2021年2月18日木曜日

東京の一等地 「永田町」 に唯一残る外国公館:
「メキシコ大使館」 を巡る "世紀" の謎?
大使館と名門「日比谷」が「遅刻坂」を挟んで
肩を並べ合った歴史的由縁

国会議事堂がある千代田区永田町は、昔から「東京の一等地」(日本の心臓) と呼ばれているが、この地に現存する外国の大使/領事館はたった一つ、永田町2丁目、 「都立日比谷高校」の直ぐ隣にある「メキシコ大使館」のみ! 考えてみると、「日比谷」も当地に残る唯一の公立高校!
ところが、我々が 「日比谷」 に通学していた時代 (1958-1961) には、この大使館は未だなく、広々とした草っぱらだけが広がっていた。 その空き地には、敗戦直後から1953年頃まで、米国占領軍GHQ の政策に従い、「ジェファーソン=ハイツ」 と呼ばれる駐留軍の家族 (70世帯) が生活するいわゆる 「リトル=アメリカ」 が占拠していた。このリトル=アメリカは、東京の7ヶ所ほどに散在し、そのうち最大だったのは、後に東京五輪 (1964年) のオリンピック選手村になった代々木の「ワシントン=ハイツ」である。 「ジェファーソン=ハイツ」(JH) の跡地に、今のメキシコ大使館が開店営業し始めたのは、我々が高校を卒業してから、(正確な数字は憶えていないが) 数年後 (恐らく、1968年の"メキシコ五輪開催" が決定した1962年直後) であろう。従って、JHの跡地は、10年以上、原っぱのままだった。。。
さて、 我々が高校に入学して間もなく、我々の同級生数人がある日、図画工作の「100分」授業時間中に写生のために、(我々の通学路 「遅刻坂」) の直ぐ崖上にある荒れ果てた原っぱに出かけ、写生中に偶々、草むらに半ば埋まっていた大きな古い石碑を見つけた! 発掘してみると、石碑に文語文で書かれた碑文の題名として 「墨国」 という見なれない漢字が刻まれていた。 放課後、3階 (屋上にあった) 図書館で漢和辞典を徐ろに紐解いてみると、「メキシコ」 という意味であることが判明したそうだ! しかし、メキシコ とJH とは、一体どんな関係にあるのか、当時さっぱり見当がつかなかったと、つい最近、その同級生で、麹町中-日比谷-東大コースを経て、生化学者になった我が親友の一人からメールをもらった (彼は、永田町小学校方面から徒歩通学していたので、地元「永田町」に詳しい) 。 とにかく、その古い石碑は、その後、その空き地にメキシコ大使館が建てられる (謎の) 「運命付け」 を解く貴重な鍵になっていることはだけは確かだった。。。
そこで、(良い意味で) 「執念深い」 我々は、謎解きへの努力を開始した。 先ず、1911年以前の永田町界隈の「参謀本部」の古い地図をGoogle 検索で見つけた! 駐日清国公使/領事館 (1884年発足、永田町1丁目、1910年に永田町2丁目に転居) が記載されていたから "明治時代" の地図だ。辛亥革命(1911年) により、清国が滅び、中華民国が成立する。さて、1929年に日比谷方面にあった「日比谷高校」の前進、府立一中、が永田町2丁目 (実は、明治時代の「たばこ王」村井吉兵衛の邸宅跡) に引っ越し、敗戦後の教育制度により 、「都立日比谷」に改名した。 その古地図には、当然ながら、府立一中は未だ記載されていないが、麹町区永田町2丁目に、日枝神社を含む「星が岡公園」とその直ぐ隣に「メキシコ公使/領事館」があった! つまり、少なくとも1911年以前に、この原っぱに、メキシコ大使館の「前身」があったことが明確になった! それでは、一体いつごろから、この領事館は、そこで開業していたのだろうか? 外務省の古い記録によると、1888年 (明治21年) に、日本とメキシコの間で、初めて相互条約が結ばれ、1891年に初代のメキシコ公使が東京の一等地 (永田町2丁目) に赴任したことが、判明した: メキシコの初代駐日代表はJ. M. Rascon 特命全権公使で、1891年11月18日に信任された(『明治天皇紀』第七、931頁)。――住所は麹町区永田町二丁目21番地。。
さて、このメキシコ領事館は、戦前一体いつ頃まで、存在していたのだろうか? メキシコ政府の外務省記録 (スペイン語の邦訳) によると、日本軍による米国の真珠湾奇襲 (1941年12月8日) に伴う太平洋戦争の勃発と共に、米国やカナダなどと共に、連合軍側についたメキシコ政府は、日本政府と国交断絶、更に日本に宣戦布告をすると共に、永田町の領事館を閉鎖したらしい。
少なくとも、このメキシコ領事館が関東大震災 (1923年) や米軍B29 による爆撃で、大きな損傷を受けたという記録/形跡は全く見つからなかった! そこで、敗戦後直ぐ、GHQ の命令で、領事館跡が、いわゆる 「リトル=アメリカ」 (JH) としてスムーズに利用される運命になったわけだ。
ひょっとすると、例の古い石碑が「メキシコ大使館」のどこか (中庭か歴史館など) にひっそりと保管されているかもしれない。。。
戦後における日本とメキシコとの国交回復:
1952年のサンフランシスコ平和条約の締結により、日墨 (日本とメキシコ) 間に一応 (見かけ上) 国交回復が成立し、加瀬俊一 (いわゆる「大加瀬」) が駐メキシコ大使として赴任したが、永田町にメキシコ大使/領事館が復帰するまでに、一体なぜ、十余年もかかったのか? という疑問が残る。。。その答えには、恐らく「裏切られた親友同士ほど、仲直りが難しい」という諺が、最も適切だろう。。。実は、日墨間には、国際的に稀れに見る極めて親密な「アミーゴ」関係が、太平洋戦争勃発まで、"半世紀" という長きに渡ってあった。。。
1853年に米国の黒船 (軍艦) が日本を訪れ、江戸幕府に開国を強要し、幕府は厭々ながら、日米通商条約を結んだ。それをけっきに欧州の列強 (特に、英国やドイツなど) も、いわゆる「不平等な」通商条約を日本の明治政府にも強要してきた。それだけではない。前述したが、英独 (作曲家たち) は明治政府に下らぬ「君が代」まで押しつけた!しかしながら、メキシコ政府は、初めて「対等」な通商条約を、明治政府に提案し、1888年に日墨友好条約が結ばれた。メキシコ人 (原住民) は、元を正せば、太古にモンゴールから、シベリア、アラスカ経由で、中南米に住みついたアジア系民族 (縄文民族) の子孫で、日本民族 (主に縄文/弥生民族の混血) といわば "近しい" 血縁関係にあった。そこで、初めて対等な条約を結んでくれたお礼に、日本の明治政府は、メキシコ政府のために、一等地「永田町2丁目の高台 (星が岡)」に一戸建てのメキシコ公使館を用意したのだ! 最初のメキシコ公使/領事が1891年に永田町に赴任した、こうして、日本とメキシコの間に親友 (アミーゴ) 関係が始まった。このアミーゴ関係は、1910年に、メキシコ独立100周年記念直後に発生したクーデター事件を介して、更に深まった! 詳細は、下記のブログに譲るが、当時の大統領マデロが反乱軍によって捕獲、銃殺されたが、大統領夫人やその側近/家族ら30名が、当時の駐メキシコ日本領事の堀口公使の夫人 (ベルギー人のスチナ) の英断によって、日本領事館に安全にかくまわれた: https://blog.looktour.net/esprit41/
オクタビオ=パス (1990 年ノーベル文学賞) は、戦後初のメキシコ臨時公使 (1952-1955)として、 「帝国ホテル」内の臨時領事室で職務執行! 将来、永田町にメキシコ大使館を開設するための準備作業を開始する。さて、パス氏は、芭蕉の「奥の細道」など日本文学にも造詣が深く、かつ (スペインのフランコ独裁政権に反対した) 「革新派」でもあったので、ひょっとしたら、1994年の大江健三郎のノーベル文学賞受賞にも多少寄与していた可能性あり。。。
実は、「アサヒグラフ」によると、1964年の5月 (東京五輪の半年前)、当時の 皇太子夫妻が初めて、 メキシコ (次の五輪開催予定国) を訪問 ! 恐らく、この皇室訪問が「日墨の雪解け」(橋渡し) になったようだ!
1969年に「日墨通商協定」が新たに締結されたが、一番疑問に思うことは、(メキシコは日本との貿易で、輸出/輸入共 僅か1%前後の寄与に過ぎないが)、メキシコは大使館を (半永久的に) 「一等地」に構える価値が果してあるのだろうか?
最新情報によれば、"日本の主な貿易相手国" :
https://www.customs.go.jp/toukei/suii/html/data/y5.pdf
(2018年輸出先): 中国(20%), 米国(19%), 韓国(7%), 台湾 (6%)
(2018年輸入先) : 中国 (23%), 米国 (11%), 豪州(6%), 韓国(4%)

以下は、我が輩の単なる推量であるが、戦後 (特に1960年代) に回復された日本とメキシコとの密接な政治的 (アミーゴ) 関係は、両国が「威信」をかけた1964年 の五輪「東京誘致」と1968年の五輪「メキシコ誘致」の際に、両国間で如何なる水面下の「駆け引き」 (相互扶助) があったかにあると睨んでいる。。。
新情報: 実は、1962年10月に、メキシコ大使館 (永田町) の落成式があった、という情報を入手! 従って、来年 (2022年) 10月には、駐日メキシコ大使館が永田町 (日比谷高校の隣り) に移転してから、「60周年」を迎えることになる。こうして、永田町におけるメキシコ外交の歴史は、領事館時代 (戦前、半世紀) と大使館時代 (戦後) との狭間に、(米軍ハイツや例の"古い石碑"を含む) "20余年の複雑な空白期間" を残しながら、一つに結びついた!

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