若い頃は、医師になることを志していたが、海外 (欧米) への旅に憧れ、海軍士官学校に入学。日清戦争、日露戦争において、海戦で大活躍後、太平洋戦争では、海軍大将/司令官を務め、
終戦直前 (4カ月間) に、総理大臣や天皇の相談役 を務め、終戦 (無条件降伏) を即す。
陸軍からは、ひどく睨まれており、2、26 事件では、自宅で、叛乱陸軍兵士により、銃殺され損ね、終戦直前にも、(降伏に反対する陸軍部隊により) 自宅で暗殺されそうになった。
こうして、我々(都民) は、「3つ目の原爆の投下」を危うく免れる事が出来た!
貫太郎は、波瀾万丈の人生の末、敗戦後、間もなく(肝臓) 癌死した。
恐らく、「2。26事件」の際、体内に残った銃弾の後遺症だろう。
なお、 鈴木一 (はじめ、 1901-1993) は 、その長男。一高、東大 (法学部) を経て、農林官僚になる。
結論:
海軍軍人には、(軍艦を上手く操縦しうる) 「エリート」が多く、山本五十六 (真珠湾攻撃の総指揮官) 等、「短期決戦」では、日本は勝利しても、戦争が長引くと、(石油などの燃料不足で) 敗戦になることを自覚していた。 東條英機を始めとする陸軍軍人は、腕っ節は強くても、頭が空っぽ!(兵器の製造で儲ける "財閥" に踊らされて) 戦争をズルズル延ばして、とうとう敗戦を招いた。。。
天然資源に乏しい日本は、スイスに見習って「永世中立」を守り、先ず "隣国 (中国や韓国 etc) と仲良く" すべき! 石破政権は、 その意味で、"無難な線" を歩んでいる。。。
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