2022年1月1日土曜日

「新井賢一 」氏の残した邦訳 (コンバーグの自伝) から:
コンバーグ博士は、栄養学者から 分子生物学者へ進化!

我々の母校「日比谷」の同窓で、20年ほど昔、東大医科研の所長をしていた 新井賢一 (くん) が4年ほど前 (2018年4月9日) に急死したことを、偶然、この正月明けに知った! 遅ればせながら、彼の冥福を心から祈る。。。
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/18/04/17/04136/
彼は1977年に、(DNA polymerase で) ノーベル医学賞をもらったアーサー=コンバーグの研究室 (スタンフォード大学) で、奥さんと共に、ポスドクを始め、12年間の米国滞在後、帰国して医科研に戻って間もなく、(恐らく、主に「院生やポスドク」向けに執筆された) コンバークの自伝 「それは失敗から始まった」の邦訳 (1991年) を (米国サンフランシコ郊外 Palo Alto の) "DNAX研" 勤務の奥さんや (日本人) 研究職員らと、出版して以来、2010年頃まで、 (メルボルンへ永住後の) 我が輩は、海を隔てて、 彼と研究上の長い付き合いをしていたが、彼の急死 (心臓麻痺?) を知って、ショックを受けた。 高校時代には、彼は、いわゆる「文系」のクラスにいたので、(我々「理系」とは) 全く付き合いはなかったが。。。 彼は生涯、名「オーガナイザー」 (Sydney Brenner の 言わば "日本版" ) として、エネルギッシュに活躍し続けたので、短命 (75歳!) ながら、(本人に) 思い残すことは殆んどなかろう、と私は信じている。。。 因みに、 彼 と (「麹町中」時代からの) 同級生の思い出によれば、「大学紛争」時代には、 医学部内の「民青」の活動家だったという。。。
さて、彼が出版した邦訳 (遺稿) を改めて読み返してみて、先ず気付いたことは、最初の100ページ (訳本の1/4 弱) ほどは、「栄養学」や 「酵素論」に関する記述で、我が輩は例によって「飛ばし読み」で、実際には殆んど読んでいない (少なくとも記憶に残っていない) ことが判明! 当時の私は、「病原酵素」 (PAK) の草分けとして、 (副作用のない) 抗癌剤 (=PAK 遮断剤) の開発研究に没頭していて、栄養学 (ビタミン類など) には、全く興味がなかったからだ。。。 最近、ビタミン (少なくとも K2 や D3 etc) にも、「PAK遮断作用」が見つかり、 多少の "見直し" (再評価) は しているが。。。
1942年頃から、コンバーグ医師は米国NIH (国立予防研究所) で、先ず栄養学に関する研究を始めた。 当時、様々な病気、例えば、脚気、くる病、壊血病、ペラグラなどが、伝染病ではなく、ビタミンB1 (チアミン)、D3、C (アスコルビン酸)、 ニコチン酸、などの「ビタミン類の欠乏症」であることが判明し始めた時期だった。 コンバーグが取り組んだ最初の研究テーマは、サルファー剤が引き起こす副作用 (貧血症など) の原因解明だった。
結論的には、貧血の主因は、「葉酸」という核酸様物質の欠乏によって生じるもので、通常は、この葉酸が我々の腸内細菌によって十分に供給されているが、サルファー剤が腸内細菌を殺すと、葉酸の補給が止まるため、葉酸を 外部から (例えば、ホーレンソウ等の野菜から) 補給せねばならなくなる、という事実が判明した! つまり、「善玉」菌を殺すと病気になる、ということを初めて発見した。 その後、葉酸の誘導体 (拮抗剤) が癌の増殖を抑えるという、報告が幾つか出た (勿論、副作用はあるが) !
コンバーグは、この葉酸に関する研究から、先ず ("ATP" を基質とする) 酵素学に飛躍し、最終的には、DNA を合成する酵素を発見して、1959年にノーベル賞を貰う。。。彼はいわゆる「八艘飛び」の名人だった!
最後に一言 (ノスタルジーを) 付け加えれば、我が輩が1977年に、土壌アメーバ から「PAK」を 発見し た NIH の 3階だて「ビルディング 3 」(赤レンガの建物) は、かつて、ビタミン C やアクト=ミオシン (筋肉収 縮) を研究していたセント=ジョルジー (1937年ノーベル医学賞), RNase を研究していた クリス=アンフィンゼン (1972年ノーベル化学賞)、コンバーグ などが "酵素学" の研究で 大活躍した「由緒ある場 」(生化学の殿堂) であった! 因みに、当時の "我がボス" (コーン博士、NIH には1952年から70年近く勤務!) はアンフィンゼンの弟子だった。 現在は (内部が) 改装され、事務所 (Admin) になってしまい、外装のレンガだけが、昔の面影を保っているが。。。改装に伴い、研究所員らは、新築の高層コンクリート「ビルディング 50」に引っ越したそうである。
最後に (やや専門的な) 「訳注」を加えれば、DNA Polymerase を発見したコンバーグは、RNA Polymerase を発見した (先輩の) オチョアと、ノーベル賞を分かち合うが、後者の酵素 (いわゆる"Ochoa Enzyme") は、実は、生体内では、RNase (RNA を分解する酵素 ) として働き、RNA 合成には関与しない! 従って、ノーベル賞は言わば「勇み 足」だった! この訳本 (自伝) では、その点を敢えて "曖昧" にしているが、我が輩 は修士時代、この酵素を「RNA を分解するために」常時使用していたので、確信 をもって証言できる。。。勿論、酵素とは条件次第で、「逆反応」を触媒しうるので、全くの「間違い」では ない。。。
なお、コーンバーグの弟子の中で、最も卓越していたのは、1980年にノーベル化学 賞をもらったのは、スタンフォード大学のポール=バーグで、いわゆる「Recombinant DNA テクノロジー」を開発した。彼は、DNA 塩基配列決定法を開発したウオルター =ギルバート (ハーバード大学) とフレッド=サンジャー (英国のMRC) と共に、ノー ベル賞を分かち合った。 実は、もう一人、彼の弟子で、2006年にノーベル化学賞をもらった人物がいた! 酵母におけるRNA 合成の分子メカニズムを解明したコーンバーグ夫妻の長男、 ロジャー=コンバーグ (スタンフォード大学) である!

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