2022年12月6日火曜日

Phillip Leder (1934-2020): 分子遺伝学の "草分け" (天才!)

我が輩が米国のNIH (首都ワシントン郊外) に「ポスドク」(研究助手) として、数 年間 (1974-1980) 滞在していた時期に、(NIHキャンパスの直ぐ隣にある丘上の) 我が輩 が下宿していた一家の直ぐ近所 (数ブロック先) に、傑出した若い研究リーダーが住んでいた。 彼の名は、フィル=リーダー博士。ハーバード大学医学部出 身の切れ者。 1960年代前半、マーシャル=ニーレンバーグの研究室で、ポスドク として活躍し、「遺伝子暗号の解読」に、中心的な役割を果たした。ゴービン=コ ラーナの研究室で、ポスドクとして果たした西村すすむ (我が先輩) の役割に匹 敵する。 この2人のポスドクによる活躍のお蔭で、ニーレンバーグとコラーナは、 1968年にノーベル医学賞に輝いた!
さて、ボスの受賞へ多大な貢献をしたフィルは、受賞に前後して、NIH の生化学部長に昇進し、グロビンや抗体 (グロブリ ン) の遺伝子構造 (塩基配列) を決定する研究を始めた。 1973-1974 年に、京大医 学部からポスドクとして、フィルの研究室に働いていた本庶 さん (2018年にノー ベル受賞) は、後年、その時期の体験が、彼のその後の (抗体などに関する) 遺伝子研 究への "起爆剤" になった、と語っている。 我が輩自身は、アクト=ミオシン及び、そ れを制御するキナーゼ「PAK」に関する生化学研究に昼夜「没頭」していたので、残念ながら、 フィルにも本庶さんにも会うチャンスは、とうとう一度もなかったが。。。
1980年の夏に、我が輩が西独のミュンヘンにあるMAX-Planck 研究所に転勤する (丁 度) 前後に、フィルがハーバード大学医学部の遺伝学研究室の教授に栄転したこ とを、風の便りに耳にした。 実は、(NIH時代の) 我が輩自身のボス (Ed Korn 博士、現在94歳) の自宅も "フィルの家" の近所 にあった。 フィルはハーバードで、マウスに「RAS」 などの発 癌遺伝子を人工的に挿入し、いわゆる「Onco-Mouse」モデル を製造して、特許を 取得した、という話を後に (1988年頃、我が輩自身がメルボルンの癌研に転勤して、「RAS 癌」に取り組み始めた頃に) 聞いた。 兎に角、「頭脳の切れる」人物だった。 その道の専門家、我が先輩 (東大薬学) である (故 古市泰宏 先生) によれば、フィルは「天才」 だそうだ。 https://www.rnaj.org/newsletters/item/695-furuichi-18
最近、その「フィル」がパーキンソン病 (PD) のため、85歳でとうとう他界したことを知った。
それに比べると、彼のNIHにおける "ボス" (ニーレンバーグ、1927-2010) は、ノー ベル賞をもらった途端、(気が狂ったのか) 「脳生物学」(neuroscience) に転向して、NIHの "莫大 な予算" を浪費して、結局、(83歳で、"直腸癌" のため他界するまで、丸40年間) 殆んど何も残さなかった!
この「悲劇」の原因は一体何だったか? 1961年に彼が結婚したブラジル出身の女 性 (TA or ポスドク、有機化学/生化学者、既に「故人」) とのいわゆる「研究」生活が 全てを「台無し」にしてしまった、という説 (噂) が残っている (真否の程は定かでな いが) 。。。兎も角、学術的に最も「生産性の低い」結婚の一例と言えるだろう。 余りにも「悲惨」で、("キューリー夫妻" とは違って) とても "映画化" の対象にはなり得ない! そういう「辛口」の評価をする研究者が、特に「NIH 内部」には多い。。。勿論、ニーレンバーグの研究室で、莫大な予算で「好き勝手な研究」を楽しんだ、いわゆる「低能 Children」は、別の評価をしているようだが。「裸の王様 マーシャル」と題する"風刺アニメ"映画なら製作可能だが。。。

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