数か月前に、日本独特の(糸引き)納豆と、チベット・ネパール産の(糸引き)納豆が、極めて良く類似していることを、ブログで報告した。そこで、恐らく、“日本の納豆の起源は、チベット・ネパールではないか”、という説が濃厚になりつつある。。。
さて、 中国の共産党政権による弾圧を避けて(チベットから亡命した)“ダライ=ラマ14世”に関する古いUS映画(Kundun, 1997年)を観ると、チベット人の顔が、日本人に極めてよく類似していることに、(日本人なら)誰しも気付くだろう。
http://rainbowchildren.holy.jp/archives/3126
Shi H, Zhong H, Peng Y, et al (2008). Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biol. 29;6:45.
上記の Chinese 学術研究報告 (2008) によると、Y染色体上の“D型DNA”分布は、チベット人と日本人以外の民族では、わずか約5%だが、チベット人と日本人だけは、例外的にその10倍(約50%)もあることが分かった!日本民族は、縄文民族と、弥生民族の“混血”であるから、この50%は、恐らく、30,000年前 (あるいは"氷河期"に?)に、チベット高原から、(当時、未だ“氷河続き”だった?)日本列島(山岳地帯)にはるばる移住してきた“縄文民族”に由来すると、推定される。。 言い換えれば、神武天皇、あるいはその "祖先"(卑弥呼?)は、チベットからの渡来であることになる。
(チベット医学童話 タナトゥクより):
むかし、むかし、チベット王のお母様が重い病気にかかってしまいました。ヒマラヤの薬草を用いても一向によくなりません。ある日、王様は夢を見ました。
「遠く東の国、太陽(チベット語でニ)のやってくる(オン)国、ニオン国はたいそう緑が豊かな国じゃ。そこにお前の母の病を治す薬草がある。今、その国にはまだ誰も住んでおらぬ。行くがよい」
王様はチベット族の中で一番優秀な医者に若い従者たちをつけてこの東の国へと遣わしました。一行はひたすら太陽の登る方向に向かって歩き続けました。初めて出会う海の大きさに感動し、その海を船で渡り、山を越え, ついに夢の国へとたどり着いたのです。穏やかな気候、一年中豊かな緑、ヒマラヤでは見たことのない薬草の数々。彼らは, たちまちこの国が気に入り、このまま残って暮らすことに決めましたとさ。
従って、我が輩自身や“深田久弥”を含めて、登山好きの"輩"(特に男性)は,“チベット民族の血”(D型DNA)を受け継いでいると考えて、間違いなかろう。
マンモスは、氷河期の中・高緯度地域に広がった広大な草原で生活していた。気候の“温暖化”で草原が縮小したことや、人間などによる狩猟が原因で絶滅したのではないかと考えられている。多くのマンモスは約12、000年前までに絶滅したが、日本列島には、それ以前に(少なくとも4,000年間)、マンモス類と、日本人の祖先(縄文人)が、共存していたという証拠がある。
なお、縄文人とは、約16、000年前から約3、000年前まで続いた縄文時代に、現在の北海道から沖縄本島にかけて住んでいた民族を指す。その縄文民族の祖先が、主に“チベット由来”というのが、上述の "DNA" 学説である。
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