2021年1月10日日曜日

「百名山の人: 深田久弥」 (田澤拓也 著)


登山随筆家「深田久弥」(1903-1971) は、「一高-東大」コースの秀才だったが、学歴に一切因われない自由奔放の登山家だった。東大文学部を中退して、改造社 に入社した。 ある意味で、同じくドイツ文学を専攻し、山男だった我が亡父と、幾つか共通点を持つ。 久弥の長男 (森太郎) が産まれたのは、偶然にも、私自身と同様、戦争中の1942年! ということで、山好きの私自身も、久弥の生涯に興味をもち、この伝記を読むことになった。 読んでみて、意外 (ショック) な事実が沢山続出してきた!
久弥は2人の妻を持っていた。最初の妻は、(病弱の) 作家、北畠八穂 (青森出身)。2番目の妻、深田志げ子 はお茶大付属女子高出身のインテリ かつ「良妻賢母」で、実は久弥の一高 (本郷) 時代の「初恋の人」(深田志げ子 著: 私の小谷温泉、 深田久弥とともに) 。当然ながら、久弥の女性関係は、極めて複雑怪奇! しかも、久弥の代表的な文学作品の幾つかは、最初の妻 (八穂) が代筆した作品に久弥が編集を加えた物 (俗に言う「二人三脚」) であることが、後に発覚し、著作権などを巡って離婚問題にも発展。 然も、(久弥の) 長男は志げ子の腹から産まれた!
敗戦直後、新潮社の豪腕編集長 (斎藤十一) が、「二人三脚」の実態を知りつつ、無名の新人作家、八穂の「自在人」を雑誌 「新潮」に掲載するという破格の扱いをしてくれた。更に、八穂も後年、18歳年下の書生(東大農学部出身の白柳美彦で、「シートン動物記」などの訳者) を伴侶として得、幸せに後半生を過ごし、病弱ながら、久弥よりも10年ほど長生きしたので、結果的には "全て良し" (Ende gut, Alles gut) と一応したい! 私と久弥との共通点は、「山好きであると共に、電話嫌い」ということだろう。。。私も久弥のごとく、ことによったら、登山中に死ぬことになるかもしれない。。。
最後に久弥が残した名言を一つ: 山の遭難ニュースが出る度に、「好きな山で死んだんだから、もって瞑 (めい) すべしさ。もし、自分が山で死んだら、そんな風に思って欲しい。登山はもともと "冒険" (自然への挑戦) なのだから」。 この名言は結局、久弥の遺言にもなった。。。久弥は友人数名と共に、茅が岳の頂上近くで小休止をし、アンパンを食べながら、脳溢血で、すーっと安楽死してしまった! 見事な大往生であった。。。
もう一つ、久弥が強調した言葉がある: 登山にはルールがない、ということである。頂上に達するために、自分の手足を使う限り、 (尾根でも沢でも岩場でも) どんなルートを選んでもよい。科学も同様である。ある結論に達するために、どんな論理 (道筋) をたどってもかまわない。 従って、文学や芸術と同様、登山と科学は、最も「反体制的な」(自由平等な) 人間の挑戦 (冒険) である。
私の「十名山」: マッターホルン、ロングスピーク (ロッキー山脈の主峰)、ツークシュピッツ-アルプシュピッツ 連峰 (独アルプス)、クック山 (NZ), 槍-穂高 連峰、立山連峰、八ヶ岳連峰、谷川岳、雲取山、丹沢山塊。

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