2021年8月16日月曜日

「決定的瞬間」を逃すな!

前述したが、「決定的瞬間」 (Decisive Moment) とは、かの有名なフランスの写真家、カルチエ=ブレッソン (1908-2004) の言葉である。 20世紀を代表する写真家である。彼は小型レンジファインダーカメラを駆使し、主にスナップ写真を撮った。彼は愛用のライカに50mmの標準レンズ、時には望遠レンズを装着して使用。 1947年にはロバート・キャパ、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーと共に国際写真家集団「マグナム・フォト」を結成。 我が亡父もアマチア写真家の端くれで、ブレッソンの大ファン、愛用のライカ (35 mm) で、暇を見つけては、スナップ写真を取りまくった。 最も有名なブレッソンの作品集は、1932年から1952年に撮影された写真を集成し1952年に出版された『決定的瞬間』(英題:The Decisive Moment、仏原題:Image a la sauvette(「逃げ去る映像」の意))!
さて、 決定的瞬間はスナップ写真に限らない。 我々の人生航路の中で、何度か「決定的瞬間」が訪れる。 問題は、それを瞬時に掴むか否かである。 亡父曰く、 "チャンス" という女神には、前髪しかない。 近づくのを待ち受けて、とっさに前髪を掴まないと、逃げ去る。。。 我が人生で、最初の決定的瞬間は、1977年に米国研究留学中に訪れた。 当時、米国の総合医学研究所 (NIH) で、土壌アメーバの運動に関与するユニークな単頭ミオシン (ATPase) の活性化に必須な蛋白を探索していた。 さて、同じNIHキャンパス内で、ヒトの血小板の凝集に関与する双頭ミオシンの活性化に必須なユニークなキナーゼ (燐酸化酵素) が発見された直後であった。 このキナーゼによって、血小板ミオシンの "軽鎖" が燐酸化されると、ミオシンATPase がアクチンによって、活性化され 、凝集が起こる。
そこで、私は、その単なる延長 (水平思考) として、アメーバのミオシン軽鎖が、血小板キナーゼや、アメーバの酵素によって、燐酸化されるかどうかを試してみたが、残念ながら、 結果は"ネガチブ"だった! 通常は、そこで「話は終り」になってしまうのだが、その瞬間、ある (他人の目からは「非常識な」) アイディアが閃いた! 「ひょっとすると、ミオシンの "重鎖" が燐酸化される?」
当時、ミオシンの軽鎖と重鎖と分離するには、SDSポリアクリル (ディスク) ゲル上で電気泳動後、細長いゲルを上端から下端まで、一定の長さに切り刻み、各々 の切片を「プランチェット」と呼ばれる小さな皿中で、過酸化水素により分解し、各々の皿に残る (ATP 由来の) 放射性アイソトープ (32P) を、ガイガー探知器で 測定することによって、燐酸化した場所 (鎖) を特定するという原始的手法が一般的に使用されていた。 その方法で、軽鎖 (下端) にはアイソトープは皆無だったことを確認後、さて、ゲルの上端にある重鎖に、一体アイソトープがあるかどうかも、(ダメモトで) 調べてみた。 驚くなかれ、手元のガイガー探知器がガーガー鳴り始めた! つまり、アメーバのキナーゼは、実は、世にも不思議な「ミオシン重鎖キナーゼ」だった! その日は土曜日だったが、私は地下にあったアイソトープ実験室から、一気に階段を駆け上がって、3階にあるボス (コーン博士) のオフィスに駆け込んで、結果を報告した。 17年後に、シンガポールで、同じようなキナーゼが哺乳類にも発見され「PAK」 と命名された。
因みに、このSDSポリアクリル (ディスク) ゲル電気泳動法 (SDS-PAGE) は、米国ハーバード大学のドイツ人、クラウス=ウエーバー (1936-2016) とその奥さんメアリー=オズボーンによる発明 (1969年) である。1972年に結婚後、 夫妻は、他の様々な発見をしたが、我々生化学者 (特に私) にとっては、このSDS-PAGE の貢献度が最も高い!

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