これから、綴る事は、必ずしも「100% 」真実ではない。 読者を退屈させないために、多少の「アドリブ」(即興的な修飾) を加えてあることを、承知の上で、いわゆる「眉唾」で読んで欲しい。。。大事なのは、底流に流れる「根本精神」である。
我が輩 (H) の (精神的な) 人生は、10歳頃 (小学4年) に始まる。 それまでは、言わば、"無意識" の世界だった。 実は、1953年春 (南北 "朝鮮戦争" の休戦直前) に、我が家で大事件が起こった。 「結核の集団感染」だった! 我が家は3人兄妹 (我が輩が長男で、2人の妹) だったが、一番下の妹 (A) が、小学校に通学し始めて直ぐ、「ツベルクリン反応」が陽性 (結核感染の証拠!) になった。間もなく、上の妹 (M) も陽性反応を示した。最後に我が輩の番がやって来た。 矢張り、陽性だった! 実は、我が家は貧之所帯で、子供3人が6畳一間に寝泊まりしていた。誰かが外で感染すれば、 直ぐ全員に感染するのは目に見えていた。 一体誰が最初に 結核菌 (T) を持参したのかは、遂に "迷宮入り" となった! 幸い、4畳半に寝泊まりする 両親は「T反応陰性」 だった! クラスの3分の1 ほどが「T反応陽性」なったが、我が家を含めて皆 「貧乏人の子女」で、根本病因は、「栄養失調」で、感染に対する抵抗性が欠如していたためだった!
間もなく、校医の一声で、感染者は全て、休校、自宅療養を強いられた! しかしながら、当時、特効薬などなかった! 自宅近くに羽田という開業医がいて、苦い薬をオブラートに筒んで押売り、飲まされたが、全く効果はなかった!
さて、将来、世界の医学界をリードすべき科学者に成長するはずの我が輩を産んだ両親が一体なぜ、そんなに貧之だったかを、説明する必要があろう。。。 実は、日本帝国陸軍が中国の満州を侵略した こと (満州事変) が主因だった。
父 (M) は、天の橋立ての近くで、9人兄弟の末っ子として生れたそうだ。 彼の父親は勤勉な弁護士だった。実は、父の祖父は、いわゆる「笛吹き童子」で、代々江戸時代から継いで来た醤油の樽をとうとう腐らして、帯刀を許されていた町人の家系を一代にして、潰してしまった。そこで、その息子は、真面目に勉学に励み、法律家として、身を立てたというわけである。 我が父は京大の独文に進み、カント哲学やゲーテ文学を学び、教職を得たが、満州事変に反対して、とうとう教職を失った!
彼の直ぐ上の兄 (T) は、兄弟の中で 唯一の実直な理系 (東工大卒) で、ある自動車会社で、車体の設計を担当していたそうだ。そこで、我が父は、その兄の勧めで、上京し、戦争中は、自宅の農地で "百姓" をしながら、生計を立て、兄が通う教会の知人の世話で、やはり関西から上京してきたあるインテリ女性(S) と、見合いの末、学士会舘にて、(真珠湾攻撃直後の) "クリスマスイブ" に結婚する。 米国のミッションスクール (神戸女学院) の英文科卒だった。 この女性が結婚に合意した最大の理由は、彼の家が、代々"醤油屋"だったからだそうだ (?)。 もっとも、その家業は、祖父の時代に突然断絶したのだが。。。父が "晩婚" (36歳) だったので、両親は結婚後、規則正しく(15カ月間隔で) 3人の子供を生み落とした。先ず我が輩に続いて、2人の妹が生れた。 末の妹が生れたのは、終戦直後の9月末だった。
丁度、米国のマッカーサー元帥が、いわゆる「丸腰」で、府中の飛行場に降り立った時分である。 両親は太平洋戦争に否定的だったので、終戦 (敗戦) を歓迎した! そして、末っ子が乳離れするや、母は元帥の都内にある "GHQ" で、通訳や翻約の仕事に就いた。父は、家で百姓や "家政夫" として、料理、洗濯、育児 etc を全て担当した! それは当時としては (今でも) 「英断」だった! 女性の給料は当時、"男性の半分" だった! 3人の子供と夫の生活費を "女手一人で" 稼ぐのは、並み大抵ではなかった! GHQ での仕事の他に、料理屋で、「皿洗い」 などをしていたようである。。。
さて、ある日、母が勤め先の "GHQ" の上官(将校) に、 「小児結核に効く特効薬はありませんか?」と尋ねたところ、上官曰く「PAS (p-amino Salicylate) が戦争中に、結核に効く薬として、開発されたよ。横浜の "PX" で入手出来るはずです」。小踊りした母は、早速、横浜まで出かけて、駐留軍家族向けのスーパーである "PX" で、PAS を入手した!
PAS を飲み始めるや、3人兄妹共、いわゆる微熱が下がり始め、咳もしなくなった。夏休み明けの9月からは、3人とも、無事「復学」できるようになった!
この貴重な 5カ月の自宅療養中に、我が輩の身に2つの大きな変化が起こった。 一つは、父が毎日、「算数の遅れ」を取り戻すために、算数の家庭教師をやってくれた。
1-2カ月には、4年の算数の教科書が済み、5年用の教科書を学校の前にある文房具店から、購入! それも、1-2カ月で終了し、復学前の夏休み中には、6年の教科書 (算数) も終ってしまった!
もう一つは、5月末に、英国のエベレスト探検隊に属する "NZ" のヒラリー卿とそのシェルパ (ネパール人) が、世界最高峰 (標高8850 m) の頂上に見事到達した! そのニュースが毎日新聞の一面に写真入りで報道されると、登山家でもあった父は曰く。「エベレストは遂に征服された! お前は、自分自身のエベレストを、一生をかけて、探せばならないよ。 他人の猿真似はするな!」。 10歳の小学生で、結核で死ぬかもしれない我が身にとっては、極めて "高いハードル" だったが、その言葉は一生、我が輩の頭から離れなかった!
それから、瞬く間に20年の月日が経った! 我が輩は、本郷にある大学院で薬学博士号を取得し、一年だけ助手を勤めてから、船で渡米した (50年以上昔の真夏、 1973年8月3日)。目ざす最初の行き先は、コロラド大学のあるロッキー山脈の麓「ボールダー」(標高 1 マイル) だった。ここから、ロッキー山脈の最高峰、"ロングクピーク" (標高 約4400m) に挑戦出来る!
父曰く、富士山は「眺める山」("富獄百景") で、登山する価値は余りない。挑戦するなら、「岩登りの技術」を必要とする富士山よりも高い (海外の) 山を目ざせ!
ボールダー構内にあるゴールドシュタイン教授の研究室は、巨大アメーバを研究材料にして、"核移植" という手法を使って、あるアメーバ中でアイソトープ標識した核を別のアメーバに移植し、その動態を研究する「世界中のメッカ」である。
ここで、先ず核移植手法をマスターした後、核膜だけを特種なアイソトープでラベル後、別の (既に脱核した) アメーバに移植し、核分裂期に一旦消滅する核膜が、
再生された後、 2つ娘細胞の核に、そのアイソトープが、どう分布するかを観察した。その結果は、アイソトープが娘細胞の核膜に均等に分布した! つまり、核膜成分 (脂質) は、分解する事なく、娘細胞の核に再構成された事を意味する。 核膜蛋白についても同様だった!
以後 "15年" ほど、世界各地で大小様々なアメーバを材料にしたユニークな研究を続け、日本人には極めて珍しい「アメーバ研究の大家」になった。
このアメーバ遍歴中、最も特筆すべきは、ロングスピークを征服後、コロラドを後にして、首都ワシントン郊外にある "NIH" での、"土壌アメーバ" に関する研究である。
動き回る生物 (動物) には、植物や微生物には存在しない "アクチン" と "ミオシン" という "ATPase" (細胞骨格蛋白) が存在する。 各種のアメーバ (単細胞生物) にも、これらのATPase が存在することが、1970年代初頭に明らかになった。 元来は、動物の筋肉中に初めて発見された "ATPase" 群である。
骨格筋のミオシンATPase 活性はアクチン線維によって、活性化される。 ところが、土壌アメーバのミオシンATPase は、何故かアクチンによって、活性化されないことが、NIH のコーン博士の研究室で 1973年頃、発見された。 その謎 (難問) を解くのが、我が輩の研究テーマとなった。 彼の研究室に勤務し始めてから、3年もの月日が経って、とうとう、謎を解く事が出来た!
このアメーバミオシンの重鎖を燐酸化する酵素 (キナーゼ) が必須である事が、極めて偶然に 解った! そのキナーゼが今日、良く知られている哺乳類にある「PAK1 」の先祖だった。
先祖の発見から 17年後に、哺乳類の子孫「PAK1」がシンガポールの英国人マンサー博士によって、発見され、それが癌化や老化 etc に必須であることが、その後、明らかになった!
かくして、PAK1 及び "PAK1 遮断剤" が、我が輩自身の「エベレスト」になったわけである。
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