2025年8月27日水曜日

未完の短編小説「さ迷える天使達」

主人公の名は、不二 昇。アマチュア登山家だが、富士山には一度も登ったこともないし、その気も全くない。「あの山は、遠くから眺める山だ」と、幼少時代に、父親から言われたからだ。その父親は、死ぬ前に、富士山の麓、御殿場に、わざわざ墓地用の土地を 買い、83歳でこの世を去った時、そこに彼の遺灰を埋めるよう、家族に頼んで、あの世の人となった。
さて、その息子 (長男) の "昇" という名は、東京の帝大 (法学部) を卒業後、間もなく南方の戦地 (フィリピン沖の島) に動員され、島のジャングルで、マラリアに感染し、敢無く戦死した母親の兄に因んで、名付けられた名前である。。。母親は、マラリアの特効薬 (キニーネ) 無しに、兄を戦地に送った "無謀な軍部" (特に東條) を、ひどく恨み、「兄の生まれ変わり」を"待望"した!
昇が戦争中に生れたのは、都内だが、品川の築地にある聖路加病院 (米国のミッションスクール病院) 内で、オギャーと産声を上げた瞬間から、米語の環境に包まれていたようである。
従って、両親は日本人だが、長男は「西洋的な環境下」に育った。 実は、父親の専門はドイツ文学、母親の専門は英米文学だった。
昇が登山を始めたのは、敗戦後間もなく、3歳の頃だった。高尾山という山に、最初に父親に連れられて登った。当時、ケーブルカーは戦災で焼失し、自分の足で昇る以外には、方法がなかった! もっとも、山頂で昼ご飯を食べたあと、すっかり眠くなり、下山は父親の背におぶられて、下ったそうである。。。帰路の電車の中で、米国の進駐軍の兵隊達と偶然に一緒になり、片言の英語で兵隊さん達に話しかけたご褒美に、チョコレートを貰ったのを良く覚えている。。。
昇が 7歳になった頃、近くでプロテスタントの教会が経営しているいわゆる児童向けの「日曜学校」に通い始めた。その主な理由は2つ。一つは、昇には、遊び友達が少なかった事。 もう一つは、将来、海外で生活するためには、西洋文明の根幹になっているキリスト教を十分に会得していることが必須であったからだ。
昇が10歳の頃、再び、危機が「不二」家に訪れた。学童の集団結核が都内に蔓延し、昇やその妹達が皆、肺結核に感染した! 戦後の「栄養失調」が最大原因だった。当時、マッカーサー元帥の "GHQ" に勤めていた母親は、上司の将校から、結核の特効薬 (PAS) が横浜の "PX" で入手できることを突き止め、御蔭で 昇を始め3人の子供は皆、「九死に一生」を得た
昇は中学3年を卒業するまで、丸8年間、日曜學校に通い続けた。 しかしながら、中学卒業直前に "声変わり" がしたので、教会に通うのを辞めた。実は、教会で合唱部に所属し、ボーイソプラノを楽しんでいたが、それができなくなったので、"潮時" を感じたからだ。 昇は神の存在を信じた事はないが、その使いと言われるている多くの「天使」達が、困っている人々を助けている事は信じている (出来れば, 自分もその一人でありたい、と秘かに思っていた)。
昇は、その後、都内の国立大学 (理系) を卒業後、5年間の大学院を終了し、いよいよ (長い) 海外生活 (就学/冒険) を間近かに控えたある夏休み、クラスメートの女性 (T) を誘って、上高地に出かけ、一泊2日で、穂高と槍岳の縦走を一緒にやり遂げた。以後、その女性と、海外でも、ドイツやスイスの山々 (アルプス) で、一緒に登山を楽しむ習慣を身に付けた。 彼女も (少し遅れて) 博士号を取得して、海外で、(同じ様な分野で) 研究活動を始める機会が 増えて来たからだ。
米国のエール大学生物学部の同じビルにある別々の研究室に、この相棒同士が研究を2-3年ほど続けていた時代があった、この頃に、連続テレビ映画で「天国への高速道路」(Highway to Heaven) なる番組が毎週放送されていた。2人の年配の天使が地上に降りて来て、色々と人助けをするストーリーだった。 マイケル=ロンドンという俳優が主役だった。。。
昇と相棒 (T) は、大学の近所にある別々の下宿に住い、週末には、近くのテニスコートで、試合を楽しんだり、昇の住む下宿 (2階建て) のおばさん(アイリーンというイタリア系の未亡人、 ミラノで遭遇した米国のオペラ歌手と結婚!) が作る料理を一緒にご馳走になったりした。
アイリーンの下宿には、他に2人の外人院生が住んでいた。一人はドイツから来たトマスだった。彼は人なつっこい人物だった。もう一人は台湾から来た男生徒だった。昇が「日本から来た」と自己紹介したら、「日本人は大嫌いだ!」といいながら, むっとした顔をしていた、その後、その人物と会話を交わしたことはない。恐らく、太平洋戦争時代に、台湾を占領していた日本軍により、家族や親戚が酷い目にあったのだろう。 戦後、数十年経っても、その傷は深い! 海外に出かけた経験のない「参政党」の人々は、何故か「外人嫌い」だが、自分自身が海外で、外人と会話してみると、逆に自分達がどう思われているかが、直ぐ解るだろう。。。
昇の父親には、京大時代に台湾出身の親友がいた。 日本軍が満州を侵略し始めた頃、2人で一緒に「満州事変」に反対する意志表示をしたため、父親は、大学の教職を失った! しかしながら、2人の親友は戦後も友情を暖め続け、その台湾人は日本人の女性と結婚し、その息子は、 昇と丁度同年で、同じ都立高校 (H) に入学した。。。その後、その息子 (M) は, 精神科の医者になったそうである。。。
昇が本格的に、「天使の仕事」を始めたのは、15年ほど欧米で研究生活を終えて、豪州に永住し始めてからである (既に、45歳を 越えていたが、未だ独身だった!) :
昇はメルボルンにある癌研究所に勤務し始め、(副作用のない) 抗癌剤の研究開発を始めた。登山の相棒 (T) も、都内の大学で、癌の研究を偶然にも、丁度同じ頃に、始めた。21世紀の初頭、 彼女は、納豆由来のビタミンK2 が、膵臓癌の細胞の増殖を強く抑える事を発見した!
丁度同じ頃に、昇は、シドニーに住む女性 (M) から、突然、メールを受け取った。9歳の息子が、NF2 と呼ばれる稀少難病 (脳腫瘍) のため、失明し始めているから、何か、有効な治療薬はないか、と尋ねてきた! 昇は、その10年ほど昔、偶然にも、そのNF2 と呼ばれる抗癌遺伝子が、膵臓癌の増殖を抑える事を発見していた。そこで、シドニーの母親 (M) に、試しに、 ビタミンK2 を勧めた。
驚くなかれ、ビタミンK2 を摂取し始めると、その息子の脳内の腫瘍が見る見るうちに縮小し、幸運にも失明を免れた! 間もなく、NZ 産のプロポリス (Bio30) も膵臓癌や NF (脳腫瘍) の治療に役立つ事が臨床実験で証明された! このプロポリスには, CAPE と呼ばれる抗癌作用物質が豊富だった。
その後、(光陰矢の如く) 25年ほどの月日があっという間に過ぎ去った!
昇は, 豪州の北方 (亜熱帯地方) の高原に移住した。その広い裏庭にマンゴーの苗木などを数本植えた。数年後に、それが大きくなり、マンゴーの実の収穫期が到来した。昇が丁度「米寿」を迎えた夏 (12月初め) だった。 日本から、 最初の収穫を手伝いに、相棒の "T" が遠路はるばるやって来た。
その庭に、彼女の好物、"赤いコーヒー豆のなる" 灌木 (バッタの "寝ぐら") が、3本もあるのを偶然見つけた!

昇の新居には、寝室が 4つ、ベッドが 3台あった。時折、友遠方より来るあり。 また、楽しからずや (孔子の『論語』「學而(がくじ)」篇) 。
メルボルンからも、昔の研究者相棒 (H) とその夫がそろって訪ねて来た。実は、昇、 T 、 H の3人は、ブリスベーンにある "スエーデン領事館" から、特別の招待を受けていた。"アルフレッド=ノーベルの命日" に、ある特別の勲章を授かる予定になっていた。。。
H は中国の北京大学医学部出で、同じ医学部出の夫と共に、天門安事件の直後、豪州に移住して来て、昇の研究室の助手として、数年間働いた後、メルボルン大学病院で、自分自身の研究室を持ち、癌と免疫に関する研究を続けて来た。
昇は未だ若かりし頃、雪のストックホルムを 2度ほど訪れた経験がある。しかしながら、米寿に達した昇には、「雪のストックホルム」は寒過ぎた! そこで、スエーデン政府に頼んで、授与式を 特別の計らいで, "夏のブリスベーン" に場所変えしてもらった。

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