毎年10月31日に、主に西洋で子供たちが祝う「ハロウイーン」 (Halloween) という祭は、実は (アイルランドや英国北部スコットランド等に2千年近く住む) ケルト民族 (=被征服民族) の習慣である。ケルト族の古い暦では、11月1日が正月 (新年、冬の始まり) で、10月31日は "大晦日" にあたる。 そして、その日の夜には、この世とあの世の境が一時的になくなって、様々な幽霊が "はいかい" するという言い伝えがあった。 そこで、これらの幽霊たちを鎮めるために、キャンディーやお菓子で、「Trick or Treat 」 する習慣が、子供たちの間に、しんとうしたという訳である。
我が輩が初めて、「ハロウイーン」を米国の子供たちと祝ったのは、1973年の10月31日だった。 米国中西部コロラド州の首都デンバーの郊外 (ロッキー山麓) に、Packard 夫妻と3人の子供たち (長男ジョー、次男ジョン、長女コニー) が住んでいた。この家族は、その昔、米国西海岸のオレゴン州 の首都ポートランドに住んでいた。そして、近所に日本人二世 (イイジマ) とアメリカ人女性 (ジュネーブ) の夫婦が住んでいて、両家庭共、同じプロテスタントの教会に通っていた。 イイジマ家には、二人の息子 (双生児) がいた。 我が輩が、1973年7月26日に、横浜から米国のオレゴン号という大型タンカーで、太平洋を渡って、渡米した際、同乗して
いた 13名 の乗客の中に、このイイジマ家 (4人) がいた。 息子たちは、小学生で、夏休みを利用して、日本の小学校で、日本語の勉強をしての、帰路だった。
我が輩の最初の研究留学先は、デンバーの近くにあるコロラド大学 (Boulder 校) だった。 そこで、ハロウイーンの季節が近づいた頃、イイジマさんが、親切に
もPackard 家に連絡を取り、 10月31日の夕方、わざわざ我が輩の寄宿舎に車で迎えにきて、Packard 家で、初めての楽しい「ハロウイーン」を体験できた、とい
うわけである。その後、Mr. Iijima が亡くなり、Packard 家の次男ジョンが若くして癌で他界したという、悲報 (メール) を受け取った。。。 ハロウイーンは、
現世 と来世の人々の間の、一種の「往き来の場」である、と考えてもよい。。。
さて、来たる10月31日の夜には、総選挙の開票が始まる。 一体どんな結果が出るか、楽しみである。。。
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