7月末に米国で封切したばかりのこの映画は、日本には未だ配給されていない。従って、詳しい内容は、まだ不明だが、毎日新聞の社説などから、その内容の一部が、明らかにされている。
標題の "Oppenheimer"とは、太平洋戦争末期に、米国のロス=アラモス砂漠で、”マンハッタン計画”の下、世界初の原爆を製造した米国原子物理学者チームのリーダー、Robert Oppenheimer 博士である。
彼は、ドイツのナチスに先駆けて、米国で原爆の製造に成功したことに、誇りを感じていたが、まもなく、"新米"の米国大統領、トルーマンの命令によって、その原爆が、広島や長崎に投下され、多くの市民が犠牲になったことを、深く残念がった。
原爆投下直後、トルーマンに面会したオッペンハイマー博士は、”自分の手が真っ赤な血に染まった!”と述べ、トルーマンを激怒させた。以後、博士は、”水爆”の開発に反対し続けた。
Dr.Oppenheimer は善人だった。彼を”悪人扱い”したのは、トルーマン大統領と”赤狩り”のマッカーシー議員だった。つい最近、博士の"名誉回復”がなされた。
”マンハッタン計画”に参画した多くの科学者は、"放射線被ばく" のため、短命で亡くなったものが多い。オッペンハイマー博士も、癌のため、62歳で他界した。[中性子を発見して、1937年にノーベル受賞した] エンリコ=フェルミ博士も、53歳で他界した。
しかし、例外的に、長寿を全うした学者もいた。ジョアン=ヒントン博士(女史)は、トルーマンによる、広島・長崎原爆投下に抗議して、米国を後にして、中国(北京)に永住、主に農業機械の開発に貢献したが、2008年の夏、我々の招きで、日本を(車椅子で)初訪問、広島の犠牲者の霊に祈りを捧げた。 間もなく(2010年)に米寿で亡くなった。
実は、1950年代末に、ノーベル賞作家パール=バック女史(名作 ”大地”で有名)が"マンハッタン計画”を小説化して、”Command the Morning"を出版した。その邦訳 (神の火を制御せよ──原爆をつくった人びと) を、我々は、2005年になってようやく出版した。その小説のヒロイン(Jane) のモデルになった女性が、ジョアン=ヒントン女史だったことが、まもなく判明した! 彼女は、1940年に日本で開催されるはずだった、冬季五輪の米国スキー選手の代表だった!
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