都立の名門「新宿高校」を卒業後、1958年に、東京外国語大学インドネシア語学科
に入学。これが後に『チェンマイの首: 愛は死の匂い』、『ジャカルタの目』、
『マニラの鼻』といった、東南アジアを舞台とする国際小説執筆へと繋がる。
1959年(昭和34年)、同大学を2年で中退、俳優座養成所を経て新劇の劇団俳
優座に入る。いわゆる「花の12期」であった。若手のリーダー的存在であり有
望株であった半面、劇団幹部などが左翼傾向の強い劇団内では"異端児" (多数に御しない、少数派) であった。
そのため、「トロツキスト」(反スターリン派、国際共産主義者) のレッテルを貼られた。その際「ああ、いいですよ、
"トロ" でも白身でも」と受け流していたら、今度は新左翼、過激派ということになっ
たという。1965年ハワイ大学に留学。このとき知り合ったアメリカ人と結婚するが 3年で離婚!
1972年に市川崑監修のテレビ時代劇『木枯し紋次郎』で主役の渡世人・紋次郎役
に抜擢される。同作品の大ヒットにより一躍人気を獲得した。
1984年から3年半にわたり、毎日放送製作・TBS系列で放送されたド
キュメンタリー『中村敦夫の地球発22時』(のち『~23時』、中村の降板後は
『地球発19時』とそれぞれ改題)の司会を務めた。その後1989年から1992年までは日本テレビの情報番組『中村敦夫の
ザ・サンデー』などで司会を務めていた。この間はジャーナリスト活動に専念し、
俳優活動からは一切身を引く。作家としても「チェンマイの首」を発表している
。
『ザ・サンデー』を降板し、1993年に映画『帰ってきた木枯し紋次郎』で俳優復
帰、以後は俳優活動と政治活動を平行して行う。 1994年に (「旧統一教会」を暴く) 小説「狙われた羊」を出版!!
1998年7月に同選挙さきがけの推薦及び市民の党の応援を受ける無所属候補として
立候補し、東京都選挙区から"初当選"、政治家となる。 (この時、我が輩は「紋次郎」の存在を、新聞記事で初めて知る!実は、偶々この頃、新宿高校卒で、東大薬学の一年先輩の女性らと、ノーベル作家「パール=バック」の評伝の邦訳を進めていた). 同年10月に「環境主義・平和外交・行政革命」の3つを基本理念とした民権政党「国民会議」を1人で旗揚げする。
2000年7月に「さきがけ」代表就任、同年8月議員連盟「公共事業チェック議員の会」会長就任,
2002年1月さきがけと国民会議が合流し、院内会派「さきがけ環境会議」を経て、
党名を "さきがけ" から「みどりの会議」に変更した。
2004年の参議院選挙では比例区に転向して、みどりの会議は
中村をはじめとする10人の候補者を立て、90万を超える票を得るも"全員落選"!!
これにより、みどりの会議は国会での議席を失う。
好きな言葉は「攻めの人生」。「旧統一教会」の実体 (霊感商法) を暴く!
我が輩は、「トロ」でないが、信条的に、「インテリ紋次郎」の (若手) 相棒 (Greens
支持派) !
世界で初めて (1972年頃に)、グリーン党 (Greens) の前身を立ち上げのは、豪州の南端
にあるタスマニア島に住む医師、Bob Brown 博士で、主に、「自然の保護」と
「人権の擁護」を旗印に上げて、既成 (2大) 政党を相手に戦い初めた。残念なが
ら、(自然や人権に対する意識が低い) 日本やアジア諸国では、「緑の党」はとうとう育たなかっ
たが、西欧諸国、特にドイツやデンマーク等では、Greensが、かなりの支持者を得て、
国会で活躍し続けている。 豪州では、2012年にBrown 博士が党首を辞任して以来、Greens の根拠地は、首都キャンベラとメル
ボルンの都市部に集中している。
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