英国で1823年頃に、偶然に誕生したラグビー (実は、オックスフォード大学出身の牧師が発明者!) は、その後、南半球にある英連邦の3国、ニュージーランド (オール=ブラックス)、豪州 (ワラビー)、南阿 (スプリング=ボクス) のラグビーチームによって世界一を競われ始めた。 最近では、英国の隣国アイルランドのチームが、世界ランク2位に乗し上がった。そのアイルランドチームを、日本で開催中のワールドカップ (2019年) の予選で、見事に破った日本のラグビーチーム (世界ランク10位) の快挙 (成長ぶり) は実に素晴らしい。 もっともチームの大半 (ラガーマン) は、海外育ちのいわゆる「外人部隊」だそうであるが。 スポーツや科学の世界では、国境はない。生まれはともかく、自分が選んだ好きな国で存分に活躍してもらいたい。
日本にラグビーが紹介されたのは、1899年、横浜生まれのエドワード=クラーク教授と田中銀之助によって慶應義塾大学の学生に紹介された。クラーク (英語教師) と田中は共にケンブリッジ大学の卒業生。1901年、慶應チームは「Yokohama Foreigners」(横浜外人) と対戦し、35対5で大敗した。1991年以来、「東京外人」チームが日本 (特に首都圏) でラグビーの普及と国際親善に活躍中。
10月13日の対スコットランド戦に、もし日本が勝利すると、グループAの"トップ"となり、恐らくグループBの2位のチーム (これまで2戦全勝の強豪「南阿」) と準準決勝を争うことになるだろう。結局、日本の快進撃は「強豪」南阿に大きく阻まれ、準決勝は、英連邦諸国のみ (英国、NZ、南阿、ウエールズ) 同志の間で戦われることになった。これまでの日本の健闘を讃えたい! 今回、NZ (オール=ブラックス) は精彩がなく準決勝で英国に惨敗、決勝 (11月2日) では、南阿が英国を圧倒し、32-12で優勝した。 前半は両者トライなしで、ゴールキックで点稼ぎを続けたが、後半に南阿が2回の見事なトライに成功し、勝負をつけた。
日本は、準々決勝で「優勝チーム」南阿に負けたのは、当然の帰結だった。前回のワールドカップで、(油断か) 日本に小差で負ける大失敗をやらかした南阿は、4年間に著しい成長を遂げ、今回遂に (通算3回目の) 栄冠を勝ち得た。日本も今回得た教訓を生かして、次回に向けて、更なる成長を期待する!
(スクラムを組む) 頑丈な体と、ボールを抱えて50メートルを一気に疾走する脚力の持ち主が、典型的なラグビー選手である。勿論、機敏なパスや正確なキックの出来る能力も必要だ。か細く駿足でもない私自身は、マラソンや競歩選手に過ぎず、とても「ラガーマン」にはなれない。
しかしながら、我が母校 (都立日比谷) のラグビーチームは、その昔 (1961年の正月明け) に、ラグビーの名門校である(私立) 保善高校と肩をならべて、東京代表として、花園ラグビー場で開催されたインターハイに出場して、見事「ベスト8」に残る快挙を果たし、「文武両道」を日本中に示した輝かしい歴史を持つ。しかも、チームの主力は、大学受験を間近に控えたベテランの3年生組! 当時、日比谷から毎年200名近い卒業生が、勿論ラグビー部員 (ラガーマン) を含めて、東大に入学していた。だから、ラガーマンではない卒業生も、ラグビーには「ひとしおの関心」があった。 当時、ラグビー部のキャプテンだったのは、我が同級生の角尾 肇 君だった。 医学部に進学し、その後、花粉アレルギーを研究する免疫学者として活躍していると聞いている。彼も、今年のワールドカップをさぞかしエンジョイしているに違いない。。。
このワールドカップ終了後まもなく、東京で我々の「喜寿」(77歳) を祝う同窓会が開催されると、同級生から聞いている。 恐らく、ワールドカップも活発な話題に乗るだろう。残念ながら、私は今回は出席できないが、数年前の同窓会では、50名クラスの30名ほどが元気な姿を見せた。 「米寿」 (88歳) を祝う同窓会には、(まだ健在ならば) 是非出席したいと思っている。それまでに「日比谷」の再起 (花園へ再出場) が実現すれば、実に素晴らしい!「 文武両道」が古今東西に通ずることを再確認できるからだ。
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