2025年8月15日金曜日

1945年8月15日 正午に 日本の「無条件降伏」:
若し仮に、この日に (天皇が) 降伏宣言 (玉音放送)をしなかったら、3発目の原爆が「東京」に投下された可能性が, 極めて高かった!

(極秘情報) : 実は、米軍は、終戦直前に、原爆を "数発" 用意していた! 広島、長崎以外に、京都、東京、小倉、新潟 etcを投下予定地にしていた。幸か不幸か、当時の 国防長官 (陸軍長官) スチムソン (Yale-Harvard 出身) は、京都に親しい友人がいたので、"京都を爆撃地から外すよう"、トルーマン大統領に要請した。そこで、広島が一発目の投下地となった! 2発目は、小倉に投下予定だったが、上空の天候が悪く、隣りの長崎に投下された!
さて、8月15日前後に、我が輩が住んでいた中野区江古田の上空に "米軍のB29" が飛来して, 周辺にけたたましい "空襲警報" が鳴ったが、何故か "焼夷弾"が一発も, 落ちて来なかった。。。
あの米軍機は、若しかしたら、原爆を積んで、投下命令を待って、上空で待機 (旋回)していたのかもしれない。。。
我が輩 (2歳半) は両親と妹と共に、庭に掘った (急造の) 防空壕に避難したが、若し、原爆が投下されれば、"御陀仏" だったに違いない。。。被爆 (ケロイド) で、一生苦しむよりもましだ!

さて、試みに、我が輩は SF 小説「三つ目の "ピカドン" (原爆 )」を執筆してみようと思い立った。一体、どんな日本になったか、シミュレーションを試みてみよう。
最も確実な事は、天皇家は蒸発し、「象徴天皇制」は発足しなかったし、恐らく共和制になっていた、と思う。
東京は、広島や長崎同様、死の街になったので、マッカーサー元帥は、大阪都に "GHQ" を構え、占領政策を執行したに違い無い。。。神戸が横浜の代わりを果たしただろう。。。
このシミュレーションでは、我々 日比谷 (ルーム38) の4人組は、偶々、東京から関西 etc に疎開していたため、ピカドンの直撃を受けなかったと, 想定しよう。恐らく、我々は大阪の "北野" 高校 etc から、京大に進学することになったろう。。。。 ちなみに、2025年度の大学入試における "京大" 合格者数トップは、107人と (全国の高校で唯一3桁台と) なった大阪府立「北野」高校 だった!

我が輩は、恐らく、法学部へ進学して、「国際関係論」を専攻後、"外務省" 勤務で欧州 (EU) 各地で活躍した可能性が高い! ひょっとすると、 ドイツの首都ベルリン滞在中に、東ドイツ (Leipzich) から西ドイツ (Freiburg) に 移住してきた "かなり年下" の女性 (ある養蜂家の一人娘, Juliane という生物学者) と, めでたく結婚していたかも知れない。
さて、戦後の日本国内では、社会党が第一党になり、党首の "土井 タカ子" が、日本最初の女性大統領になっていた可能性が強い! 言い換えれば、東京の "被爆" (原爆投下) によって、日本の政治は、今よりずっと、"進歩的" になっていたに違いない。。。
勿論、 「参政党」などと言う "右翼" (尊皇攘夷) の政党は誕生しなかっただろう。。。
さて、沖縄にある米軍基地は一体どうなっただろう?
恐らく、土井政権時代に、日本の「永世中立国」宣言がなされ、日米安保条約が破棄され、米軍(海兵隊) は、グアム島に全部移転を完了しただろう。沖縄の住民、特に"社大党"を先頭とする「オール沖縄」勢力の念願が、遂にかなえられた!
"石破茂" の運命や如何に? ひょっとすると、社会党出身の大統領として、トランプ政権の脅しに敗けず (ペンは剣より強し!)、関税問題などで、目下「巧妙に」交渉しているかもしれない。。。特に "社民党" から、「留任」の要請を受けている理由 (由縁) が理解出来る。。。

結論を急げば、ポツダム宣言 (1945年7月26日) が出た直後に、天皇制を素直に破棄して、無条件降伏していれば、米国 (トルーマン大統領) に原爆を使用する口実を全く与えなかった (つまり、広島と長崎の住民の生命を救った)!
従って、8月15日の "玉音放送" は、(戦後に生き残った日本人にとっては) 「最悪のタイミング」だった (勿論、"都民" の生命は救う事ができたが)。
しかし、現実には、(原爆投下で、最大のライバル= "ソ連のスターリン" を威嚇せんとした) "トルーマンの 術" (罠) に, まんまとはまった! (実は、トルーマンは、大統領 "FDR" の急死に伴い、棚ぼた式に副大統領から大統領に昇格した「馬鹿な軍人」だった! そこで、スターリンに舐められた!)
REFERENCE:
なお、 原爆投下に関する詳細な情報の出典は、 主に, ガー=アルペロビッツ著「原爆投下決断の内幕 (上下) (ほるぷ出版、1995年)

注:
米国による長崎への原爆投下直後、ソ連政府は "日ソ不可侵条約" を破棄して、日本に宣戦布告!、 ソ連の赤軍が満州に雪崩れ込んだ。 実は、このソ連の宣戦布告が、"日本帝国陸軍が最も恐れていた事件" だったらしい。 ロシアの陸軍は、ナポレオンを破り、ヒットラーを破った。 "疲弊" した日本軍が勝てる公算は全くなかった! 間もなく、天皇を交えた御前会議が開かれて、"無条件降伏" を決定したらしい。無知な "軍部" は, "原爆の怖さ" については、 余り理解していなかったらしい。従って、 ソ連による "宣戦布告" が、東京への原爆投下を救った、と言えるだろう。。。 皮肉な話だが、我々(都民) は、「独裁者」スターリンに感謝せねばならない!

結局、8月15日の敗戦宣言は、「天皇家を温存しうる唯一の手段」だった! 全く 浅ましい、と言わざるを得ない!
我が亡父の保存していた"家系図"によれば、我が家 (父方) は宇多天皇 (867-931)の子孫だそうだ。 従って、昭和天皇とY染色体上の遺伝子を幾つか共有しているはずだが、一体どれかは, "謎"のままである。 父は、満州事変に始まる太平洋戦争に強く反対して "失職" (京大の教職を追われた) ! 従って、「負け戦の終り」を歓迎したが、 「遅きに失する」と、後で言っていた。
原爆投下 (広島と長崎) の前に降伏すべき、という意味だ!
父はその後、我が家の「主夫」として、家事、子供の養育、教育を全て引き受け、44年近くの歳月を経て、昭和天皇が崩御して間もなく、他界した。恐らく、三途の川に架かる橋のたもとで、天皇と出会い、何か 2、3 会話を交わしたことだろう: 「象徴天皇」とは一体何ですか?
"権威" のみあって、"責任" は取らない (無責任な) 君主ですか?
開戦直前まで首相をしていた "近衛文麿" は、戦争責任を感じて自害した! (彼は "武士"、否、立派な "貴族" だった)。

参考書: 昭和16年の "日本" 敗戦(?): 猪瀬直瀬 (元 "都知事"、インタビュー)
"日本軍" (東條 etc) は、"敗戦" を予測しながら、敢えて "参戦" した! 一体何故???
NHK Special 番組 (8月17日、午後9時に、その "ドラマ化"「後編」が観賞出来る!

結論:
1945年8月の「 玉音放送」がなかったら、都内に原爆が投下され、恐らく天皇制が消滅すると共に、"共和制" が発足し、80年後の日本は、もっと進歩/革新的な社会になっていたことだろう。しかしながら、原爆投下と共に、2歳半であった我が輩は、恐らく (都内で) 爆死し、その後の海外における "PAK1 の発見" や 一連の "遮断剤の開発" がずっと遅れたに違いない。。。

0 件のコメント:

コメントを投稿