東京五輪 (2021年) 開催中に、豪州のブリスベンが2032年の夏期五輪開催地に落
着! さて、ブリスベンは、我々が住んでいるメルボルンから、海岸沿いに、約
1700 km 北上した (豪州では、メルボルンとシドニーにつぐ、第3 の) 都市 (人
口は、約200万人) にあり、冬でも温かい、いわゆる「亜熱帯気候の地」である。
日本でいえば、ちょうど奄美大島や沖縄列島に近い 気候。。。沖縄県の全人口
が150万人だから、それより、やや多くの人口を抱える大都市である。沖縄と違っ
て、(バス以外に) 長距離 (夜行) 列車や市内(通学/通勤) 電車が、常時運転され
ている文化都市。 ただし、市電は1960年代末まであったようだが、(残念ながら
) 東京都と同様、とうとう廃止になってしまったそうである。。。ブリスベンの
直ぐ南の海岸沿いに、「ゴールドコースト」と呼ばれる町並があり、日本からも
多くの引退した老人夫婦が、老後をゆったり楽しむため、住み着いているといわ
れている。。。
さて、 メルボルン郊外に住む一風変わった知人の話をしよう。彼の愛称は「チャーリー」
だが、元々は東京生まれの「江戸っ子」である。 太平洋戦争の最中に、ドイツ
語を話す父親と、米語を話す母親から生まれた長男である。その後間もなく、2人
の妹が生まれた。。。 この三人兄妹は、ちょうど朝鮮戦争があった頃、集団小児
結核に感染し、5カ月の休学 (自宅療養) を強いられたが、幸い、母親の勤務先で
ある駐留軍 (GHQ) から、特効薬 "PAS" を入手でき、九死に一生を得た! その
後、長男は、隣番地にある区立中学をトップで卒業し、都立高校「日比谷」で勉
学、東大薬学部で博士号を取得後、海外でずっと癌研究などを続けている。 米国
に10年、西独のマックス=プランク研究所に数年勤務後、はるばる赤道を渡って、
豪州のメルボルンにある国際癌研究所に20年近く勤務後、63歳で自発的に引退し、
我々が住むメルボルンの近郊にある一軒屋 (実は、1956年メルボルン五輪中の選手村) に、10年ほど昔、独身で移り住んでき
た。 物静かな人物で、庭木を植えたり、塀や家の壁に、ペンキで壁画を描くのを、
趣味にしている。。。
チャーリーの (最大の) 悩みの種 (?) は、低血圧だそうだ。 メルボルンは南
極に近く、真冬になると、手足の血行が悪くなり、しばしば膝下に悪性の凍傷が
できるそうである。そこで、引退後、毎年冬になると、北半球の日本や欧州の夏
に、3カ月ほど避寒する習慣になっていた。 ところが、昨年以来、コロナウイルス
の世界的な感染により、海外渡航が難しくなってきた。そこで、今冬は、豪州内
の亜熱帯小都市「ケアーンズ」(ブリスベーンの更に北方、1700 km) に、2カ月強、
滞在した。しかしながら、(長期の) 滞在費用をけん約するため、(一泊 2000円の
) ユースホステル (ひと部屋に4人) に宿泊したため、酷いいびきをかく多くの客
に悩まされ、熟睡ができなかった!
そこで、来年 (冬) からは、ユースホステルを諦めて、(亜熱帯にある) 個人の安
い下宿に、長期滞在する計画を立てつつある。。。というのは、ブリスベーンに
ある安宿は、あいにく「学生用」ばかりで、70歳を越えた老人には、利用できな
い。そこで、チャーリーは急きょ、作戦を立て直した。。。先ず、主に老人で独
身を相手にした、いわゆる「デート」欄を、豪州内のon-line で探し当てた。そ
こで、自分の略歴や趣味を掲載し、ブリスベーンに住む独身女性宅 (アパートか一
軒屋) の一室を冬期だけ3-4カ月ほど、下宿 (賃借り) をしたい、といういささか
奇抜な広告を載せた、そうだ。 場合によっては、(趣味や暮らし向きが一致すれ
ば) 所帯を一緒に持つ可能性も仄めかした。 すると、毎日のように、40-70 歳ま
での幅広い女性層から、問い合わせが殺到したという。。。その内から、チャー
リーにマッチしそうなスイス系のドイツ人 (60歳) に絞ってみた。夫はアメリカ
人だが、数年前に自動車事故で、他界したそうである。この未亡人は、ブリスベー
ン市内に (3つの寝室のある) アパートに住んでいるようだ。 意外にも「下宿代は無料で良い」と未亡人に言われ、チャーリーはいささか恐縮している。。。
未亡人には、20歳くらいの娘が独りおり、目下、スイス南部にある「シオン」と
呼ばれる美しい山麓の町 (フランス語を話す地区) で、祖母と一緒に暮らしなが
ら、大学で法律を専門に勉強しているそうだが、来年に卒業後、ブリスベーンに
移住してくる予定だそうだ。 チャーリーは、この親子同様、ドイツ語と英語を
自由に話す。 ということで、来冬は、ブリスベーンで母子と一緒に避寒をする可
能性がある。 チャーリーは、若い頃、登山家 (アルピニスト) だった。機会があ
れば、この娘と一緒に久しぶりにスイスを訪れ、シオンの山々をハイキングする
かもしれない。。。この老人の奇抜なアイディアは、一部、エディー=ジェイク著
「世界で一番幸せな男」と、どうやら老人自身の昔の体験に由来するらしい。。。
首尾良く「歴史」を繰り返してみる 作戦 らしい。
因みに、下宿人が下宿の婆さんと(結婚はしないにしても) 所帯を共にする例は、
古今東西かなり多い。 「百名山」で有名な深田久弥の前妻は、児童文学者 (北畠
八穂) だが、離婚後、鎌倉に独り住んでいた。そこへ下宿してきた東大農学部出身の
書生 (下宿人) は、のちに「シートンの動物記」を初めて訳して有名になった白柳美彦だった。
結局、この女流作家が死ぬまで、30年以上、手厚く面倒をみたという。。。
コロナ感染が最終的に終息して、海外渡航が再び自由になれば、涼しい北海道 (例えば、道東の"釧路") の (夏の) 牧場で、毎年 3カ月ほど、避寒を楽しむという選択肢も出てくるが、一体いつの日になるかわからない。。。
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