「学習する」と一口に言っても、その内容は「千差万別」である。餌を与えると、
鳩や犬猫が (同じ) 飼い主に懐いてくるのは、「飢えを癒す」、あるいは「生き
残る」ための、極めて「原始的な」(或いは「本能的な」) 学習法であろう。腐敗
し切った政治家が「賄賂」をばらまくと、それに寄って来て、その政治家 (立候
補者) に投票する有権者の学習法も、(善し悪しはともかく) 「イヌネコ」の学習
本能に極めて近い! 恐らく、この種の (本能的な) 学習は、(大腸菌などを餌に
する) 線虫から人類まで、(例外なく) 動物界に、あまねく共通に違いない。。。
さて、少なくとも人類 (ホモサピエンス) には、全く別の学習のしかた (パター
ン) が存在する。これは、人類の親戚である「ネアンデルタール原人」にも共通
する(極めて) 原始的な習性である。洞窟内の壁に、動物などの姿を描く、言わば
芸術的な習性 (才能) である。豪州に5万年以上昔から住んでいた「アブオリジナ
ル」(先住民) にも共通である。明らかに、このような芸術的活動は、(イヌネコ
の)「死活問題」とは、殆んど無関係である。猿や象も、(褒美に) 餌を適当に与
えれば、「絵描き」の技術を学ぶことが出来るそうである。
霊長類のチンパンジーやゴリラには、ある種の道具を使用したり、自分で開発す
る (比較的高度な) 「科学的」才能もあるらしい。 芸術的な、あるいは科学的な
才能は、イヌネコやマウスには、全くない。 従って、一口に "IQ" (知能/学習能
) と言っても、動物によって、その内容 (特に「質」) に大きな差がある。 意外
にも、鳥類 (特に渡り鳥) や鯨 などには、かなり高度な「ナビゲーション」技術
があり、季節の変わり目に (特に産卵のために)、大陸から大陸へ、正確に移動す
ることが出来る。
従って、人類に必須な才能を基盤に作られた「IQ」テストの結果で、人類とオランウー
タンとを比較することは、(科学的には) 余り意味がない。 オランウータンには、
「木から木から飛び移る」才能が生き残りに必須であるが、地面を歩く人類には、
余り木登りの技術は必須ではなくなったからだ。。。全く同じ種で、PAK1欠損株
と野生株との間で、IQ を比較することにのみ、「科学的な意味」がある!
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