) 2泊するのが無理のないアプローチ!  

注意: 「平蔵のコル」から 山頂 に向かう地点が剣岳「最大の難所」 (いわゆる「カニの縦ばい」) で、「上り」ルートと「下り」ルートに分岐してはいるが、登山ラッシュ時 (8月) の週末には、登山客が押すな押すなとやってくるので、自分のペースで進むのが難しく、 誰かが (「あせり」のために) 事故を起こしやすい。
http://www.jalps.net/non/chosen/turugi.html


従って、マイペースを楽しみたい中高年者 (リタイヤ組) には、登山客が少ない「ウイークデー」(週末以外の普通の曜日) を狙う「ゆとりの登山」をお勧めしたい。

 長次郎谷 (雪渓) 経由ルート:  
「平蔵のコル」(特に上り) での混雑をさけるため、剣沢小屋から、いったん剣沢の雪渓を(標高差) 500 m ほど一旦下り、"長次郎谷" の雪渓に沿って (標高差) 1000 m を一気に昇るアプローチは、「アイゼン (12本爪マスト) とピッケル」を必要とするが、このコース は、柴崎芳太郎 (測量) 隊が明治末期に剣岳「初登頂」に成功した "歴史的な" ルートで、先人の偉業を噛みしめながら、雪渓の醍醐味をゆっくりマイペースで味わえる「ベテラン」コースである。 雪解け時には、 足下の「クレパス」に十分注意すること!



ちなみに、この歴史的エピソードを綴った 山岳作家「新田次郎」作の「剣岳: 点の記」が10年ほど前に映画化された。 新田次郎は、アマチュア登山家でもあった我が亡父が好きだった作家の一人。 この作品は、主に "残雪" をうまく利用した登頂成功例 (地理測量調査、舞台は明治末期!) であるが、夏山の「剣」は、自分の経験に合ったルートを選べば、さほど困難ではなさそう。 


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%92%E5%B2%B3_%E7%82%B9%E3%81%AE%E8%A8%98

記録に残る (剣岳の) 初登頂は1907年(明治40年)7月中旬の陸軍参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎らによるものであるが、驚くべきは、彼らが("前人未踏"と信じ込んでいた) 山頂に立った時に意外なものを発見。(奈良時代末期から平安時代初期) の錫杖と鉄剣の先らしいもの。更に、山頂近くの岩屋には古い焚き火跡もあった。柴崎隊より千年以上前の8世紀頃に、(山小屋なし、鎖ガイドなしで) 既にこの山に初登頂した先達 (古代日本の"ヒラリー卿"と呼ぶべき人物) がいたのだ! 正に, 尊敬の念に絶えない。。。

さて、奈良時代の"先達"は、一体どのコースを選んだのだろう? 勿論、記録が全く残っていないので、誰も知る由はないが、仮に私が"奈良時代"に 北陸で生まれていたら、恐らく"剣沢-長次郎谷"コースを選んだだろう。素朴かつ大胆な「修行者」にピッタリ合った道のりだ。

長次郎 柴崎芳太郎隊の 案内 (言わば、地元の「シェルパ」) 、この"雪渓" 登頂ルート見いだして、剣岳への「初登頂」に貢献している。岩尾根ルートからの2度の失敗をものともせず、新たに「雪の道」を見出して山頂 に挑ん! もっとも、長次郎自身は宗教上の理由で、地元で登山が禁じられていた (神聖な) 山頂には、足を踏み入れなかったとされている。

1953年に世界最高峰「エベレスト」(標高8850 m) の初登頂に成功した地元の「シェ
ルパ」 (テンジン=ノーゲイ)
は、ニュージーランドの登山家 (ヒラリー卿) と肩を並べて、誇らしく山頂に立った!  どうやら、同じ仏教徒でも、"北陸" の長次郎
と"ネパール" のシェルパとは、周囲の事情が微妙に異なる
ようだ。